先週は、三浦半島で鵯越の逆落としについて書きました。平家滅亡の地上での最後の戦いは六甲山の西端、須磨の一ノ谷の戦いと言われています。義経率いる三浦の家臣団が鵯越の逆落としで平家軍を混乱に陥れ潰走させたとされています。今日は、須磨から六甲全山縦走路に入り、一ノ谷を尾根から眺めてどこから駆け降りたのか、その場所を見ながらコース途中にある鵯越という駅を目指しました。
今日は最初に地図を示します。Sが縦走スタート地点の須磨浦公園です。一ノ谷はこの右、それほど広くない山と海に挟まれた、平家がここに布陣した訳がよくわからない場所です。Gが今日の目的地、鵯越駅です。
須磨浦公園から遊歩道を最初のピーク鉢伏山(260m)目指して登り始めます。寒気が日本全体に入り込んでいますが、大阪から神戸のこの一帯は日本海からの雪雲も入らず良い天気です。淡路島や紀伊半島までよく見えます。
東を見るとこのような地形になっています。分かり難いですが山裾が、平家最後の戦い、一ノ谷の戦いが行われた一ノ谷です。その向こうは神戸、大阪へと開ける平野ですが、結果的にこの狭隘な場所に追い込まれてしまったのかと想像します。
視界は良好、紀伊半島が見えます。天気は良くて日差しも暖かいのですが、北西から吹き上げる風は強く冷たい。おそらく尾根筋では10mほどの風速で体感気温は氷点下です。
最初のピーク鉢伏山です。ここと次のピーク、鉄拐山(てっかいやま)との間が、一ノ谷の上になります。義経はこの辺りから鵯越の逆落としと言われる急襲をかけたのではないかと思い、その場所はどこなのかと探します。
写真では斜度がよくわかりませんが、相当な急斜面です。ただ、ご覧のように雑木林に覆われ、馬でここを駆け下ると言うのは現実的とは思えません。
今日2つ目のピーク、鉄拐山です。このピークの下に、鵯越古道があり、そこから駆け下ったと言う説もあるそうです。
この下が一ノ谷、今日は美しい眺めです。その昔、平清盛はここに福原という都を築こうとした訳ですが、夢と潰えました。
その後、高倉山のピークを踏んで高倉台団地を通り抜けます。この六甲全山縦走路の最初の部分は町の通過が多いです。今日は、この高倉台団地、横尾団地、源平町と、3つの市街を通りました。神戸市は六甲の南面に広がり、山の際や、北に抜けるコルにまで街が広がっています。これらの町は、ほとんど山岳都市と言ってもよいくらい坂の多い、足腰が鍛えられそうな街並みとなっています。
栂尾山、横尾山を超えると馬の背と呼ばれる花崗岩の岩場があります。
神戸の街のなかに、このような場所があります。都会の低山とはいえ、実感として、相当緊張しました。
今日最後のピーク高取山。ここの山頂は、高取神社奥宮となっています。
鉢伏山、鉄拐山、高倉山、横尾山と歩いてきました。
東には神戸、大阪の眺望が広がります。西は六甲、北は丹波、丹後、東は湖北、鈴鹿、南は紀州の山々に守られて、雨や雪が少ないことを感じています。この寒気の中でも、兵庫北部の大雪をよそに、ここは良い天気です。
六甲の山でも雑木林が荒廃している場所の再生を試みています。森の再生は、鹿や猪などの野生動物との戦いですが、ここでは猪です。住宅街に囲まれた山ですが、野生動物が生息しているようです。これはこれで守っていかなければなりません。
交流の森、多くの方々が植林を学べる場所のようです。
スタートから4時間かけて鵯越の駅までやってきました。町名も源平町、字ヒヨドリゴエ、です。あの一ノ谷からは10km以上離れています。ここから源義経が一ノ谷の平家軍に襲い掛かったとは思えません。鵯越は、まさにこの場所で、神戸側から六甲の北に抜ける街道筋でした。ヒヨドリがこの尾根を越えていくことからこの名前が付いたそうです。
縦走路にこの駅があります。平家滅亡の最後の戦いは、この鵯越から攻めかかった本隊と、鉄拐山あたりから急斜面を駆け下り襲いかかった義経の別動隊が挟み撃ちにして源氏の勝利となったというのが定説のようです。鵯越の逆落としといえば、義経のパフォーマンスとされていますが、どうやら義経伝説でミックスされてしまったようです。
2週続けて大河ドラマの舞台を訪ね、現地を歩き、地形を見ることで当時の様子を少し、感じる事が出来ました。風は強く冷たかったですが、日差しは着実に春に向かっています。大雪の北陸や北海道にも、もうすぐ春が来ます。
しかし、昔はあっちこっちに古戦場があってイノシシや鹿を見つけたら弓で打って焼いて食べていたのでしょう。
人も転がっていたと思うとゾッとしますが歴史の「氣」を感じてしまいますね。
加藤文太郎の足跡を辿る山旅配信宜しくお願いします。