霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

夢を解くという至難の技

2012年02月14日 | 心霊現象
今日ご紹介する「夢」は、もちろん私が見た夢ですが、その意味をどのように解くかは、
私にもわからなかったものです。また、人に話をしても、人それぞれの解釈をして、結局は自分で
解けということに行きつくありさまでした。
その前に「夢」に意味なんてあるの?という事になりますが、あるといえば「ある」、ないといえば「ない」といった、実にあいまいなものでした。

しかし、その夢をみた時の心の状況が問題で、何かを必死に求めていた事情があれば、その夢はきっと
その答えか、さもなくばヒントくらいのものは暗示されているとみても、当たらずとも、遠からず
のはずです。みなさまの感性に賭けて、これからお話する夢の意味を解いてみてくださいませ。


一、底なし沼のはなし

 ここは、どこ?
 気がつくと、私は「ジャングル」の中にいた。薄暗い中ではっきりしてきたことは、沼の水面から出 ている「杭」に片足をのせて、次のステップに迷っていた。
 ここが、底のない沼だということは、なぜかわかった。
 薄暗いが、水の中から顔をだしている杭が、沼の向こう岸まで続いているのがわかった。
 私は沼の向こう側へ、渡らなければならないらしい。誰もいない。何の音もしなかった。
 唯一危険なことは、この底へ、決して落ちてはいけないという事だった。

 TV番組でよく見かける、タレントが繰り広げる「障害物ゲーム」みたいなものだ。
 しかし、これはゲームではなかった。ひとつ間違えば、命にかかわる危険な状況を物語っていた。
 私は次の片足を、目の前に浮かんでいる杭に乗せた。ぐぐっと、その杭は沈みかけた。
 あわてて、私は足を浮かせた。どの杭を選んだらいいのか・・・。
 もとに帰ることも出来ない。なぜ、ここにいるのかさえ、わからないでいるのだから。

 一歩も進めないまま時間だけがすぎてゆく。誰もいない。誰も助けてくれない。
 前に進むしか道はない、が、さてどうする。
 目をこらしてもう一度よーく見た。どこかしるしがないか・・・と。
 みんな同じ杭だった。頭だけが出て、何ごともないように浮いていた。
 「わかるわけがない・・」心は決まった。「わかるわけがない、しかし行く。一本の杭に私の命を
 賭けて、踏み出します。結果がどうであれ、この一歩は決して死ぬための一歩ではありません。
 生きるための一歩として、杭を選びながら行きますので、運あらば生きて向こう岸まで、渡らせ
 たまえ・・」
 最後は、「神」だのみしかなかった。
 
 こうして書いている今も、杭を踏む足の感覚が、はっきりと蘇る。「あー、一歩進んだ」・・・。
 気がつくと、向こう岸まで渡り終えていた。
 一歩一歩、足で杭の頭をたたきながら渡ったことも、覚えている。
 何を暗示されたのかは・・・はっきりとは、今もわからない。



二、視界ゼロの山頂

 長野県の美ヶ原へ行かれたことは、おありだろうか。
 ガスがかかりやすい事でも有名であるが、晴れた日の展望は、それはそれは見事なものである。

 ん?以前行ったことのある「美ヶ原」のようだけど、何も見えない。
 前を歩いていた人の姿さえ消えている。目をこらす。ガスだ。人も木も、山も森も岩も、何にも
 見えない。動こうにも、動けない。道が見えないのだ。
 このガスは、すぐに晴れるのか、それとも・・・永遠ということは、まさかないだろう・・・
 と思ったあとから、ひょっとしたら、もう晴れないのかも、というよからぬ思いがわいてきた。
 
 それより、なぜ私はここにいる?
 ここまでたどり着いた過去の経過が、私の頭から全く欠落していた。
 視界ゼロのガスの中で、ひとりたたずんでいた。
 「今、動くのはよそう。歩き回ればかえって危険だ。山のガスも霧も、時間がたてば晴れると決まっ ている。その後のみごとなパロラマを思い描いて、待とう」と決めた。
 ガスが晴れないまま、夢はさめた。
 
 その時私は、進路を決めかねていた事を思いだした。今は動くなという事だろうか・・・?



三、橋がたわみ始める

 ここは、どこだ?。この川はなぜこんなに広い?三途の川はもっと狭いと思っていたのは、間違い
 か?
 橋の中央で私は、今いる所を確かめた。心当たりのない場所だ。
 ん?橋が川面に少しづつ落ち始めていやしないか?
 私が重いのか?
 私は身につけている物で、重いと思われるものを全部川に捨てはじめた。
 いつ、こんな物を身につけたのだろう。アクセサリーの全ては川に投げた。
 ダイヤの指輪?こんな物、いつ買ったのか・・・、身におぼえはないが、今は無用だ。
 とにかく、身を軽くしなければ。体から全部はぎ取って、川に投げた。
 橋はとみると、川面すれすれに落ちている。さらに下降していくではないか。
 「これ以上もう、はぎ取れない!どうすれというのか!」

 私は名もない、貧しい者だ。♪ぼろは着てても、心の錦~、どんな花よりきれいだぜ~
 なぜか、橋の上で「水前寺 清子」の唄をうたった。
 そのような心ずもりで、生きてきたつもりだと、訴えたかったのかもしれない。
 この世に生きてきて、身につけた「副産物」。つまり社会的立場だとか、身分だとか、学歴
 だとか、収入の額だとか、人に誇るものは何も持たずに今日まできたと思っていた、が、
 もし違っていたら許してください・・・・。

 橋は徐々に上に向かって元にもどり始めていた。
 ああ、三途の川を渡りきるのも、楽じゃあないんだ。としみじみ思ったものだ。
 目がさめたのは、そんな時だった。




いま、思い出すことがある。
あの織田信長の娘「聖女」(ひじりめ)の言葉だ。
霊界において、自分は「けしつぶごとき者」と言い切る彼女の言葉は、彼女なりの「さとり」以外の
なにものでもない。
天下の覇者「織田信長」の娘という身分も、女だてらに教育された「帝王学」も、霊界では通用しない
ことを、彼女は知ったのだった。
この世で身につけた事すべてを、「副産物」とは言わないまでも、何を基準として「人として」通用
させるかは、あの世とこの世で大きく違うことを、思い知る。


さて、いろんな夢をみて、その時とっさに感じたことが、多分「答え」だったのでしょうが、今に
して思えば、未熟な私を叱咤激励したありがたい夢であったか・・・と感謝している。
皆様も、たかが「夢」と言わずに、何かの暗示と思し召して、日々精進されることを、お祈りいたし
ます。