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東京都世田谷区・水島眞子(主婦・47歳)
 今朝は少し強い雨だったので、夫と長女を車で送ることにした。いつもは私と一緒に、バスと電車で1時間ほどの特別支援学校に通学する次女も乗せて。
 駅で2人を降ろし、渋滞気味の道を30分ほどかかって次女の学校へ到着。玄関で担任にあいさつをして、私はまた車に乗った。いつもなら電車で読書しながらの帰路だが、この、一人で運転する時間も好きだ。
 私は登録型のホームヘルパーの仕事をしている。朝と午後に次女の学校送迎がある私には、短時間のこの仕事が生活のリズムにあっている。
 高齢のため耳が不自由な方も多い。どちらかといえば声が細く高めの私は、大きな声、聞こえやすい声にするためにも、この車の中で発声練習がてら、CDと一緒に歌う。
 音楽が大好きな次女のために何枚かCDをセットしている中で、私の好きな曲、平原綾香さんの「明日」をボリューム大にして、大口開けて歌いながら運転している。
 スローな曲なので、ロングトーンが多く、腹式呼吸にも気づかせてくれる。
 忙しい毎日なので、土曜に習っているフルートもなかなか練習できないが、「呼吸」の練習に少しはなっているかな?
 何より「明日は新しいわたしがはじまる」という「明日」の中の歌詞は、前を向いて進もう!と私を元気づけてくれる。
毎日新聞 2008年4月26日 東京朝刊
追申
 私も最近、声が出にくくなってきたので、デイサービスへ行った時に、大きな声を出して歌をうたうようにしている。長い時は、一時間も歌っているだろうか? リーダーの加藤さんが何かと面倒を見てくれるので、この良い習慣が続いているのだと思う。歌い終わると腹の底から声が出てくるので、嬉しくなってしまう。




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 一年ほど前から、硫化水素ガスを発生させて、自殺することが、はやり始めた。この方法で自殺すると、楽に死ねると、インターネットの自殺サイトに詳しく、硫化水素の発生方法が記述されている。それを見た人が次々と自殺を図るのだろう。全く、殺伐とした、生きにくい社会になったものである。年間3万人もの人が、自殺によって亡くなっている世の中である。日本政府が今後10年間で20%の削減方法を打ち出しているが、どんな方法があるというのだろうか。私はこう思うのである。哲学不在になった世の中で、人々、特に若者たちが、なにを頼りにして生きていったらよいのか、分からなくなっているのだと思う。それをチャンと説明してやる義務がある大人が、不正をして、それがまかり通っている世の中である。現代は明治時代のような傑出した人物が出にくいのも、精神的支柱に哲学がないからだと思うのである。
 私は幼いころから創価学会の世界で育まれてきた。近所には同志である、おばさんが多くいて、いつも、励ましてくれた。そんな中で育まれてきた私の哲学は、人間主義である。人は人のために生まれてきたのであり、どんな人でも、他人のために何かやる使命をもって生まれてきているのである。そのような哲学のために、自殺なんか考えたこともなかった。創価学会に入る前は、自殺のことをよく考えましたが、入会後は、一本、筋が通った生き方ができるようになりました。



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 朝、新聞を読んでいたら、ネット規制の記事が目に飛び込んできた。青少年の健全なネット利用を目的に、自民党が中心になって、規制を設けるというはなしである。今まで正常に見れていたサイトがフィルターリングの機能によって、見れなくなるのである。私は、こういう規制は、メーカーに任せておけばよいと思うのである。でしゃばって国が対策する必要はないのである。民間企業である、MS始め、ヤフー、楽天など5社は、早くも反対を表明している。

 昔こういう記事を読んだことがある。ヨーロッパに赴任した特配員のはなしである。日本の鉄道は、車掌の口上が多すぎて、うるさいというのである。ヨーロッパでは、次は“どこどこ”です。というだけである。日本ではその後にカサなどお忘れ物のないように、お気をつけください。と続く。解かり切っていることまで、ガタガタ言うのはうるさいだけだというのである。必要最小限のことだけを、言っておけばよいのであると。私はこう思うのである。日本人は親切心から言っているに過ぎないので、そう思うなら聞き流しておけばよいのである。反対に“ハッ”と横にカサが置いてあることに気づき、忘れ物をしなくてすむかもしれないのである。

