井上 一樹(いのうえ かずき)
所属/中日ドラゴンズ
背番号/9
ポジション/外野手
出身/鹿児島県姶良郡
出身校/鹿児島商業-中日('90~)
生年月日/1971年7月25日
身長、体重/184センチ93キロ
みました?
山本昌が投げた先週のヤクルト戦。
9月11日のヤクルト戦(ナゴヤドーム)、井上今季初のタイムリーに涙「大きな一本」
井上一樹が9月に入って初めての昇格で初ヒットがタイムリー。
思わずベンチで涙した・・・という。
山本昌とは一緒に昇格し、今年はファームでお互い苦しい日々を過ごしていた。
ベテランの意地。
ともにファームで過ごした山本昌への報い。
しかし、
そんなことばだけでは片付けられない”想い”が井上一樹にはあったと思います。
19年目のベテランは、ほんとうに苦労人です。
投手として入団も伸び悩み、打者へ転向。
打者として開眼ののちは一軍にも定着するものの、当初は慣れない守備やムラのある打撃で壁にぶち当たりました。
当時はボクも高校生で、よく友人とナゴヤ球場の1軍の試合で井上一樹を見ました。
打球の目測を誤ったり、、
チャンスに外野フライ一本あげられなかったり、、、
スタメンの外野選手が試合前にコールを受けて挨拶することを知らなかったために、コールを無視していたら安江のおばちゃんに怒鳴られて慌てて挨拶したり、、、
それでも、
毎試合足が棒になるくらい練習もして、一軍でも"ここ一番"という選手に成長しました。
”怖い顔”のイメージを払拭すべく、ピンクのリストバンドをつけてイメージアップをはかり、
また、持ち前の明るさでファンにも向き合い、選手会長を務めた年はファンサービスにも心を砕きました。
そんな、
ファンに愛される井上一樹選手も、球団とは何度も亀裂が入りかけ、自身の”進退”について、厳しく球団と向き合うことになりました。
あえてストレートに言いますけど、
明らかに”干され”ましたよね。。。
それでも、
井上一樹はあきらめず、ひたむきに自分らしく野球に向き合っていました。
ファームでも、レギュラーじゃありません。
ダブル中村や藤井、平田が上と下をエレベーターすれば、野本もそこに加わり、
さらに李も落ちてきて、、
井上一樹はファームでも、きわめて”限られた”チャンスにかけて、ひと一倍一打席にこだわったことと思います。
自分の”存在意義”をあらためて問いかけ、そこまでして現役の、中日ドラゴンズでプレーすることにこだわったベテラン。
9月に入っての、遅い遅い春に飛び出した初ヒットは、バットも折れるようなボロボロのヒット。
そこにはバットが折れても外野に打球を運びたい”執念”が勝った一打でした。
井上一樹の目を滲ませた涙は、怒りか喜びか・・・
いずれにしても、一打席にして”19年目の井上一樹”を見せてくれた。
そこには、
石にかじりつくような強い意志を持つベテランの姿だったと思う。
まさに
”あきらめきれない男。”の執念。
でもそれが、”プロ”ってものかもしれない。
と思います。
華やかなプレーだけではなく、ハングリーに自分の生き様を見せ付ける。。
これもまた、
負けたら終わりのプロの世界に生きる、誰よりも強いプロの姿。
ボクは、ファームでもずっと見ていただけに、とても感動しました。
井上一樹選手といえば、
こちらでは入場曲を歌う「こういち」さんを支援していることから、ボクにとっても思い入れの強い選手です。
こういちさんの入場曲にもまた、井上一樹の揺るぎない強い心を歌詞に織り込んでいます。
迷わねぇ
譲れねぇ
この道を。
迷わず歩む”強い男”の進む道。
それこそが、こういちさんも歌う「男流」。
↓↓高松ファイブアローズを救え!!↓↓
所属/中日ドラゴンズ
背番号/9
ポジション/外野手
出身/鹿児島県姶良郡
出身校/鹿児島商業-中日('90~)
生年月日/1971年7月25日
身長、体重/184センチ93キロ
みました?
山本昌が投げた先週のヤクルト戦。
9月11日のヤクルト戦(ナゴヤドーム)、井上今季初のタイムリーに涙「大きな一本」
井上一樹が9月に入って初めての昇格で初ヒットがタイムリー。
思わずベンチで涙した・・・という。
山本昌とは一緒に昇格し、今年はファームでお互い苦しい日々を過ごしていた。
ベテランの意地。
ともにファームで過ごした山本昌への報い。
しかし、
そんなことばだけでは片付けられない”想い”が井上一樹にはあったと思います。
19年目のベテランは、ほんとうに苦労人です。
投手として入団も伸び悩み、打者へ転向。
打者として開眼ののちは一軍にも定着するものの、当初は慣れない守備やムラのある打撃で壁にぶち当たりました。
当時はボクも高校生で、よく友人とナゴヤ球場の1軍の試合で井上一樹を見ました。
打球の目測を誤ったり、、
チャンスに外野フライ一本あげられなかったり、、、
スタメンの外野選手が試合前にコールを受けて挨拶することを知らなかったために、コールを無視していたら安江のおばちゃんに怒鳴られて慌てて挨拶したり、、、
それでも、
毎試合足が棒になるくらい練習もして、一軍でも"ここ一番"という選手に成長しました。
”怖い顔”のイメージを払拭すべく、ピンクのリストバンドをつけてイメージアップをはかり、
また、持ち前の明るさでファンにも向き合い、選手会長を務めた年はファンサービスにも心を砕きました。
そんな、
ファンに愛される井上一樹選手も、球団とは何度も亀裂が入りかけ、自身の”進退”について、厳しく球団と向き合うことになりました。
あえてストレートに言いますけど、
明らかに”干され”ましたよね。。。
それでも、
井上一樹はあきらめず、ひたむきに自分らしく野球に向き合っていました。
ファームでも、レギュラーじゃありません。
ダブル中村や藤井、平田が上と下をエレベーターすれば、野本もそこに加わり、
さらに李も落ちてきて、、
井上一樹はファームでも、きわめて”限られた”チャンスにかけて、ひと一倍一打席にこだわったことと思います。
自分の”存在意義”をあらためて問いかけ、そこまでして現役の、中日ドラゴンズでプレーすることにこだわったベテラン。
9月に入っての、遅い遅い春に飛び出した初ヒットは、バットも折れるようなボロボロのヒット。
そこにはバットが折れても外野に打球を運びたい”執念”が勝った一打でした。
井上一樹の目を滲ませた涙は、怒りか喜びか・・・
いずれにしても、一打席にして”19年目の井上一樹”を見せてくれた。
そこには、
石にかじりつくような強い意志を持つベテランの姿だったと思う。
まさに
”あきらめきれない男。”の執念。
でもそれが、”プロ”ってものかもしれない。
と思います。
華やかなプレーだけではなく、ハングリーに自分の生き様を見せ付ける。。
これもまた、
負けたら終わりのプロの世界に生きる、誰よりも強いプロの姿。
ボクは、ファームでもずっと見ていただけに、とても感動しました。
井上一樹選手といえば、
こちらでは入場曲を歌う「こういち」さんを支援していることから、ボクにとっても思い入れの強い選手です。
こういちさんの入場曲にもまた、井上一樹の揺るぎない強い心を歌詞に織り込んでいます。
迷わねぇ
譲れねぇ
この道を。
迷わず歩む”強い男”の進む道。
それこそが、こういちさんも歌う「男流」。
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