Takの山行記録

私が登った山やアウトドア活動の記録です

六甲縦走 穂高湖とシェール槍

2022-02-26 22:56:00 | 関西の山
先週の天候の悪さと打って変わり、関西も今週末は良い天気になりました。冬場の関西は近くの低山をまわると決めていますので六甲全山縦走路を、前回の鵯越から辿ります。鵯越の駅から、菊水山、鍋蓋山、摩耶山と縦走し、記念碑台から阪急六甲に降るルートです。


鵯越の駅からは、静かな山道を歩きます。朝の日差しが差し込んで実にのどかな里の散歩という感じです。鵯越までは鉄拐山や横尾山を越えるたびに高倉台や横尾の住宅街を通り、山歩きと街歩きが混在して山の雰囲気に浸れませんでしたが、今日は最初から良い感じです。

六甲では至る所に水害を防ぎ、水を蓄える施設があります。今日の最初のピークは菊水山ですが、手前には鳥原川があり、その急流をコントロールするための鳥原堰堤があります。菊水といえば、僕の大好きな日本酒の一つが、菊水ふなぐち、です。これは新潟のお酒なので違いますが、この六甲の水を使って有名なのが灘の酒です。摩耶山を源流とする都賀川、石屋川には沢の鶴や福寿、住吉川、芦屋川には白鶴、菊正宗、剣菱、凪川には白鹿、島美人、武庫川には日本盛など、有名な倉元が集まっています。


菊水山山頂からは神戸の港が一望できます。逆光なのと霞がかかり、いつもと違う風情です。

菊水山から次のピーク、鍋蓋山に向かう途中で、菊水山のピークが見えます。この角度で眺めるのが最も山姿が良いのではないかと思います。
ここにも堰堤が。ここで蓄えられた水も、やがて新湊川となって、須磨と神戸の間の大阪湾に流れ込みます。

今日二番目のピーク、鍋蓋山。

鍋蓋山山頂から今日登った菊水山、前回須磨から登った西六甲の山並みが一望できました。

今日の三番目のピークは摩耶山でした。ここは1月に登ってたので眺望の効かないピークはパスし、掬星台で昼食休憩としました。さて、ここから六甲山最高点(六甲山という山は実はなくて、標高の最も高い場所をこう呼びます)までは未踏のエリアなのですが、縦走路は山道ではなく、立派な自動車道路となります。全長56kmの縦走路を1日で踏破しようと思うなら、この道は歩きやすく、また走りやすく便利なのでしょうが、山歩きとしては残念な感じです。そんな立派な道路から少しそれたところに、穂高湖とシェール槍があります。興味惹かれる名前です。この堰堤は穂高湖を堰き止めています。


穂高湖側から見たシェール槍です。確かに山頂付近が岩場になっていて槍の穂先に見えます。
穂先へは急な岩場をよじのぼりますが、北アルプスの槍ヶ岳を思ってこの名前をつけたことが偲ばれます。

穂先から見る摩耶山。ここからも良い姿を見ることができます。

穂高湖全景。
穂高湖の名称は、やはり北アルプス上高地の大正池に雰囲気が似ているため付けられたと言われていますが、雰囲気はあります。また、このまわりを散策することをこよなく愛したという、ドイツ人のシェールさんという方にちなんでシェール槍、と呼ばれるのではないかというのが通説です。明治、大正の時代、山登りは限られた人たちの遊びであり、北アルプスは憧れの地であったことでしょう。日本の近代登山が明治の初期、この六甲山から始まったと言われるその歴史の中で、穂高湖やシェール槍という名前が付いたということは、容易に想像できます。予定外の穂高湖、シェール槍を登ったことで日本の登山史を思い起こすことになりました。

縦走路はここまで。余裕があったので先まで行って有馬温泉にでも寄ろうかとおもましたが、親切な方が、有馬へ下るロープウェイは冬季休業中、登山道も途中で通行止めと教えてくれて助かりました。

2日前にコロナワクチンのブースターショットを打ちました。ファイザーからモデルナへの混合でした。やはり、体調は良いとはいえず、青息吐息で麓まで辿り着き、餃子の王将で餃子ビールでエネルギーチャージしました。相変わらず旨いのですが、餃子2人前、生ビール2杯で1,200円というのはありがたい安さですが日本のデフレも終わらないと改めて思ったわけです。次回は、六甲全山縦走最終回で、記念碑台から宝塚を歩きます。