 ネットの規制問題は、私の考えでは民間企業に任せておいたほうが、よいシステムができるような気がする。民間企業にはすばらしい才能の持ち主がいる。この人材を使って、ネット規制プログラムを作成すれば、きっとよいものができるでしょう。




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甲府市・阪本とし子(無職・70歳)
 ある日スーパーへ買い物に出掛け、中学生になる孫娘の友人のお母さんにお会いしました。お母さん「お元気そうでよかったです」。私「はい、お陰様で、ありがとうございます」。

 近ごろ車の中の温度が上がり生ものも買ってあるので、保冷のため細かく砕いた氷をいただこうと列に並んでいたのです。すると前の奥さんが「ハイ、どうぞ」と氷を入れた袋を渡してくださったのです。「まあ、ありがとう。お先にすみませんね」とうれしくなり、主人の運転する車へと乗り込みました。

 ところが車中、とても複雑な気持ちになってきてしまったのです。最初の方は年寄りに優しく声を掛け、元気でいることを喜んでくださり、次の方はご自分の氷を後回しにして親切に渡してくださったことが、あの時はあんなにうれしかったのになぜか。「そうか、どこから見ても私は70歳だったんだ」と。

 気持ちだけはまだまだと思っていたのだけど、最近腰は痛いし、ジワジワと加齢は感じていたのです。私だって若いころはお年寄りにはできるだけ親切にして差し上げてきたつもりだし、今自分がその年齢になって何を余計なことを考え出してしまったのか。「これからは年相応に人様のご親切には喜んで甘えさせていただき、素直に年を重ねていこう」。後になって変な考えを起こすなんてとんでもないこと。これが昨年暮れ古希を迎えた私なりの結論でした。

毎日新聞 2008年4月20日 東京朝刊

追申
 私は外出する時は、電動車椅子に乗っています。近所の人は私が障害者であることを知っているので、やさしく対応してくれます。しかし一歩外に出ると、私のことを知っている人ばかりではありません。中にはとんでもなくつらく当たる人もいます。私は障害者だと思って、他人にしてもらうことが、当然とは思わず、いつも感謝の気持ちを心がけています。



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名古屋市・横井美也子(主婦・53歳)
 3年前、次女に教わりながら携帯電話を使い始めました。子供たちの影響です。
 ポチポチと入力しながら、どうにかメールの文を完成させ送信します。夜、忙しい時でも、「今日は何時に帰るよ」と、入れておけば返信が来ます。なんと素晴らしい事でしょうか。
 昨年からは、無理だとあきらめていたパソコンに挑戦しています。ブラインド・タッチではなくピアノを弾く時のような大げさな格好ですが、画面に向かい、見たり、聞いたり、話したりしています。英語、国語の辞典などが不要なので楽です。
 その半面、字を書くことが面倒になってしまいがちです。たまに、お礼状や物を送る時に文字忘れや字のゆがみなどがあって、「筆まめだった私がなんで?」と思うこともしばしばです。
 しかし、昔は文通、いまはメル友時代。同い年の県外の音楽好きな方たちとの交信が食後の楽しみになっています。また、交換会で不用品を差し上げたり、主人の不用な本が高く購入してもらえたりして、目からうろこが落ちることもたくさんあります。
 現在では、オークションで娘の物ばかり購入させられていますが、それもまた時代の流れかと思っているところです。
 パソコンに夢中になりすぎて、家族にしかられないように、家事に差しつかえない程度に楽しみたいと思っている昨今です。
毎日新聞 2008年3月26日 中部朝刊

追申
 パソコンをマスターするには、自分のしたいことを目的を持って、取り組めば必ず使いこなせるようになります。ただ指がキーボードになれるまでは、毎日少しずつ取り組むことが、必要だ。




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