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新・臨床検査の光と影

人の命を測る臨床検査に光を!

人体実験・肥満からの脱出・4

2006-12-07 15:10:48 | 健康・病気

 80キロ⇒73キロ

 水泳を続けて3ヶ月ほどたって、やや、あきらめかけていた体重に変化がでてきました。

 水泳以外、特別にやせる為のサプリメントを使ったり、食事の制限もしません。

 ゴルフやジョギングもしていませんで、ただひたすらに、泳ぎ続けました。

 そうして6ヵ月後、80キロの体重が、73キロに、半年で7キロの減量です。

 どこが減ったか、それは腹のまわりでした。明らかにクビレができてきました。

 どんな泳ぎ方かといいますと、準備運動、首から手や腕、腹筋や背筋、足など、それぞれ4種類を20回いづつ、およそ7=8分間。

 それから、水温29度Cのプールへ、クロールで600メートル~800メートル。

 800メートルを、休まず18分30秒~19分かけての泳ぎです。

 比べる相手もどうかと思いますが、ちなみに800メートル競泳世界記録は、グラン・ハケット(豪・2002年)7分38秒。

 およそ3倍近い時間をかけて、「溺れてるっ!」なんて云われない程度に、ゆっくりしたペースで泳いでいます。

 あとは、平泳ぎ、背泳、Lのパドルを使って200メートルなど、合計で1300~1500メートル泳ぐことにしています。

 公開した水着姿の写真に至るまでは、まだまだ先のことでした。

 このブログを見た同級生から「露出狂じゃねーのっ」と云われるし、長女からは、「75歳で裸の写真をブログにアップするのは、お父さんくらいじゃないの」と冷やかされました。

 WHOが定めた理想的なBMI=22付近は、こんな体型と云いたかっただけです。

 それからと言うもの、困ったことに10年間、73キロの体重は、いくら泳いでも、1キロたりとも変動がありませんでした。

 

 


人体実験・肥満からの脱出・3

2006-12-01 11:38:20 | 健康・病気

Photo_4  ゆっくりマイペース  

 左の表は、15年前と現在の「体」の変化を示したものです。

 この前後の段階をBMI、すなわち、WHOが定めた基準、Body Mass  Indexに沿って追跡してみます。

  BMI=20前後が、生活習慣病からも縁遠くなり、もっとも健康で長生きできる、と言われています。

 BMI=体重÷(身長×身長)・・・20くらいが理想的数値

 <18.5・・・・・・・やせ・低体重

 18.5~<25・・正常範囲

 25~<30・・・・・肥満1度・前肥満

 30~<35・・・・・肥満2度

 35~<40・・・・・肥満3度

 40<・・・・・・・・・・肥満4度

  第1段階=体重60キロ、BMI=20.0 (正常)この状態が、高校卒から40才代後半まで続きました。

 厳冬期を除いた谷川岳や尾瀬を、盛んに歩き回っていた時代で、病院の講堂で卓球、それに長い間、軟式野球でピッチャーもしていました。

 第2段階=体重80キロ、BMI=26.8 (前肥満・肥満1度)50才代から退職するまでの10年間、最悪の肥満。

  運動ゼロ、スポーツは観戦のみ。最後は築地市場の飽食で仕上がりました。

 この頃、毎日20本、20年間吸っていた煙草を止めました。

 きっかけは、初めての転勤先が、都内の呼吸器・循環器専門の国立病院で、出勤した朝、病院玄関前で、病衣を着た女性の老患者が、煙草の吸殻を拾い集めてちり紙に包み、懐にしまい込んだのをみてしまったのです。

 その日のうちに、すべての煙草とライター3個も捨てて以来、禁煙は続いています。

 それが、肥満が始まった一因かも知れません。

 なにしろ朝起きて、口のなかの爽やかさ。三度の食事のうまいこと。

 ニコチンで狭窄していた6ケの唾液腺がゆるんで、消化吸収がよくなったのかも知れません。

 仕方なしに、水泳でも始めようかと、入会しました時期です。

 第3段階=体重72キロ、BMI=24.1(正常の上限)退職してから、半年経過した頃でした。 

 第4段階=体重67キロ、BMI=22.6(正常のど真ん中)

 80キロから67キロ、13キロの体重減。

 実は、この第3~4段階にいたる経過を伝えたかったのです。

 焦らず、ゆっくり、マイペースを守ることの意味が分かりかけてきました。

 そして、それは、ここにきて、やっとのこと「からだ」にいろいろな変化が現れるようになってきたからです。


人体実験・肥満からの脱出:2

2006-11-29 09:33:43 | 健康・病気

 一念奮起させた一言は?