塔ノ岳 丹沢山 鍋割山

2022-02-13 10:38:00 | 日記


関東は今年2度目の降雪となりました。神奈川県南部の丹沢もすっかり雪景色となり、この雪を目当てに多くのハイカーがやってきます。僕もその中の1人です。

冬の丹沢は、空気が澄んで関東平野から、房総半島、伊豆半島の先の大島、南アルプスはもちろん、八ヶ岳と北アルプスも遠望できます。雪の後は、雪化粧もさることながら、空気の透明度が上がって最高の景色が楽しめます。


富士山の姿も素晴らしいですが、その右に広がる南アルプスは甲斐駒ヶ岳から北岳、赤石岳に至るその全貌を見せてくれます。何度来ても飽きることはありませんが、今日も全方位、最高でした。


こういう日は、丹沢の峰々をつなぐ尾根歩きが素敵です。紅葉樹の葉は落ち、視界がひらけます。日差しは既に春を感じさせ、もうすぐ始まる新緑の季節を予感させます。今日は、少し足を伸ばしていつもの塔ノ岳から丹沢山と鍋割山をつなぐ尾根を歩いてきました。


視界の良い尾根からはいつもとは違う風景を楽しめます。写真は南関東の名峰、大山ですが、この角度では秀麗な三角形の山姿を視認できます。この山は江戸の昔から、相模の大山詣として人気の観光スポットで、今ではケーブルカーも設置されていて老若男女、子供でも登れます。新幹線や東名高速からは、大山が目の前に見えて、他の山はその後ろ、影に隠れてよく見えません。南関東の人々はこの大山を眺めて生活をしていたのでしょう。


丹沢は富士山の東に位置していますが、どこからでもその姿が見えるわけではありません。山頂から眺望が良いのは主脈と呼ばれる、塔ノ岳、丹沢山、蛭ヶ岳です。
今日のこのハイキングにあたり、問題がありました。それは、雪用の装備一式が大阪に置かれていて手元にないことでした。結局、トレランシューズにランニング用のウインドブレーカー、30年まえのニット帽といういでたちで登ることになりました。神奈川県とはいえ標高1600mあたりを歩くわけですから気温はもちろん氷点下、日の当たる場所では雪が凍結して滑ること間違いなし、ダメなら引き返すつもりでした。結局、雪は全般的に締まっていて歩きやすく、困ったことにはなりませんでしたが、いい年をして相変わらず用心が足りないようです。他のハイカーさんたちは、ほぼスパッツにクランポン装着と完璧でした。年を重ねて、いくらか思慮深くはなったのかも知れませんが、しかし、そうではない行動、勢いでやってしまうことが相変わらず多いようで大いに反省すべきです。


鍋割山山頂にある鍋割山荘では、鍋焼きうどんが有名です。僕もここで食べることを楽しみにしていました。気持ちの良い、塔ノ岳からの尾根を歩いて山頂に着くと、外でうどんを食べる大勢の方々に遭遇しました。30人ほどはいたと思いますがその光景と、お値段に気圧されて食欲を失いました。この鍋焼きうどんを食べるのが楽しみで登って来られる方も多いと聞きます。コロナで山小屋の経営も大変な中、小屋の方、外で気にせず食べられるハイカー双方にとってありがたい一品かもしれません。

丹沢は神奈川県の水源で、水質も良く、自宅では水道水をそのまま飲んでいます。鍋割山からの下山は谷沿いに急降下して四十八瀬川に出逢います。山歩きの楽しみのもう一つは、多くの沢に出会い、源流から河口までの経路を地図で辿ることです。今日の四十八瀬川は、塔ノ岳と鍋割山を源流として、その後、中津川、川音川となり酒匂川(さかわがわ)となって小田原の相模湾に流れ込みます。この川沿いを歩いたのはほんの2km程度でしたが、砂防ダムが整備されまた、周囲の山林もよく整備されて清流が守られていました。整備されて清流が守られるというのは変な言い方ですが、ここでは人が手を入れないと山林や清流が保てない、急峻で崩壊しやすい場所でもあるということでしょう。
今日は少し長い距離を歩いてみました。最高の眺望と雪景色、尾根を滑りながら歩く感触、素晴らしい1日でした。そしてもう少し、思慮深く、用心深い大人になろうと改めて思った1日でもありました。










鵯越(ヒヨドリゴエ)の逆落とし 須磨アルプス

2022-02-05 22:40:00 | 関西の山
先週は、三浦半島で鵯越の逆落としについて書きました。平家滅亡の地上での最後の戦いは六甲山の西端、須磨の一ノ谷の戦いと言われています。義経率いる三浦の家臣団が鵯越の逆落としで平家軍を混乱に陥れ潰走させたとされています。今日は、須磨から六甲全山縦走路に入り、一ノ谷を尾根から眺めてどこから駆け降りたのか、その場所を見ながらコース途中にある鵯越という駅を目指しました。

