Takの山行記録とバイオリンとかAIとか

山行記録に加えて必死に練習中のバイオリン、必死に勉強中のAIについて

山麓から登る富士山~宝永山

2015-05-30 16:36:16 | 日記

家から近くて、大きい山、先週から悩んできたのだが、あるじゃないですか、富士山。富士山と言えば、山開き後のすさまじい人、人の波と、満杯の山頂宿泊施設のイメージで、登る山と言うより、遠くから眺めて喜ぶ山、というイメージだ。一度は登りたいが、あまり気が進まない。ここに「山麓から登る富士山」(佐々木亨さん著)という本がある。広い富士の樹海を下から登り、山頂を目指す、良い感じだ。しかも、たくさんのコースがあり、それぞれのシーズンで楽しめそうだ。今日は、裾野ICから富士エバーグリーンライン、という聞いたことのない有料道路を1,400mまで車で上がり、水ケ塚駐車場から登山道にはいり、5合目を目指すコースとした。初めて富士山に近付くため、要領は全く分かっていない。例によって、行き当たりばったり登山だ。写真は、裾野から見た富士の雄姿。今日は、これが見納めとなった。良く見ると、ど真ん中に、大口が開いている。これは、宝永年間の大噴火の火口跡だ。意図したわけではないが、今日はこの火口を回るルートとなり、右に見える小さな山、宝永山に登ることとなった。この山頂で2,693mもあるのだ。富士山は大きい・・。(ちなみに火口最上部が七合目)

5月30日、今月最後の山行は富士山を下から登る初めての試みとした。朝5:30湘南海岸の七里ガ浜より富士山を望む。今日は良い天気だ。

7:10水ケ塚駐車場より。もうガスがかかり始めた。昨夜、関東、東海は大雨だったため、湿った南風がガスをかけるかもしれない。この水ノ塚は標高1,448m、須山登山道の1合目にあたる。何合目、というが、ルートによってスタートが違うため、同じ標高でも異なる合目になることを、今日知る。今日目指すのは須山登山道の4合目(2,352m)、宝永第二火口下部となる。富士宮ルート五合目(スカイライン終点の登山基地)の右わきとなる。ここから折り返し、火口をはさんで反対側の須山口下山道を下り、須山御胎内と参詣して水ノ塚に戻るコースだ。コースタイムは5時間50分なので、ちょうどよいと思われた。

駐車場からスカイラインをはさんで反対側の登山道入り口から、広葉樹林帯を進む。溶岩からできている山だけに、樹木はあまり深く根を張らないようで、倒木も多い一合目の次が、一合五勺、とあり思わず日本酒の熱燗を思い出す。山頂は、一升か?

富士の中腹は春まっ盛り、ツツジも満開で、なにやら知らない植物たちが新しい芽を出している。広葉樹林帯がカラマツの林に変わってしばらくすると、森林限界となり、砂礫の斜面となる。富士山といえば、のいつもの光景だ。

9:30、四合目到着。ここの表示は四合目ではなく、山体観測装置、となっている。少し早いので、さてどうしようかときょろきょろしていると、少なからぬ軽装の登山客が、五合目駐車場か来たのか、右手の宝永山に向かっている。75分、と書いてあるので、行ってみる。登りはガスがしっかりかかり、何も見えず、ひたすら砂礫の登りにくい斜面をよじ登る。

宝永山(2,693m)山頂。なんにも見えない。しばらく待ってもダメなので、下山開始。

するとどうでしょう!噴火口底部に着いた時、一瞬ガスが晴れた!これは火口上縁部、七合目付近。残念ながら、富士山頂は望めなかった。恥ずかしながら、自分の目の前が、大噴火口そのものとはこのときは分かっていなかったため、全体像のわかる写真を撮り損ねた。行き当たりばったり、とは、こういうことだ。

噴火口底部。ここから江戸に灰を降らせた。上と下が写真で繋がっていないところが惜しい!!

富士の這松は、カラマツ?か?落葉して、新芽が出ている。山頂方面からの強風をほうふつとさせる、この方向感。

こんなかわいらしい子たちも出てきました。

須山御胎内から水ケ塚に戻る道は、ブナやミズナラの広葉樹林帯をのんびり辿る。

2:00PM、水ケ塚駐車場。山頂部はガスに覆われているが、このあたりは晴天。

初めて、富士を、いわゆる五合目からではない、下から登るルートを歩いてみたら、なんとも楽しい山歩きであることがよくわかった。樹林帯あり、砂礫の高山帯あり、裾野は大きく、ルートもたくさんある。秋はカラマツの紅葉(黄葉)がすばらしくきれいだろう。春から晩秋にかけて、楽しめそうだ。実は、今日のコースよりもまだ下があって、ここも一度登らないといけない。そして、今年は、何とか富士山初登頂を目指すことにしよう。

