特にこれと言ったコンセプトのないブログ 2015年10月意識低い系を宣言。

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その後も惰性で日々を送っている。

Inceptionをみて自分の英語力に自信をなくす。

2013年01月27日 | 映画

実は去年一度この映画を見たのだが、よくわからなかった。要はあらすじを話せないのだ。

基本的に英語の映画を見る時は日本語の字幕を見ないことにしている。ただそれだけだとわからない部分もけっこう多いので英語の字幕を併用している。まあそんなわけで、わからない一番の理由は自分の英語力の問題なのだろう。つまり自分の英語力程度では一度このちょっと複雑な映画を見ただけでは理解できないという厳しい現実を確認したということだ。

わからないながらも内容がおもしろそうだったのとそのままにしておくのも悔しいので、暇があるときにもう一度見てみようと思っていたらあっという間に年が明けてしまった。

 

今回も正直よくわらなかった。もしかするとあと3回くらい見ればわかることもあるのかもしれない。

 

追記

結局もう一度見た。これで3度目だ。しかし我ながら暇だね~(笑)←かなり自嘲気味。

映画の中で他人の夢の中に入り込む理屈を説明してようなシーンもあったのだが、今回もイマイチよくわからなかった。

ハリウッド娯楽映画品質とはおもえない安直なデヴァイスや都合のよいパワフルな鎮静剤も鍵なのだろうが、そこら辺は勝手に想像してくれという曖昧な部分もあるのでは?

 

冒頭シーンは終盤のシーンの続きなのだろうが、あそこからいきなり時を隔てたシーンに飛ぶ。もっとも日本人の俳優が遠い昔のことだが、そのコマのことを覚えていると言っていたので、そこから先が回想への入り口だという区切りだったのかもしれない。まあラストシーンを冒頭で見せるのは映画の技巧としては常套手段なのだが、この作品ではそこの区切りをあえて瞬時に行い不明瞭にすることで「ンッ?」という気持ちにさせ話に引き込もうとしているように思える。もっともこれで脱落する人も少なくないのではないだろうか? 

 

自殺したコボの妻

これもまたよくわからない。妻は現実の世界にいるにも関わらず夢の世界にいると思い込んでしまった理由がつかめなかった。多分コボと妻の二人で交わした複雑な会話を理解できていないのだろう。

 

白人にしては顔が東洋人的にアッサリしている女優が演じていた優秀な女学生

むさ苦しい男だけのシーンを減らすという意味の他には、この登場人物の役割もよくわからなかった。夢の世界でコボからいろいろ説明されていた。それを通じて映画を見ている側にもいくらか夢の世界の仕組みがわかるようにすることが最大の役割かもしれない。

 

映画として一番よかった点は

ラストシーンでまわしたコマが回り続けている状態で映画が終わっている点だ。これも夢の中の夢なのでは?と思わせて終わる。ありきたりの技巧と言えばそれまでだが、コマの回転が減退してバランスを崩しコトッと倒れて終わるすっきりしたハッピーエンドより好きな演出だった。

多分日本語の字幕で見ればもう少し、わかる部分も増えると思う。次回は日本語字幕でみるのもいいかもしれない。

 

 

懐古

そういえば今から約30年前アメリカに渡って一年目にHBOという映画専門のケーブルテレビ局でBack to the futureが放送していた。

そのころは英語の聞き取り能力が皆無に等しかったので、あの博士がなぜ冒頭で射殺されるのかがわからなかった。

その1~2年もう一度同じ映画を見たら、冒頭のテレビニュースの内容でその理由がわかることがわかった。

あの時は本当にすっきりしたと同時に英語の聞き取り力が向上したことにちょっとうれしくなったことを思いだした。

いつの日かインセプションを見直して同じようなことを思う日がくるのだろうか?

I don't think so.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当のことを言うと American History X(1988) のような映画について書いてみたいのだが、簡単に言うと重すぎて自分で書いていてもInceptionとは違う意味でわからなくなりそうなので、次回は The Battleship について書こうかと思う。  

 


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