霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

「あの世」から聞こえるもの  2

2012年02月29日 | 心霊現象
 スミマセン、今整理しますから・・。
 そう言って講師は一息いれてから、このように説明した。

 「今わたしにいきなり入り込んできたのは、天使・ミカエルです。
  わたしが仕事中であることと、仲介する者がいなかったので、帰るといって帰りました。
  ここでの言葉は、日本語でやってくださいと、お願いして、あ、い、う、え、お・・と、教え
  簡単な単語をいくつか教えました。
  彼(天使ミカエルは男性格)は、わかったと言って去りました。また来るときは、日本語でメッ  セージを伝えますから、その時はみなさん、黙ってメモされるといいでしょう」

 だって・・・。



三、私の夢(霊界の音楽)

 再び、私の夢から。
 今回は、聞こえるものとしましたから、言葉とか音楽になってしまいましたが、
 笑い声だって、泣き声だってそうです。でも、まあ気持ちのいいものを、今回は取り上げて
 います。
 耳には聞くことは出来ないが、「匂い」(かおり)も、あの世のものがあます。
 今回は、それにはふれないで。

 「身も心も溶ける」という言葉がある。
 どんな時使うんだろう、と思っていた。
 皆様は経験しましたか? それは、どんな時でしたか?

 「身も心も溶ける」あるいは、「とろける」とは、この事を言うのだろう。
 私は夢の中で、そう思っていた。
 いきなり宙に浮く自分をみて、「夢」かと、夢の中で思っていたようだ。
 目の前を誰かが、泳いで行く。
 いや、水の中ではないから、空中を泳いで?移動しているようだ。
 そうか、私は宙に浮かぶと同時に、泳げるんだ。飛天や、天使のように、どこへでも
 行けるらしい。しかし今は、目の前を泳ぐ「案内人」について行くしかないようだ。
 時々その案内人は、後ろから行く私を見て待ってくれる。
 「来れるの?大丈夫?」と言葉はかけないが、気遣うのがわかった。
 行く先は、あっちの方とばかりに、その案内人は杖で指し示す。
 あっ、その杖は。見たことがある。
 絵本で見たか子供の頃の童話、「アンデルセン」か「イソップ物語」のようなものだ。
 そこにでてくる「妖精」が持っている、あの「お星さま」が先っぽについた「杖」、それと
 そっくりの杖で、行く先を教えた。「あっちよ」と。
 案内人はよく見ると、「妖精」だ。花柄模様の洋服。それも、足の「くるぶし」まで長い
 ワンピースだ。ふーん、妖精っているんだ・・・。
 彼女(女の子だった)には、羽はなかった。しかし、上手に宙を進む。スイスイ進む。
 私は遅い。実際水泳は苦手だった。(カナズチに近い)
 足はバタ足、手は平泳ぎで、宙をかく。すると、少しは前に進んだ。
 慣れていないから、仕方がない。

 その移動中に聞こえてきたのが、音楽だ。それも「身も心もとろける」という表現がぴったりの
 荘厳で美しい音楽。その中に「はげまし」もある。「癒し」もある。「希望」「夢」「あこがれ」
 もう何でもいい、それが混然一体となって、心に沁(し)みわたる。
 いや、正しく表現すれば、私の心がその音楽の方へ向かって、溶け出している・・とでも言おうか
 。この世では、音楽を耳から聞いて、心に沁みわたるが、あの世では、その「音楽」に自らの心が
 誘われて、それに向かって溶け出していく。それに向かって流れ出していくのだ。
 これはもう、この世の感覚ではない。実に不思議というか、言い表し難いものである。
 
 私はすぐに、その音階を楽譜にしょうと試みた。なぜか?
 こんな「とろける音楽」、地上で聞いたら、みんな飛びつくだろう、という商売根性が芽生えた。
 音楽はまだ続いていた。全霊界が会堂だ。音響効果バッチリの大会堂だ。
 記録する「もの」を持たない私は、「心」という記憶装置にこの譜面の全部を写したつもりだっ 
 た。また妖精が振り返る。「今行くから~」私は急いで後を追った。

 「朝だよ!」起こされて夢から覚めた。
 誰もいない。人が起こしたわけではないのか・・・。
 と、その瞬間、無惨にもあの音階は消えた。頭にも、心にもなかった。
 ただ、「とろける」ような音楽を聞いた、という記憶だけは、今も思い出す。
 特徴をあげるとすれば、音符が上から下へと激しく移動し(抑揚し)、その度ごとに波打つような
 うねるような心の高まりが、文字どおり「気を失いかける」までの心地よさで、心という形のない
 ものが、「音」に向かって放出されていくのだけは、今もはっきりと覚えている。

 それを聞けただけでも、幸せだったかもしれない。

 過去に、それを成し遂げた巨匠たちに拝礼する。
 よくぞあの世のものを、地上へと持ち帰ってきてくださったと。
 「ベートーベン」しかり、「バッハ」しかり、「ヨハン・シュトラウス」しかりだ。
 日本だって「春の海」「さくら」「荒城の月」、いっぱいある。
 あの世とまでは言わないが、人の心を、あるいは日本の心を伝えるにふさわしい楽曲が、もし
 これから先、廃(すた)れていくとしたら、「天界」からの宝物を民族自ら葬り去ることに
 なりはしないかと、畏れる次第です。
 それは、音楽に限らず、「言葉」もそうだ。「食べ物」もそうだ。
 「立ち振る舞い」もそうだ。古臭いのではない。その持っている「価値」に気がつかないだけであ る。全て、日本の風土と人の心が育んだ、天からの贈り物だ。
 一代や、二代で失ってはいけない。
 天運の証(あかし)を、大きくこそすれ、小さくまた、滅ぼして後孫に渡しては、我々は彼らに会 わせる顔がない。
 

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