69年前の夏の記憶 ⑦
予科練に憧れ、陸軍幼年学校に
1931年、日中戦争発端となった盧溝橋事件の年に生まれました。1941年、真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争は小学6年生、すっかり軍国少年が出来上がっていました。音楽の時間にオルガンを弾く若い女性教師に、「軍歌を教えて・・・」と、強く迫ったことを、不思議なくらい、はっきり覚えています。教師は、民謡や小学唱歌を続けるだけで、最後まで軍歌を弾いてはくれませんでした。
旧制中学1年になると、海軍軍人だった体操の教師に、実戦の話を強要しましたが、彼は実戦の経験はありませんでした。
ある日の朝礼で、海軍飛行予科練修生(通称・予科練)になった先輩が、七つボタンの白い軍装で、壇上に立って勇ましい話をしました。もう頭の中は一時も早く軍人になることしかありませんでした。
たまたま、ある教員から、陸軍幼年兵学校の入学試験があると聞いて、躊躇なく前橋市の試験場に向かいました。
しかも、早朝からの空襲警報発令で、試験開始が1時間も遅れました。第1次試験合格、しかし、第2次試験は、激しい空爆、そして終戦の末、ついに行われることはありませんでした。