 体重が気になりだしたのには、いくつかのPhoto_2要因がありました。

 スーツやズボンのボタンがはまりにくくなったこと。

 「デブ、ハゲ、チビ」の、もてない三悪相の揃い踏みのうち、「チビ」を除いて二悪相に合格?みるからに格好が悪いこと。

 退職してから、公民館や企業の職場、あるいは婦人会、退職者会や町内会から、健康講座のお声がかかり、がん、生活習慣病、心筋梗塞、脳卒中、肥満に糖尿病など、在職中に溜めておいた、生々しいスライドなどを上映しながら、説教がましい講演が続きました。

 煙草を吸いながら「禁煙の説教」していては、まるで説得力がないように、太鼓腹を突き出して、肥満のもたらす危険性を説いても、下手な漫画そのもので、とんだお笑い種でしかありません。 

 そしてなにより、決定的な打撃?を受けたのが、家内の次の一言でした。

 「飽食のたたりよッ!」

 これに、怒り心頭に発す、とはこのこと、それでも徐々に平静を取戻して、一念発起、とは云うものの、さてどうして彼女を見返してやろうか、方針いまだ定まらず。

 そうこうしているうちに、近所に民間の水泳プールがオープンしたので、早速、好き勝手に泳げる「遊泳会員コース」を選んで入会しました。 

 25メートル泳いでは休みで、なかなか息があがって、思うようには泳げませんでした。

 週4日のペースで通いましたが、2ヶ月たっても、一向に体重に変化はありません。

  しんどいばかりで、少しも楽しくありませんでした。

 


人体実験・肥満からの脱出

2006-11-28 13:49:07 | 健康・病気

Dsc01396 体重80キロ、65キロを目指して・・・

 生活習慣病が社会問題になっているこの頃です。

 子供から老人まで、堂々たる体格の日本人が目立ちます。

 テレビでも、手を変え品を変えた、健康に関する番組が人気を集めている一方、怪しげなサプリメントのコマーシャルや、肥満解消の高価な運動用具の広告が氾濫しています。

 肥満を解消したい気持ちはあっても、食べたいだけ食べて、しかも楽をして減量できる方法はないか、「水を飲んでも太っちゃうのよね」こんなつぶやきも聞こえます。

 自分自身、国立がんセンターを退職する、いまから15年前は、体重80キロ、洋ナシ型の肥満体型で、首筋からアゴにかけては、まさに二重アゴ。

 なにしろ、最後の職場であった国立がんセンターは、東京都民の胃袋を賄う築地市場が、道路一つ向こうで、世界中の食材が集中します。

 単身赴任ということもあって、一応健康のことを考え、朝夕は世田谷は大蔵の宿舎で自炊を守り通したものの、昼食は魅力あるランチに身も心も奪われました。

 昨日は「刺身」今日は「うなぎ」明日は「ステーキか寿司にしようか」てなもんで、3年間で80キロに膨らみました。

 そのうえ職場と実家のこと、くわえて通勤地獄、なにしろ朝夕の小田急電車は、とても人間を運んでいる交通機関とは思えない、それは凄まじいものでした。

 運動ゼロ、宿舎は食って寝るだけのところ。

 ストレス+飽食=肥満の図式ができあがっていました。

 退職後の年金生活が気がかりになってきました。

 それから15年、恥ずかしながら、67キロになった現在の体型をアップしておきました。

 先行したアルバムの水着姿を見た長女が「ひぇーッ」とメールを送信してきました。

 この数年間、体重をコントロールできる確信みたいなものがでてきました。

 それは、ひょっとして人体実験しているのではないか、そんな思いがしてきたこともあって、その経過を書き残しておこうと思った次第です。