あの日 鹿沼児童6人クレーン車死亡事故遺族の想い - blog -

てんかん無申告で運転免許を不正取得したクレーン車の運転手により、登校中の児童6人が歩道上で轢き殺された事故【遺族ブログ】

横浜市鶴見区 てんかん発作事故の民事裁判を傍聴して

2011-10-20 | 日記

18日(火)、横浜地方裁判所において、3年前にてんかん発作の事故により息子さんを亡くされた伊藤さんの民事裁判の判決があるということで、我々鹿沼のクレーン車事故と酷似した事故ということもあり、裁判を傍聴させていただきました。

正直、こんな事故に遭うまでは、伊藤さんの事故のことは知りませんでしたが、大芽が亡くなったあと、読売新聞に掲載されていた伊藤さんの記事を読んで、記事の中で「なぜ、同じことが繰り返されるのか。」と伊藤さんがコメントされているのをみて、いつかお会いしたいと思っていました。

伊藤さんには、裁判後の記者会見を終えたばかりでお疲れのところ、私達とお会いしていただいたこと、そしていろいろなご助言を頂きましたこと、また、今後の我々の活動に対してもお力添えをいただけるとのお言葉を頂き、大変心強く、感謝しております。

お会いできて、本当に良かったと思っています。

伊藤さんにお会いして、今、強烈に心に思うことは、3年前に伊藤さんのお子さんが無責任な運転者に殺されてしまってから今までの間、伊藤さんが刑事裁判や民事裁判、報道、講演等を通じ、「同じ悲劇が繰り返されないように」、そして、「拓也くんの死を無駄にしないように」、と必死に訴えていたはずなのに・・・・

誰も何も変えなかった・・・

何も変わらなかった・・・

そして、事故は繰り返されたということです・・・

今回、伊藤さんの民事裁判の判決が出たら、事故は無くなるのでしょうか。

今回、私達の事故で、柴田将人被告人が逮捕されたら、事故は無くなるのでしょうか。

私はそうは思いません・・・

一部の無責任な運転者が一時的に逮捕され、一時、一般社会にいなかっただけのことであり、伊藤さんの事故では、運転手は禁錮2年8月の刑を終え、間もなく出所してきます。

反省期間もあまりにも短く、また運転して同様の事故を起こしてしまうかもしれません・・・

また、今回の事故で柴田将人が捕まったからといって、持病無申告の運転者が全ていなくなった訳ではないからです。

今日、集団登校する小学生の列にまた車が突っ込んでしまうかもしれないし、明日、突っ込んでしまうかもしれない・・・それでも突っ込んでしまうまで誰も何もできない・・・・ 何もしない・・・ それが今の日本の刑法や免許制度の現実なのです。

だからこそ今回、国の偉い人や警察の方には本当に真剣になって、「今度こそ本当に同じ事故が繰り返されないように・・・・」 事故の本質に目を向けてほしいと願っています。

どこかの新聞に、「鹿沼の遺族が、自分たちの行き着く最終地点である伊藤さんの民事裁判の判決を傍聴」 っていう記事があったけど・・・

伊藤さんや伊藤さんの奥さんが、我々の子供達の写真を見て一緒になって泣いてくれて、同時に我々には、3年経った今も少しも変わらぬご夫婦の拓也くんへの思いが苦しいほど伝わってきて・・・

何も終わってはいない・・・ 最終地点なんてない・・・ そう思った・・・


信じがたい事実・・・警察捜査への不信感・・・命の取り合い・・・

2011-10-12 | 日記

「実は、伊原大芽くんと、大森卓馬くんの遺体のあった場所が間違っておりまして・・・検察庁と協議して裁判証拠の訂正をいたしました。」

私がこのことを警察から聞かされたのは9月26日、柴田将人被告人の初公判の2日前のことでした。

事故当初、「クレーン車の左前に大芽くんはいました」と聞かされていたものですから、当然私は、「今更、何を言っているのですか。」 「死んでいた場所なんて、捜査の一番重要なところでしょう。」