 


茶臼岳~縞枯山 北八ヶ岳

2015-05-23 20:00:44 | 日記

5月23日朝、布団の中で考えた。寝坊してでも行ける山はどこか?明日日曜日は天気が悪く、WFPの行事もある。三浦アルプスか、丹沢か・・・。しかし、高度感のある、大きな山域も魅力的だ。かなり遠いが、北八ガ岳の麦草峠に行ってみよう!これまで触ったことのない山域だ。そこからどうする?まぁ、着いてから考えよう。写真は、南牧村から望む、八ヶ岳連峰。東から見た八ヶ岳だ。中央、堂々たる赤岳が印象的だ。南牧村は首都圏向けの高原野菜の大産地で、種まき、定植の真っ最中だ。おそらくレタス。

今日は、7時30分に自宅出発。中央高速須玉より、国道141号線で清里、野辺山を経て、佐久から299号線で麦草峠へ向かう。141号線は学生時代に合宿所のある飯山に向かうルートだった。当時は、中央高速は勝沼まで、関越自動車道も東松山までしか開通しておらず、いずれにしても相当な距離の下道を走るのが当たり前だった。冬の清里の夜は、道が凍って大変だったが、比較的晴れが多く、月がとてもきれいだった記憶がある。12時前に麦草峠に到着。すでに駐車場は一杯だったが、かろうじて停められた。この299号線は、八ヶ岳を南北に分ける。北と南の鞍部に当たるのが、この麦草峠になるのだが、標高は2,120m、冬は勿論通行止めだ。

麦草峠の駐車場と、八ヶ岳南側。奥の2つのピークは2年前の冬に登った天狗岳、東西のピークだ。

今日は、北八ヶ岳側にある、茶臼岳、縞枯山をわまる短いコースにした。昼出発でも、4時までには戻れるはずだ。南斜面をも登るわけだが、まだ雪が残っており歩きにくい。

1時間弱で茶臼山(2,384m)山頂。山頂は視界が利かないが、すぐ西側に、展望テラスがあり、南から西の方角が開ける。北から見た八ヶ岳連峰。奥に見えるのが赤岳(2,899m)。南西には南アルプス。甲斐駒ケ岳のピラミッドが立派だ。西には蓼科高原が広がる。

1時には茶臼岳を降り、次のピーク縞枯山(2,403m)へ向かう。シラビソが縞模様を描きながら枯れている。集団で世代交代をしているのだそうだ。振り返ると、背景に、八ヶ岳と南アルプスを従えた茶臼山。絵になる。

縞枯山山頂。視界も利かず、すぐに下山。その後、これまでの北行から東に方向を変え、雨池を通って南下、麦草峠に戻る。途中の大石川林道は落石のため北方向は通行止めだった。道が分かりにくく、雨池を素通りしてしまった。林道から麦草峠の戻る夏道は、冬荒れたままで倒木が多く、また笹が深くて分かりにくい。結構ひやひやしたものの、無事、峠に到着。3時間ほどの山旅だったが、そもそも標高が高いため、また天候もまずまずで良い景色を楽しむことができた。

原村(ペンション村で有名です。八ヶ岳の南西に位置する)から見た、甲斐駒ケ岳と八ヶ岳。今日は、八ヶ岳を一周し、東側(南牧村)、北側(茶臼岳)、西側(原村)それぞれの表情をじっくり眺めることができて、とてもよかった。東から見る赤岳が、山容が大きくて気にいった。最後は、中央高速から見える、富士山。写真はSAで撮ったものだが、小淵沢から甲府南までのあいだ、正面に富士山が見える。(助手席に、写真を撮ってくれるパートナーがいないのがさびしい)今回の帰り道は、諏訪南から高速に乗ったが、左に八ヶ岳、右に南アルプス、そして正面に残雪の富士山という贅沢なドライブだ。考えてみれば、八ヶ岳南麓は、小淵沢、富士見、原村など、別荘の多い地区で、この風景であるならば、なるほどとうなずけよう。往復500km、帰宅が7:30、運転時間8時間でも苦にならない一日でした。運転は、実は好き、かも。

 

 

 


