鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

人口は減っても鷹泊の田畑は維持されているように思えた。

2018年11月30日 | Weblog

鷹泊駅跡から南東方向の三号沢方向を見やると、ずっと遠くまで道が続いていた。道の周囲は水田が続いていた。今も周囲の田畑は耕作されているようだ。人口が激減した鷹泊であるが、見た限りは、水田からソバ畑に変わったところはあっても、地区によっては問題になっている耕作放棄地になったところは見当たらない。人口減少を1戸あたりの耕作面積増加でカバーしていると思われる。

目の前の田圃の周囲にロープ(に思えた)が張られていて、危険を知らせる黄色いタグがぶら下がっているのに気付いた。この田んぼの畔を通ると旭団体への近道だったので、昔は何回か通過した場所である。山の向こうには旭団体があり、そこでのイチゴ狩りに毎年のように出かけたことを思い出す。

写真は三号沢の水源方向を眺めて。旭団体は写真には写っていない右の奥にあたる。


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