と言い返しました。

すると警察は、「人命救助が第一で、遺体は消防が動かしてしまっていたものですから・・・」と安易に答えたのです。

今までは、3年前の事故の裁判において、 柴田将人被告人が、てんかん無申告の運転者であることをまともに捜査しなかった捜査への不信感はあったものの、それでも私は、「一部の警察官が、適当な捜査をしてしまったばっかりに、子供達は死ぬことになってしまったんだ・・・」 と思うようにしていました。

しかし、今回の話を聞かされて、「本当に警察はまともな捜査をしているのだろうか・・・。 交通死亡事故は単なる事故処理と考え、軽々に扱っているのではないだろうか・・・」と思うようになりました。

以下、警察とのやりとりです。

9月26日(月)自宅にて

【伊原】 「信じられません。 遺体の位置なんて、捜査の中でも一番基本的なところでしょう。」 「私は、入りたくても中に入れてもらえなかったんですよっ」 「警察は写真をとっていないのですか。」

【警察】 「写真が非常に少ないんです」

【伊原】 「警察は撮りたくない写真だって撮っているんでしょう・・・いくら人命救助が優先と言ったって、警察さんが遺体の位置を間違えるなんて、捜査の基本的なところであり、信じられない・・・遺体の位置は、9月28日に行われる裁判の証拠にもなっているはずですが・・・」

【警察】 「実は、大森さんと地元の消防の方が、大森卓馬くんの遺体の場所の話をされまして、その方が大芽くんと卓馬くんの顔を知っていたものですから、大森さんが聞かされていた遺体の位置と違う・・・・と言う話になりまして・・・それでは、もう一度再捜査をしよう。ということになったのです。」

【伊原】 「やっぱりおかしいですよ。 死んでいた場所なんて捜査の基本でしょう。 車体にぶつかった位置を間違った訳じゃないんですよ。 遺体のあった位置ですよ。 私達が、大芽が亡くなってから今まで、どんな気持ちでいるかわかりますか。 そちらは簡単に、間違っていたので裁判証拠を差し替えますっていいますが、 私達の気持ちは、そんな簡単な事じゃないんですよ・・・ 大芽くんはクレーン車の左前にいましたって聞いていたのですから、クレーン車のどこでぶつかって、どのように転がっていって、どのように亡くなって逝ったのか・・・姉のメイは、当初大芽を見たと言っていたが、それは見間違いで、実は他の子だったんだ・・・とか、 いろいろ考え・・・ ひとつひとつ、それでもひとつひとつ事実と向き合って今まできているんですよ。 それを、間違っていたので訂正します・・・ と簡単に言うことが、我々にはどんなに辛いことかわかってほしいです。 そして、捜査をしっかりやってほしいです。 我々は中に入れなかったんですよ。 警察さんが捜査をしっかりやらなかったら、誰がやるんですか。」

【伊原】 「消防の人命救助を優先して、証拠が乏しい・・・ と説明を受けましたので、こちらからあらためてお話ししますが、 鹿沼警察署で私達の供述調書を作成していた警察官の方が、大芽くんは、ごろごろ転がって左前方に転がっていったと思います・・・現場は土があって、それがクッションになっていたため遺体の損傷が少なかったと思われます・・・私が抱きかかえて救出しました・・・と言っていましたよ。 警察官が遺体とは言え証拠を抱きかかえたんですよ。 警察官が抱きかかえたのならば、服の色、位置を間違えるはずがないんじゃないですか。」

【警察】 「その警察官は、現場へはそんなに早く着いているはずがないので、署に持ち帰り本人に確認いたします。」

↓↓↓

10月2日(日) 鹿沼警察署に電話で確認

【伊原】 「先日の件、どうなりましたか」

【警察】 「どのように回答するか本部で検討中です」

【伊原】 「検討は無いでしょう。 聞いた話をすればいいのでは。」

【警察】 「一般的な話をしたが、私が抱きかかえたとは言っていない。これが本人への調査の結果です。」

↓↓↓

10月3日(月) 自宅にて

【警察】 「一般的な話をしたが、私が抱きかかえたとは言っていない。これが本人への調査の結果です。」

【伊原】 「一般的な話?ですか・・・何でそんな不確かな話をするんですかね・・・本当に辛いです・・・」  「私も妻も警察さんの規制の中に入れなかったものですから、大芽を暖かいうちに抱きしめてあげることができなかったんです・・・ でも、それでも・・・この人が大芽が暖かいうちに抱きかかえ、あの場所から助けてくれたんだって思っていたんですよ・・・ だから、我々にとっては神様みたいな人に思えていたのに・・・ そう思っていたのに・・・ 一般的な話になってしまうんですね・・・ だとしたら、本当に辛いです・・・」 

