霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

先祖の功労

2012年02月27日 | 心霊現象
「先祖の功労」とは、目に見えない血統的功績、いわば霊的貯金のようなものである。
何をもって「功労」というかは、平たく言えば『世のため、人のため』であるが、直接的に言えば
「神のため」につくした功績である。
「天に宝を積め」とは、キリスト教でいうところの「聖書」の教えにある。

 『神の前に積み上げてきた何らかの功績が、この血統を別格とまでは言わないが、
  特別な能力をもって、この世を司ってきた理由である』

・・・と、これは滋野一族の守護霊が語った事であった。(禰津氏)

血統的に積み上げてきた功績は、天に宝を積んだ「積立貯金」のようなものだ。

 『先祖の功労は、神といえども、どうする事も出来ない』・・・と聞いている。

その血統下に生まれた者は、先祖からの積立貯金をあるだけ使うことが出来る。
無い者は?  この世の財と同じである。下ろすことが出来ない。
山の水と同じだ。枯渇したところからは、一滴の水も汲むことは、無理だ。
「功労」が無いとは、マイナスの貯金、つまり借金があるか、ゼロということになる。
借金とは、霊的借金つまり「罪業」である。

これから何が起ころうとしているか、あるいはもう起こり始めているのかは、目をこらせば、見えて
くる。これが「霊感」である。そして、「そこ」つまり、霊界的功績と罪業に焦点をあててみれば
すぐに分かる。
日本はいったい、どんな歴史を過去、現在において綴ってきたのか。そして、その延長上にあるのが
将来の日本の姿だ。
一族においても同じことだ。

ここに一枚のメモがある。

 『日本は飽食の国といわれていますが、そこにもまた、小さな生命がどんどん
  失われています。日本は、戦後から今日まで、四十数年の間に、中絶で、おそらく二億
  以上の小さな生命を殺していると言われています。』

                (1991年7月1日発行 グッド・ニュース201号) 

「国の借金」といえば、今まさしく国をあげての話題であり、政治の争点がそこにあるような錯覚を
国民に与えている。
霊界からみた「国の借金」はどうだ?
恐ろしいのは、実はこちらのほうだ。なぜ?・・目に見えていないからであり、全てを見て分かった
者が、いないところから始まる「借金がえし」だからである。
先のメモのように、今からさらに二十数年前の数でさえ、二億の「殺人」があった事を知れば、それからさらに今までにどれだけの「殺人」が、積みあがってきたかは、想像を絶する。

今、「少子化」の現象に対する今後の日本の行く末は、暗澹たる思いだと、上に下に大騒ぎをしている。が、過去の(殺した)反省はどこへいったのか?誰も叫ばない。
一年に自殺をする人が、三万人を超えることも、身にしみていない。
三万人を一年、365日で割ってみればいい。一日、約90人だ。
こうしているうちに、誰もしらない所で、間違いなく人命が、それも日本人の命が自らをもって
亡くしていくのだ。


先祖の功労を食いつぶした「男」がいた。
皆様も思い出されることであろうが、そう、ついこの間の「バカ息子」のことである。
人はその男を「御曹司」と呼んだ。
三代続いた名門らしいが、悪い意味で「時の人」になってしまったら、おしまいである。
そうだ、あの男の事を言っているのです。
私たち庶民というか、貧乏人というか、そういうたぐいの者には「目の玉が飛び出る」金額が
遊びの費用になる。遊興費が何百億円だって?ふざけんじゃあ、ねぇ!
・・・でもね、これは犬の遠吠え。持たざる者の、やっかみ、と言われても仕方がない。
ただね、そんな形で、「御曹司」を地に落とした本人も、血族も恥ずかしかっただろうな・・という話です。胸を張ってきた先祖も、腰を抜かし、泣いていることでしょう・・・。

実は、私達もそうなんです。
文句たらたら、いつも満足せず、足りないことばかり探して恨む毎日のあなた。
罰当たりは、あなたですよ~。五体満足で、健康で、そこそこの毎日があれば、よし。とするところから、人生が始まります。
先祖の貯金がなければ、あなたが積立てればいい。
何をすればいいかは、その筋の方が教えてくれますよ。そして、その貯金は自分が使って、あの世へ
行くんではなく、使わずに後孫に残してあげる、その心遣いこそが、「宝」になる。
使うことのみ望む人が多く、蓄えることをしない民族、血統は、永遠に存続すると思いますか?
その反対に、蓄える(積む)ことを望み、使うことは他に譲る人が多かった氏族は、将来どうなると、思いますか?(この世の事ではなく、あの世の話です)

ある話です。
どこから見ても、恥ずかしい「そんな人」がいた。
いつも、だれからもなぜか可愛がられ、大事にされた。
ある日、自身満々の一人が聞いた。成績もよく、可愛い。家柄もいい。クラスの人気者だ。
「なぜ?あの子なの」と。
答えが返ってきた。牧師の答えだ。
「あの子の先祖が積み上げた功労が高いのです。その高さにおいては、神も、なんともしがたい
ほどです。人を目で見ただけで、判断してはいけません」と。


今は、血統くそくらえの時代ですから、私のように名も無い者が、いくら抵抗してもはじまらないでしょうが。
歴史には、それを物語るものがいくつもあるようですね。
人の話と、本からのものですが。
第二次世界大戦とか、大東亜戦争とかいった終戦の時。
アメリカの統治下にあった日本。GHQのマッカーサー元帥に天皇が呼び出された。
天皇の進退(運命)は、マッカーサーの手の中にあったといっていい。
天皇の心は決まっていた。自分の命と引き換えに、国民を生かしてくれるように頼むことだ。
玄関で天皇を迎えたマッカーサーの心が、会ったその瞬間に、変わった。いや畏れた。
何を? 説明の出来ない感情にだ。いままで、経験したことのない、言葉に言い表せない、深い
感情だ。ただ、心から敬意を表して、迎えた。

絞首刑も、銃殺刑も、彼(マッカーサー)の頭から消えた。
「この方を中心に戦後の日本を復興させなければ、日本は、いや日本人は復興させてはくれない・・・」。
マッカーサーが霊感が強かったかどうかは、知らない。が、皇室が日本に対して積み上げてきた
「功労」がある。日本の長(おさ)として、また天津神に対しての祈りの積み上げがある。
絶対的な功労は、敗戦といえども、敵国といえども、マッカーサーといえども、「神」の領域で
ある。そして、その神も先祖の功労だけは、いかんともしがたく・・・となると、この世でも、
あの世でも「絶対なるもの」は、功労である。

金はこの世の「ものさし」である。ならば、あの世の「ものさし」をこれから身につけ、確かな
宝を積んで、ゆるぎのない将来を後孫に残したいものである。
畏れ多くも、かしこくも・・・これを霊的な雰囲気として持ち合わせた民族をめざしてこそ、日本の
輝かしい将来があると思いませんか?

先祖の功労ならぬ、日本歴史を賭けた「日本の功労」を積み上げてみたとき、日本を襲う厄災(地震
や津波、噴火など)の姿ありや、無しや・・・。
おのずと、答えがでてくると、いうものです。