滑落

2015-05-06 00:40:39 | 日記

ラク!その声で上を向くと、人が2人、滑落だ。あっ、と思って身を避けた20m右を、ブン、と猛スピードで転がっていった。5月5日、朝7時頃、涸沢から奥穂高岳に向かう、あの大カールの、穂高岳山荘のあるコルから200mほど下の急斜面に取りついていた。右上、急斜面の取りつき部分に2人、いることは何となく記憶している。何があったのか分からない。昨夜降った雨が、相当固く閉まっていたため、滑落のスピードが凄かったのだと思う。ザックとピッケルがばらばらに落ち、サックの中身も散乱していたので、恐らく、何かの準備をしていたときに、何か、不測の事態が起こったのかもしれない。1人が落ち、もう1人が巻き込まれたようだ。ザイテングラートの横、あずき沢を600m滑落、二人とも亡くなった。50代の男女だそうだ。

5日は、5時に涸沢ヒュッテを出発、奥穂高岳を目指した。昨日来の雨は予報通りあがり、天気は上々、これからどんどん良くなると思われる。涸沢カールはまだ一面雪に覆われ、直登が可能だ。早朝、2,300mの涸沢ヒュッテ近辺は、雪も適度に締り、アイゼンがよく効く。ザイテングラートを右手に高度を上げると、斜度もきつく、雪も固く締り、相当ビビる。コルまでもう少し、という、こんなときに事故は起きた。

昨夜は、ヒュッテで相当長い時間を過ごした。「岳」を3巻も読んだ。目の前で起こった出来事は、あのコミックの世界そのままだ。滑落し、外傷性ショック死。目の前を落ちていった人も、人形のように、手と足をばらばらに振りながら、いった。すでに意識はなかったのだろう。この時間、カール全体が、固く締まっていた。3時間後、同じ斜面は、春のザラメ雪に戻っていた。この状態では、あんな事故はありえない。ほんの限られた時間帯、一瞬のミスが、大事故になるのだ。

事故を目撃した直後、正直、ショックで、ただでさえビビっていたわけだから、もう、このまま下山したかった。でも、下るのもまた怖いので、とりあえずコル目指して登ることにした。何しろ安全な場所に行きたかった。コルには、穂高岳山荘がある。

ラク!今度はストックが降ってきた!やはり2人が滑落したあたりに3人見える。後でわかった話だが、この3人も相当危ない状況だったようだ。アイゼン、ピッケル無しでこの状況を降りようとしていた、韓国人グループ。何事もなく、本当に良かった。岐阜県警のレスキューの皆さんのおかげと思う。

コルまで登ると一気に快晴となった。下り斜面は陽が当たれば緩む。その間、当初目的の奥穂高岳に向かう。梯子と鎖で最初の直登を登ると固い雪の急斜面が現れる。今日のショッキングな状況ではもう、無理!あえなく撤退。雪の全く付いていない反対側の涸沢岳に登って心を癒すことに。そこからは360度の大パノラマが!天気最高、眺望最高の山行だった。下山も雪は緩み、危険を感じることもなく、むしろあんなことが起こったということ自体信じられない状態で、今、こうしてブログを書いている。しかし、今日を境に、何かが変わった。山は怖い。これからは、もっとビビって山に向かうことになるのだろう。でも、それでよいのだ!

朝の穂高連峰。左の白いコルが、今回の舞台。この左手が穂高連峰の主峰、奥穂高岳(3,190m)、コルをはさんで右が涸沢岳(3,110m)さらに右のキレットをはさんで北穂高岳(3,106m)。コルの右下の細長い岩稜がザイテングラート。この右横を滑落していった。

涸沢から見た北穂高岳。下には色とりどりのテント村が開業中。この右には涸沢山荘もあり、朝7時と言えば、多くの人が、テントやテラスから、雄大な穂高連峰を眺めていたことだろう。その、多くの人たちが見ている場所で、まさに事故は起こった。

コルから見下ろすとこうなる。すぐに急斜面となり、事故現場は見えない。おそらく、下山しようと急斜面まで行ったところで、固い斜面と強い風に、何らかの対応をしようとしたのではないか。

登頂を断念した(ビビった)奥穂高岳山頂部。反対の涸沢岳より。表情もビビっている。

今回もCobb氏に同行をお願いした。槍ヶ岳、圧巻の雄姿。

奥穂高と背後のジャンダルム(3,163m)。

北穂高。ここへの縦走は困難を極める。

標高2,983mの穂高岳山荘。4月末からの営業再開、岐阜県警の皆さんが常駐している。穂高連峰は難易度が高く、遭難も頻発する。

この斜面、斜度感は伝わらないが、ここを流れた。

放心状態の図。

最後は、上高地の明神池ほとりの、穂高神社奥宮に参拝。北アルプス一帯をつかさどる神宮で、奥穂高山頂にも御宮がある。ここでこれからの安全登山を祈願して、今回の活動は終了。気を取り直してまた行くぞ!!次回をお楽しみに。