【伊原】 「お互い月日が経てば当然記憶も薄れます・・・お電話でもお話は聞いていたので、そちらの回答は分かりました。 そちらで調査されて、本人が一般的な話、というのであれば、そう言う事になってしまうのかもしれません・・・・しかし、私と妻は、今でも、警察官から、私が抱きかかえて助けた・・・。 と言う言葉を聞いたと思っています」

【警察】 「調べた結果、そういうことになりました」

【伊原】 「一般的な話? と言うことなってしまい、本当に辛いのですが、 そういうことであればもう、あの警察官は私達にとっての神様でも、大芽を救出してくれた人でも何でもないので、今まで心に秘めていたお話をします・・・。」 「皆さんはお子さんがいらっしゃいますか。」

【警察】 「います」

【伊原】 「お子さんに名前を付けるときに、皆さんはどのような事を思い、名付けますか。 私は、供述調書を作成中に、先程の警察官から、大芽くんはどういう思いで名付けたのですか。と聞かれました。 だから、芽が大きくなりますように・・・とか大きな芽が出ますように・・・とか、呼びやすい名前にしたかった・・・そして、姉がメイちゃんって呼ばれていて、木の芽の芽の字を使っているので、姉弟のつながりを持たせたかったんです。って言いました。」 「そしたら、そのあとに、あの警察官は私達になんて言ったと思いますか」

【警察】 「・・・・」

【伊原】 「同じ字を使うと命の取り合いをしちゃうんですよねって言ったんですよ。あのかたは・・・」 「今まで、私と妻にとってあの警察官は、大芽を助けてくれた神様のような存在だったので言いませんでしたが、 そう言ったんですよ。  これは、一生引きずりますよ私達は・・・心の中に・・・ だから、そう言われた時は、遺族はみんな辛いんです・・・。自分を責めているんです・・・ かみさんだって、あの時間に登校させなければ良かったとか、もう少し早く起こせば良かったとか、いろいろ自分を責めているんです・・・大芽に謝りたいって言ってるんですよ、 でも、かみさんにも言うんだけど、それは違うよって、今回の事故は、運がいいとか悪いとか、そういうことではすませられないし、6人の子もみんないい子だし・・・まじめに生きていたし・・・って、 だから、その時は、その警察官には、聞かなかった事にするからって言ったんです。 その事を認めてしまったら自分自身を責めちゃうし、一生それを背負って生きて、自分自身を責め続ける事になるからって言ったんです・・・。 だけど、その当時は、本当に大芽を助けてくれたことに感謝していましたので、今まで自分の中に閉じこめてきたんです・・・。」

「だから、調査の結果、警察さんの回答が、一般的な話・・・・ということになったと言うことは、本当につらいです・・・。」 

 「我々は、ひとつひとつが後悔することばっかりなのに、命の取り合いをするなんて名前の事まで言われ、一般的な話だったか、つぶやきだったか知らないけど、 これ、私達は、本当に助けてくれた人だって思ってたから、言わなかったんですよ。 大芽を抱きかかえて助けてくれた人だって思ってましたよ。 だから、名前のことは、そう言うかもしれないけど、俺達は苦しんじゃうから聞かなかった事にするからって帰ってきたわけですよ。 でも、 助けてくれた人だって、最後に大芽を助けてくれた人だからって今まで思っていたわけですよ。 これ、辛いですよ。 つぶやきなのか、ぽろっと言った話なのか分かりませんが、こんなことは、市民を守るべき警察の方が、被害者には絶対に言ってはいけないことだと思っています・・・。」

