ぶらり旅…ってわりには、とても寒い日に行ってしまいました。。。
とはいえ、
思っていたよりは陽もさしてマシだった気もする今日、、、
犬山城です。
国宝です。
しかも、現存天守では最古にならぶお城です。
ボクは、父親に連れて行ってもらって、5歳くらいのころに行ったっきりの場所。
ほぼ初めてみたいなモンです。
まぁ
近場と思うと、行きませんよねぇ。
けど、日本4国宝天守を行脚する意味では、欠かすことは当然出来ないお城であります。
名鉄犬山駅から歩くこと10分少々。
城下町のなごり残る町家のならびは、彦根や長浜にも通ずる観光地として整備され、味わいを出していました。
ガラス細工が多い…??
名産かどうかてのは聞いたことナイデスが、、、
しかも、
やる気のあるのか無いのか分からない店も多々ありましたが、、、(笑)
ただ、そのこぢんまり具合、手作り具合は犬山の町並みにもよく調和しており、しっとりとした雰囲気の古都をに賑やかせておりました。
お
これは、犬山グルメの案内板か??
と思えば、、
デニーズかよ!!
デニーズも手作りたっぷり看板です。
(しかも、城下町とはかなり逆方向だった気が…)
コミュニティFMもありましてねぇ。
町家をそのまま利用したオープンスタジオ。
懐かしいです。
てか、某D○○VOにいたあの人も喋っている?いた??
はず。。。
乱入とか出来んのでしょうかね(爆)。
なんて、歩いていけば、行き着いたところにお城発見!!
さっそく参道にくれば、近道と書いてあるところには、お稲荷さんと猿田彦神社。
う~~ん
お城も含めて、このコラボってなぁ珍しくないかい?
なんとも合わせ技感を感じながらも、やはり「近道」に沿って進んでみる。
赤鳥居の向こうには山道が広がっていて、、
着きましたよ犬山城。
これが1530年代、豊臣秀吉あたりが生まれた当時に建築された天守です。
でも、まだ当時は下の2層部分しかなかったんだそうですね。
この最上階の部分は、江戸時代に尾張藩家老、成瀬家の居城になってから増築されたものでした。
成瀬家は、
明治に入ってからも明治政府から城の修復を条件に譲渡されたため、他のお城と違って唯一、「個人所有」のお城だったんですね。
4年前に成瀬家が、目下管理している財団法人に譲渡するまで、ずっと個人所有でした…!
すごいねー。
まさに”一城の主”がいたんですからね。
話は変わって、↑↑の最上階部分。。
そう
欄干が、、外に出られます。
それは、当たり前ですね。
でも
ネットとか、ありません。
欄干も、低いんです!!
こわー!!!
高いところがダメなワタクシ。。。
でれるかー!!
たしかに、気にならない方にとっては気持ちいいことでしょう。
でも
共感できん…!!
ほんとうに、怖いです。。。
風光は明媚ですよ。
濃尾平野は一望だし、北側は木曽川に美濃の山々と、自然が広がっていて。
でも
怖いんです。
欄干にでることはなく、うんとズームを利かすと、名古屋駅のタワー群と、手前に小山がひとつ。
これ、小牧城といいまして、
かの秀吉と家康が対決した「小牧・長久手の合戦」の舞台。
しかも
この合戦時、犬山城も秀吉の出城として、にらみをきかせていたのです。
10キロほど離れた小牧山にいる家康に、挑発もしていたという、、、
そんな、歴史の一ページにも関わっているのが、犬山城。
そんなことを考えると、ほんとうに面白いっ!!
おもしろいけど、やっぱ欄干は怖くて、、、
行ったことある方はお分かりでしょうが、昔のお城ってのは、天井は高いし、階段は急だし、高所恐怖症の人間にとっては命がけ…!!の場所です。
当時、城にこもる兵のドキドキ感とは全然違いますがね。。
お城の天守閣ってのは、殿様が住んでいた場所ではなくて、やはり合戦時の攻防の最終基地になった場所です。
だから、
内部も殺風景で、随所には戦の知恵が織り込まれていたりするのですが、、
要するに、落ち着いた雰囲気の場所ではなかったんですね。
ま
しつこいようですが、ボクも落ち着いて天守を廻れることはなく…(汗)
これこれ!
この隙間って…!!!
て
写真撮る余裕があるじゃないかって…??
(略)
無事出口まで折り着いたら、寒桜?がちょこちょことカワイイ花を咲かせていました~~。
ほんとうに、小さいけど味わい深い犬山城。
あらためて国宝4城を制覇した思いで、寒空ながらも充実した旅となりました。
うん
命がけで廻った甲斐もあったのが、充実感ともなったのでしょう…
そういうことにしとこう。。
うんうん
<おまけ>
若人に人気なんだそうな…(爆)。
おやおや
2~3軒立ち寄ったので、ひょっとしたらお邪魔したかもね…(笑)。
暖かくなったらもう一回行ってみたいですね。
お祭りの季節とか。。