私がオリンピックの聖火で知っていることは、ギリシャのオリンピアで聖女たちの手によって点火された聖火は、世界中を周り開催国に送り届けられるということである。カリフォルニアで聖火ランナーが走ることになった。中国のチベット問題が飛び火して、カリフォルニアの聖火ランナーが、走る直前になってコースを変更した。聖火ランナーが目の前を通ることを期待して、待っていた市民たちは、だまされたわけである。聖火ランナーはあらかじめ決められていた、海岸のコースへは行かないで、建物の中へ入っていったのである。このことにより、チベット問題で講義しようとしていた人々の手は、免れて問題は解決したかに見えるが、市民を欺いてまで、コースを変更したことは、オリンピックの聖火の精神に合致しているのだろうか?
私はオリンピックといえば東京オリンピックを思い出す。中国のチベット問題と言えば日本で言えばアイヌ問題にあたるのだろうか。アメリカで言えばインディアン問題か。オーストラリアで言えばアボリジニ問題か。いやいや、もっと根深いところに、中国人とチベット人の人種差別があるように思う。
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