「大芽の名前は私がつけました・・・この事は、一生私の心の中に残りました・・・私が大芽を殺したことになるのかもしれません・・・」 

「何でそんなことを警察の方がいうんでしょうかね・・・・」 

「未だにずっと考えるんですよ・・・・名前のせいなのかな・・・とか」

「僕が大芽の名前をつけたんです・・・・本当に辛いです・・・」


柴田将人被告  初公判【平成23年9月28日(水)】

2011-10-02 | 日記

9月28日(水)、柴田将人被告の初公判が開廷され、我々遺族も被害者参加制度により、裁判に参加しましたので、感想を書こうと思います。

事前に柴田と柴田の母親の供述調書を読んでいたので、大体被告人の態度は予想はついたが、実際目にしてみると、自分の犯した罪の重さを理解できない人間なんだ・・・とあらためて感じました。

警察官の調書の中で、柴田を逮捕し、パートカーに乗せたときの第一声が、 「本当に俺、轢いちゃったんですか」 「俺、交通刑務所にいくんですか」 と言っていたとあったが、 3年前の人身事故の時もそうだが、実際に事故を起こしたときの記憶がないので、今回の死亡事故もきっと、何の感情もないんだと思いました。

だから、、、モニターに、クレーン車のタイヤや、車体に飛び散る子供達の血痕が写し出されたときも、、、子供達6人の遺族調書が読まれ、次々に子供達の元気だった頃の写真が映し出されたときも、、、顔色ひとつ変えず、画面を眺めることができるのだと思います。

そういう姿を目の前にして、供述調書で分かっていたつもりではあったが、「こんなやつに轢かれてしまったんだ・・・」 とあらためて思うと同時に、反省しようがしまいが、最高でもたった7年で出所し、また車を運転してしまう事に対し、裁判で闘っている自分の無力さを痛感し、子供達に対して本当に申し訳なく思いました。

正直、柴田をみた感想はと言うと、供述調書で読んで予想していたとおりであり、「身勝手で反省のできない人間」「未来ある子供を6人殺したという感覚がない人間」 としか感じなかった・・・ もしかしたら、未だに 「本当に俺、轢いちゃったんですか・・・?」 とさえ思っているのではないか・・・と感じました。

柴田は、自動車運転過失致死罪の法定刑の上限は7年である以上、7年以下で出所し、また運転し、また誰かをを殺してしまうのだろう・・・・

大人が社会のルールを守らないのに、どうしたら我々は子供達を守れるのだろうか・・・・・

柴田という人間は、「たった7年で反省できる人間とはとても思えない!」 そう強く心に思いました・・・・

また、9月28日の裁判では、医師の調書や、母親の供述調書などが証拠として検事より朗読され、母親の供述調書は事前に読んでいたため内容を把握はしていたが、あらためて朗読されてみて、「起こるべくして起こった事故」であり、母親の行動にあきれると共に、これもまた、「こんな無責任な母親だからこそ、あの子達は轢き殺されてしまったんだ・・・」と思うと同時に、こいつが止めていれば、あの子達は死ななくてすんだ、事故は防げたはずなのに・・・と、あらためて悔しさと憎しみが込み上げてきた。

最後列に座っていた母親は、どんな思いで聞いていたのだろうか・・・

医師の調書では、柴田や柴田の母親に対し、本当に何度も何度も、獨協医科大学病院の医師から、「車の運転をしないように!」 と言われていたことや、 「クレーンの運転がしたい」と柴田が言ったときも、何度も何度も クレーンの運転ができない事を 相当厳しく言われていた状況などがあらためて分かりました。

このやりとりを聞いたとき、獨協の医師が、こんなにも止めてくれているのに・・・こんなにも注意してくれているのに・・・、それでも運転をやめることがなかった人間に対し、今回の裁判が終わったあと、 「誰が柴田の運転をやめさせる事ができるのか・・・?」 「誰が柴田のクレーン車運転への夢をあきらめさせることができるのか・・・?」 だれも止めることはできないのではないか・・・ そんな気持ちになりました・・・。

 柴田のクレーン車への憧れは、本当に理解できない。柴田の供述調書には、日光市大沢にある重機会社に1度面接に行き落ちているのに、その後、鹿沼の重機会社に勤めている時にも、日光市大沢の重機会社の 「青と白の」 クレーン車の操縦を諦めきれず、 名前を変えて? 面接を受けに行き、当たり前だけどバレて(以前に面接で落ちている柴田だということ) 再度、採用されなかったと書かれていた。 採用されなくて当たり前だし、地元では、てんかん無申告のクレーン運転手と言うことが、当然バレていたのだと思われます。

