新・臨床検査の光と影

人の命を測る臨床検査に光を!

戦争を語り継ぐ 14歳の記憶

2014-07-30 18:30:12 | 日記・エッセイ・コラム

        69年前の夏の記憶 

          1945年7月30日の空爆 

 「日本の真ん中・へその町」を自称する、群馬県渋川町の関東平野の片隅の小さな町を、爆弾と機銃掃射で襲ってきました。

 軍需工場は確かにありましたが、利根川にかかる鉄道の橋梁(新潟への大動脈)を狙ったことと、町なかの民間人を無差別に襲った空爆でした。   

 同級生の母親が防空壕で、知り合いのおじさんは、利根川で爆死しました。

 死者10人、負傷者237人、家屋の被害47棟

 迎え撃つ高射砲も、日本が誇るゼロ戦の迎撃もなく、そして 「こんな小さな町まで攻撃するのか」と少しずつ、この戦争に疑問が芽生えてきましたが、口に出して言うことはできませんでした。

 「本土決戦で必ず勝つ」は、頭の髄まで染み込んで、長兄は21歳で陸軍航空隊幹部候補生学校(加古川)へ、次兄は18歳で海軍兵学に合格して(広島県・江田島)2年生、父親は町内の防空班長、毎日のように空襲警報が発令され、そのたびに病気の母親をリヤカーに乗せて、10歳の弟と、里山に駆け上り避難していました。


戦争を語り継ぐ 14歳の記憶

2014-07-29 08:54:48 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_5   69年前の夏の記憶 ①

    1945年7月30日の空爆

 早朝から発令されていた空襲警報が、午前5時53分に解除され、ホッとして粗末な防空壕から出て太陽の光を浴びると、上空に数機の機影が見えました。日本空軍の誇る「零戦」かと思ったその瞬間、いきなり「バリバリバリッ」という轟音が響きわたりました。米軍のグラマン戦闘爆撃機による機銃掃射が始まったのです。と同時に爆弾投下と思われる轟音と地響きも起こりました。

 14歳の私は、「いいよ、ここにいるよ」と云う病気で寝たきりの母親を背負って、再び防空壕に退避。10歳の弟は、逃げ遅れて 物置の柱にしがみついていました。弟を助けようと、防空壕を飛び出したその時、低空飛行する戦闘機の操縦士と目があいました。今でもはっきりと目に焼き付いています。

 反転旋回した戦闘機は再び超低空から機銃掃射を浴びせてきました。我が家のトタン屋根に大きな弾痕が残っていました。

 その数日前だったか、米軍機からばらまかれた宣伝ビラに、主要な各町への爆撃予告が記されていました。サーベルを腰にした警察官が走りながら「読むなッ」と大声で叫びつつビラを集めていました。


梅雨空にSL爆走

2014-07-21 12:06:36 | 日記・エッセイ・コラム

    海の日 SL爆走Photo

 SLみなかみ号、これから山岳地帯に入るので、石炭を目いっぱい投入して、黒煙をはいて爆走しました。子供たちが窓から手を振ってくれました。今日も遠くから大勢のカメラマンがきて、1時間以上も前からカメラを構えていました。

 煙のにおいが、たまらなく懐かしく、数十年前の少年時代を彷彿とさせてくれます。

 夏休みには、盛んに増発されるのではないでしょうか。


臨床検査技師の健康セミナー

2014-07-15 10:00:42 | 臨床検査技師の業務

P5220311_2  慶寿大学 健康セミナー

        テーマ「認知症」

 市内公民館定例の慶寿大学、今回は「認知症」をテーマに講演、65歳以上が対象で、定員100席を超えて118人の出席、160コマのパワーポイントで1時間30分。世界最高の超高齢化日本の、認知症の深刻な現状、原因や疾病の脳のMRIやCT画像、発症を遅らせる生活習慣の改善、簡単な物忘れのクイズ、徘徊者救助の対策や救助システムなど、多義にわたりましたが、「身につまされる課題」との感想もあって、居眠りをする人はほとんどいませんでした。

 演者自身も、パワーポイントの「絵づくり」に工夫を凝らすなどでして、いい脳トレになりました。(画像をクリック)


梅雨の晴れ間のSL

2014-07-12 11:00:12 | 日記・エッセイ・コラム

713      梅雨の晴れ間 SLみなかみ号

     自宅近くの独占?スポットで

 台風一過、久しぶりの快晴に、大勢のポッポファンが、いたるところに整列して、雄姿を撮影していました。

 関西ナンバーの車も見かけました。わずか10秒くらいの一瞬にかけて!お疲れさんです。

             (画像をクリック)