特にこれと言ったコンセプトのないブログ 2015年10月意識低い系を宣言。

私の辞書に努力と継続と言う文字は無い。
1999年人類滅亡を信じて生きてきたが
その後も惰性で日々を送っている。

記憶、思い出等々

2008年10月14日 | フィリピン
悲しい別れと悲しくない別れ。別れとは前者のことだと思う。悲しくもない別れは別れと呼ぶには不適切だ。別れの予感に悲しさを感じたのなら、それは別れの始まりだ。悲しいという感情が良い思い出へと変容するには、時間が必要だ。それの経過だけが唯一の解決策なのかもしれない、少なくとも出会いが無ければ別れも無い。出会いがあるということはその当事者がお互いの存在を認め合いその時間を共有したことがあったのだ。幸いにも人間には忘却という機能も備わっている。もちろん完全に消し去ることはできないし、またそうする必要もないのだ。

最近思うのだが生きるということは、こうやって記憶を積み重ね、塗り替えていくことの連鎖なのだではないだろうかとうことだ。もし今から数年後に、あの頃何をしてたのか良く覚えていないということになるとしたら、それはそれで何も無かったという記憶であるのだろうが、やはり何か思い出せて、たとえそれが感傷的な気分を引き出し、時には嫌な気分になったとしても、単純な日々を繰り返すだけの何もなかったような日々を思い出すよりははるかに素晴らしいのではないだろうか。


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