マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

神の怒りと呪い

2007-10-18 11:20:15 | 教会の風景
祈祷会では先週から新しいテキストを使っている。
  「イエス・キリストの受難」 
ジョン・パイパー 著 藤本 満 訳  いのちのことば社

先週は「はじめに」を導入として読んだ。
イエス・キリストの十字架の死の目的を学んでいく。
50項目が挙げられているので1回1項目のペースで、これからほぼ1年かけて教会のみなさんとじっくり味わっていきたい。

初回は「神の怒りを吸収するため」というタイトル。
本文を輪読。

参照している聖書の言葉は・・・

「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれたものである』と書いてあるからです。」(ガラテヤ3:13)

「神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。」(ローマ3:25)

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(ヨハネⅠ 4:10)

要点を押さえるため、本文を読む前に「キーワード」となる言葉を探すヒント。

① 神のご性質(神はどのようなお方か?)

② 私たちの心の状態(神に対する私たちの態度は?)

③ 神と私たちの関係(神と私たちの本来の関係は?)

④ イエス・キリストの十字架の死の目的(①、②、③を踏まえて)

      ↓

本文を読んだ後、簡単な解説。

① 神は義なる方であり、愛なる方。

② 私たちの心は、神以外のものをより愛する。それが罪の本質。

③ 神は、ご自分の義のゆえに罪に対して怒り、呪う。

④ キリストは十字架の死で、神の怒りと呪いを受けられた。
  (御子は怒りを吸収するためのなだめの供え物となられた。)

神は、私たちに対するご自分の怒りと呪いをどこかに投げ捨てられたのではない。また、ご自分の内でグッとこらえたのでもない。
それを御子に向けられたのである。
私たちに対する神の義と愛が御子の死によって調和したとも言える。


最後に参加者おひとりおひとりから感想を頂いた。
自分の罪の重さを自覚することと神様の愛の大きさを知ることは、切っても切れないつながりがあることを再確認することができた。

主の十字架の死によって成し遂げられた救いを感謝して祈祷会を閉じた。

   

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