今日は最初に地図を示します。Sが縦走スタート地点の須磨浦公園です。一ノ谷はこの右、それほど広くない山と海に挟まれた、平家がここに布陣した訳がよくわからない場所です。Gが今日の目的地、鵯越駅です。


須磨浦公園から遊歩道を最初のピーク鉢伏山(260m)目指して登り始めます。寒気が日本全体に入り込んでいますが、大阪から神戸のこの一帯は日本海からの雪雲も入らず良い天気です。淡路島や紀伊半島までよく見えます。


東を見るとこのような地形になっています。分かり難いですが山裾が、平家最後の戦い、一ノ谷の戦いが行われた一ノ谷です。その向こうは神戸、大阪へと開ける平野ですが、結果的にこの狭隘な場所に追い込まれてしまったのかと想像します。


視界は良好、紀伊半島が見えます。天気は良くて日差しも暖かいのですが、北西から吹き上げる風は強く冷たい。おそらく尾根筋では10mほどの風速で体感気温は氷点下です。


最初のピーク鉢伏山です。ここと次のピーク、鉄拐山(てっかいやま)との間が、一ノ谷の上になります。義経はこの辺りから鵯越の逆落としと言われる急襲をかけたのではないかと思い、その場所はどこなのかと探します。


写真では斜度がよくわかりませんが、相当な急斜面です。ただ、ご覧のように雑木林に覆われ、馬でここを駆け下ると言うのは現実的とは思えません。
今日2つ目のピーク、鉄拐山です。このピークの下に、鵯越古道があり、そこから駆け下ったと言う説もあるそうです。

この下が一ノ谷、今日は美しい眺めです。その昔、平清盛はここに福原という都を築こうとした訳ですが、夢と潰えました。


その後、高倉山のピークを踏んで高倉台団地を通り抜けます。この六甲全山縦走路の最初の部分は町の通過が多いです。今日は、この高倉台団地、横尾団地、源平町と、3つの市街を通りました。神戸市は六甲の南面に広がり、山の際や、北に抜けるコルにまで街が広がっています。これらの町は、ほとんど山岳都市と言ってもよいくらい坂の多い、足腰が鍛えられそうな街並みとなっています。

栂尾山、横尾山を超えると馬の背と呼ばれる花崗岩の岩場があります。

神戸の街のなかに、このような場所があります。都会の低山とはいえ、実感として、相当緊張しました。
今日最後のピーク高取山。ここの山頂は、高取神社奥宮となっています。

鉢伏山、鉄拐山、高倉山、横尾山と歩いてきました。

東には神戸、大阪の眺望が広がります。西は六甲、北は丹波、丹後、東は湖北、鈴鹿、南は紀州の山々に守られて、雨や雪が少ないことを感じています。この寒気の中でも、兵庫北部の大雪をよそに、ここは良い天気です。

六甲の山でも雑木林が荒廃している場所の再生を試みています。森の再生は、鹿や猪などの野生動物との戦いですが、ここでは猪です。住宅街に囲まれた山ですが、野生動物が生息しているようです。これはこれで守っていかなければなりません。

交流の森、多くの方々が植林を学べる場所のようです。

スタートから4時間かけて鵯越の駅までやってきました。町名も源平町、字ヒヨドリゴエ、です。あの一ノ谷からは10km以上離れています。ここから源義経が一ノ谷の平家軍に襲い掛かったとは思えません。鵯越は、まさにこの場所で、神戸側から六甲の北に抜ける街道筋でした。ヒヨドリがこの尾根を越えていくことからこの名前が付いたそうです。

縦走路にこの駅があります。平家滅亡の最後の戦いは、この鵯越から攻めかかった本隊と、鉄拐山あたりから急斜面を駆け下り襲いかかった義経の別動隊が挟み撃ちにして源氏の勝利となったというのが定説のようです。鵯越の逆落としといえば、義経のパフォーマンスとされていますが、どうやら義経伝説でミックスされてしまったようです。

2週続けて大河ドラマの舞台を訪ね、現地を歩き、地形を見ることで当時の様子を少し、感じる事が出来ました。風は強く冷たかったですが、日差しは着実に春に向かっています。大雪の北陸や北海道にも、もうすぐ春が来ます。