 

さらに、母親の供述調書では、

・柴田がクレーン車の講習に行く日(3年前の事故の執行猶予期間中)に、矢板市内でてんかん発作による事故を起こしていたこと。

・また、その時に接触した女子高校生が「なんか病気の人みたいだった・・」といっていたので、「インフルエンザにかかっていたので」と母親があわててごまかしていたこと。

・さらには、執行猶予期間中に事故を起こし、人身事故は刑務所なので心配したが、「幸い!」見舞金ですんだ・・・と供述していること。

・クレーン車の受験日の朝、自宅でてんかん発作を起こしたが、「宇都宮から仙台の新幹線のチケット代金がもったいないので将人を宇都宮駅まで送っていきました」と供述していること。

・車を運転する危険性よりも、車の便利さを優先しました・・・と供述していること。

・事故当日の朝、薬を飲んでいないことが分かり、その後 1時間後ぐらいには発作を起こすのではないかと思った・・・・事故の連絡を受け、、、私は、「やっぱり発作をおこしちゃった・・」と思いました・・・と供述していること。

上記のような信じられない母親の行動が次々と読み上げられ、事前に供述調書を読んで分かってはいましたが、ただただ信じられない気持ちでいっぱいになり、母親が、警察に連絡さえしてくれていたら事故は防げたのに、と言う思いがいっそう強くなり、やりきれない思いが込み上げました・・・

執行猶予期間中に矢板市内で起こした人身事故は、「幸い」 見舞金ですんだ  ではなく、 「不幸」 にもまた、てんかん発作による事故が発覚しなかった・・・ ということに何故気がつかなかったのか、、、その事を 「幸い」と表現する母親の考え方が、尊い6人の命を奪い、息子を殺人犯にしてしまったことに気付いているのか・・・本当に理解に苦しみます。

最後に、弁護人冒頭陳述についての感想ですが、

新聞等にも取り上げられた「てんかん患者であっても、人並みの生活がしたかった」 だから、「てんかん患者であることを申告せずに運転免許を取得した」 とあるが、

「人並みの生活がしたかった」というフレーズは、まじめにてんかんと向き合っているてんかん患者の方達には当てはまるケースがあるのかもしれないが、柴田はちょっと違うんじゃないか・・・と率直に思いました。

なぜなら、柴田は、クレーン車に乗らなくても、日光市内の前職場では、てんかん患者であるということを 会社がちゃんと理解して働かせてくれていたし、自転車で通勤できていましたし、22万円~23万円もの給料をもらい、車はエルグランドやステップワゴン、セルシオやハイラックスサーフなどを次々と所有していたからです・・・・

こんな高級車は、私も乗った事がありませんので、「人並みの生活がしたかった・・・・」は、柴田に当てはまるのか・・・? と言う気持ちで聞いていました。

日光市内の前職場の社長さんも、理解ある人だったのでしょうのに、クレーン車への憧れから勝手に会社を辞めてしまい、未来ある6人の児童の命を奪うという大事故を起こした柴田に対し、 きっと、「自分のところでコツコツと働いてくれていたなら、殺人犯にならなくてすんだのに・・・」 と残念に思っているのではないかと思います。

柴田の弁護側なら、このような表現を巧みに使って情状を訴えるしかなかったのだと思いますが、

「クレーン運転手になる、人並みの生活を送ると言う自分の夢と決別したのです」・・・・・・・?ではなく、

柴田に限っては、「クレーン運転手になると言う自分の夢と決別したのです」 の間違いだと、思っていますし、柴田のようにてんかんとまじめに向き合っていないにもかかわらず、働かせてくれている会社があって「人並みの生活が送れていた」人間のクレーン車への夢の問題と、  てんかんとまじめに向き合って、一生懸命生きていらっしゃる人達をとりまく様々な問題とを一緒にするのは、大変失礼なことだと思っています・・・

いろいろ感想を述べてきましたが、初公判を終えてみて、あらためて事故は完全に防げたし、柴田や柴田の母親のような無責任な生き方や考え方の人間さえ存在しなければ、子供達は死なずにすんだのに・・・・

と心の底から思いました。 本当に残念でなりません。