「元旦の挨拶と食卓」
今年は家族それぞれの事情(仕事・アルバイト・付き合い)で、皆一緒には
行動できなかったのですが、基本的には、毎年、私の実家で新年を迎えます。
そして、元旦には、親父の挨拶とおふくろが用意してくれるおせちがあります。
毎年変わらぬ実家でのお正月風景です。
「こんぴらさんからの贈り物?」
ここ数年、お屠蘇で飲む酒は金粉入りの清酒が基本です。(親父のお気に入り)
ただ今年は、こんぴらさん(金刀比羅宮)からお神酒(写真右)が届きました!?
(親父は仕事柄、毎年、こんぴらさんに参拝しているので贈って戴けたそうです)
ので、お屠蘇として一杯ずつ盃に注いでもらい、親父の音頭で乾杯を ・・・
“あけましておめでとうございます。今年もみな健康で良い年になりますように!”
「重箱じゃ足りない!?」
年々、おふくろも歳を重ね、作るおせちの品数は減っていますが、一品一品の量は
未だに多い家庭です。昔から、正月にお客さんがある時にはお重(重箱)に詰めて
出てくることもあったのですが、家族だけの時の基本は、やはり大皿(大鉢)です。
自分で好きなだけ取って食べるバイキングスタイル?です。無くなれば、また大皿に
盛り直して出てきます。
ここにも、
いつもと変わらぬ実家のお正月風景(食卓)があり、なぜか私はホッとするのです。
今の時代だからこそ、変わらなくてはならないものがあり、逆に、変わらなくてよい
ものもあるということが、私の中で鮮明になってきたような気がします。
今年、
昨年までの自分自身の考えや勘を信じて進めてきたことを見直してみます。
ただ、その上でより一層、周りに流されることなく、自身の考えと勘を信じて進んで
行くつもりです。自分が自分で在り続けるために ・・・ 。(私の基本は変わらない!)
「こんぴら狗」
江戸時代、庶民は旅行を禁止されていましたが、神仏への参拝の場合はその限り
ではありませんでした。数ある神社仏閣のなかでも、伊勢神宮への参拝の旅は特別
で、庶民にとって一生に一度の夢であり、「お伊勢参り」と言われました。それに並び
「丸金か京六か」と言われ、讃岐の金毘羅大権現(今の金刀比羅宮)と、京都六条の
東西本願寺への参拝の旅も人生の一大イベントでした。当時、江戸を中心とした
東日本の各地からこれらの社寺への参拝の旅は大変なことで、当人に代わって旅
慣れた人が代理で参拝に行くことがありました。これを「代参」と言いました。旅を
途中で諦めることにした人が、道中で知り合った旅人に旅費と初穂料(お賽銭)を
託し代参してもらうこともあったようです。金毘羅大権現への代参で有名なのが
森石松です。清水次郎長(山本長五郎)の代わりに参拝し、預かった刀を奉納したと
伝えられています。実は、代参をしたのは“人”だけではなかったのです。「こんぴら
参り」と記した袋を首にかけた犬が、飼い主の代参をすることもあったのです。
袋には、飼い主を記した木札、初穂料、道中の食費などが入っていました。犬は、
旅人から旅人へと連れられ、街道筋の人々に世話をされ、目的地にたどり着いたの
です。金毘羅大権現へたどり着いた犬も、そんなのどかな風習により、立派に務め
を果たしたのでしょう。この「こんぴら参り」の代参をした犬は、特に「こんぴら狗」と
呼ばれたのです。( 「金刀比羅宮」 HPから抜粋 )
昨年の元旦