たとえばトンビに空からフンをかけられたとする。今なら「アララ、ついてないな」という話だが、もし鎌倉時代の裁判の当事者だったら大変だ。所領を取り上げられたり、有罪になって厳罰を受けたりしたかもしれない。
そのころの裁判では当事者が「(起請文きしょうもん)」といわれる宣誓書を書き、その主張にうそのないことを神仏に誓った。だがこの起請文を出した人物の身の上に、ある期間内に「(失しつ)」と呼ばれる不祥事が起きると誓約は裁判で偽りと見なされた。トンビのフンはその失の一つであった。
御成敗式目追加で列挙されている失はその他に、ネズミに衣服を食い破られる、鼻血が出る、新たに病気になる、飲食の時にむせる、乗っている馬が死ぬ、父や子ら身内が罪を犯す--などなどである。失は神意の表れと受け取られたのだ。
このような決まりは当時の裁判が神による裁きだったことを示している。だが今や裁判での真偽は裁判官が判定せねばならない。神に代わって法の裁きを下す人が、それにふさわしい職業倫理の起請文を胸に刻んでいてほしいのは、法治国家に暮らすすべての人が求めるところだ。
なのに宇都宮地裁のベテラン判事が、20代の女性裁判所職員へのストーカー行為の疑いで警察に逮捕された。こちらの失はトンビやネズミの仕業ではない。自らしつこい匿名メールを送りつけた容疑である。現職裁判官の逮捕は3例目という。
ちょうど1年後に裁判員制度が始まるという日に伝えられた「裁判官の失」である。裁判に国民の血を通わせようという改革の近づく今、この不祥事が司法そのものの信頼を覆すトンビのフンとなりはしないか気になる。
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