あの日 鹿沼児童6人クレーン車死亡事故遺族の想い - blog -

てんかん無申告で運転免許を不正取得したクレーン車の運転手により、登校中の児童6人が歩道上で轢き殺された事故【遺族ブログ】

共に生きていく

2017-04-21 | シンガーソングライター半崎美子
4月5日に発売された半崎さんのメジャーデビューアルバム「うた弁」に収録されている曲の中に、『深層』という曲がある。

『深層』 半崎美子

あなたをなくした悲しみと
あなたと出会えた喜びの
二つを海に沈めたら
同じ速さで落ちました

あなたが残した思い出と
あなたと交わした約束の
二つを空に放したら
両手に残ったままでした

振り向けば光るあなたの欠片を
時としてつたう涙に代えて

気がつけば浮かぶあなたの言葉を
繰り返しつなぐ届かぬ日々に

あなたをなくした悲しみと
あなたと出会えた喜びの
二つと共に生きていく
あなたと共に生きていく



「共に生きよう」と思っていた頃、振り返ると、心の中には辛い気持ちがあったように思う。
あれから何年か経ち、様々な出会いや不思議な体験、出来事を通じ「共に生きている」と感じている今、この歌詞を素直に心に受けとめ涙している自分がいました。

なくした哀しみと共に存在するかけがえのない生命との出会い… 思い出…
様々な出来事を通じてパパやママを生きさせようとしてくれた息子…

この歌は、若くして母親を亡くした半崎さんの友人への思いを歌にした楽曲とのことだが、今の自分の心境に相まって、涙が止まらなかった優しい歌…


【4月19日付 下野新聞】
下野新聞社さんが、半崎さんや半崎さんの曲との出会いにもふれながら、大芽への思いを記事にしてくれました。
事故から6年経ったけど、記者さんの、「風化させない」との気持ちや思い、様々な出来事、出会いに感謝した取材でした。





半崎美子 "明日へ向かう人" (MV Full Ver.) "The One that Heads to Tomorrow"

アイス

2017-04-19 | 日記

昨日は、大芽の6回目の命日だった。
仕事帰り、いつもはコンビニに寄る習慣がない自分が、昨日はなぜだかアイスが食べたくなってコンビニに寄った。
アイスもほとんど食べる習慣がないのにコンビニに寄った自分は、なぜだかわからないけど、アイス一つじゃなくて、気がつくと冷凍庫に入り切らないのに箱入りのアイスを2箱買っていた。

家に帰ると、大芽の友だちや、同級生、サッカー部の仲間が、高校の帰りに待ち合わせて、来てくれていた。

あまりにも嬉しくなって思わず、小さかったあの頃のあの子達に「アイス食べなっ」とあげるように、高校生になった大きな子たちにアイスをあげた。

大きくなったあの子たちは、何も変わらないあの頃のままでいてくれた。
嬉しそうにアイスを食べながら、自分の進路を話をしてくれた。
嬉しかった・・・

新聞などの取材を受けると、「高校生になった同級生を見て心境は」と聞かれる。
当然、大芽は高校生になれなかったのだから哀しい気持ちもあるけれど、高校受験のことや進路のことなどを嬉しそうに話してくれるあの子たちと話していて分かったことは、大芽の分も合わせて我が子の喜びのように感じている自分がいるという事だった。
幸せになってほしいと心から願っている自分がいた。

アイスを食べる習慣がない自分…
コンビニに寄る習慣がない自分が、コンビニにより、アイスを買う… しかも2箱…
買ったのは自分かもしれない、だけど、アイスを買わせたのは、きっと大芽なのだろう

大芽に代わって伝えたい
「ありがとう」 と 「感謝」

2017-04-06 | Chibi Taiga
あの日見た桜は
とってもきれいな桜だった

だけど

あの日以来僕は
桜を単純にきれいとは思えなくなった

あの日以来僕は
桜の中に哀しみを見るようになった

あの日君は
満開の桜の下で
懸命に走っていたから

あの日僕は
満開の桜の下で
精一杯ボールを追いかける君を見ていたから

そして

あの日君は
生きていたから




君がいる場所

2017-04-01 | 日記
人は、亡くなった後はどこに行くのだろうか
そして、その魂はどこに行ってしまうのだろうか
そして、どこに君を思えばいいのだろうか

思えば大芽が僕たちのもとからいなくなってしまってからは、不思議な出来事の繰り返しだったように思う

無謀かとも思えた法改正の時は、署名を行う場所の交渉がぎりぎりのところで許可になったり、正義感の強い記者さんに恵まれ、途切れることのない報道をしてくれたおかげで法改正の後押しをしていただいたり、署名提出のタイミングにおいては、偶然にも我々の事故に携わっていた記者さんがその直前に東京に転勤になり、署名提出時の報道や、国会での記者会見などで助けていただいたり、不思議とどのタイミングにおいても自分の向かうべき方向に強く導かれているように感じた。

大芽を亡くし、僕たち家族が生きる意味を見失っていた時期には、偶然ママが出会った歌手、半崎美子さんがママに書いてくれた「明日へ向かう人」という楽曲に心救われ、その歌詞によって ”辛くとも前を向いて生きよう”と思えるようになったし、半崎さんの活動を応援するにつれ、失っていた家族の会話も自然と生まれた。
引きこもっていた僕たち家族だったが、彼女のライブなどに外に出かけるようにもなった。

激務に心が壊れ、また、人間という生き物の心に疲れ、職場を辞めようと思った時には、辞表を出そうと思ったほんの少し前のタイミングで偶然にも精神科の先生が交代になり、そこでたまたま出会った先生の言葉によって救ってもらったりもした。

また、ちょっとした手術をすることになり、手術前検査の結果を聞きに受診したときには、「原因はわかりませんが、治っていますよ」と先生に言われ、「息子がそうしているのかもしれません」と病院で涙したこともあった。

お姉ちゃんが高校を受験するときなどでは、受験申し込み締め切りの前日、「あの高校は何故受験しないの」と別の高校の受験も勧めた結果、結局、受験する予定がなかったその高校に行くことになって、しかも、そこにはサッカー部があって、本人の希望で入部した。
高校でサッカーを始めたお姉ちゃんだったが、なぜか1年生からずっとレギュラーで使ってもらって、大会では優勝したりして、大芽のプレーを見ることが出来なくなってしまった僕たち両親に、大芽とともに見るはずだった素晴らしい景色を次々と見せてくれたということも、今思えば不思議な出来事の一つでもある。

そして、今も、ここには上げきれない様々な不思議な出会いがあったり、思いが通じたり、もしかしたらそのような方向性になっていくのではないかと感じていると、やっぱりそのようになっていったりと、不思議なタイミングで不思議なことが今も起こり続けている。


僕は大芽を助けてあげることはできなかった。
そして、事故の時、そばにさえいてあげることが出来なかった。
それなのに大芽は、その小さい体で精一杯考え、いつも僕たちのそばにいてくれて、その都度パパやママをを救ってきてくれていたのだとおもう。
数々の偶然な出会いや不思議な出来事を思うと、それらの出来事は決して偶然なことではなくて、「パパ、ママ、生きて」とずっとそばで導いてくれていたように思えてならない。

人は、亡くなった後は、どこに行くのだろうか。
その答えがわからないから、自分では辿り着くことのできない遠い場所に思いを重ね、空を見上げるのかもしれない・・・
だけど、そこは、あまりにも遠すぎるから悲しくもあり、これは愛するわが子への勝手な思いかもしれないが、本当は、大芽ははじめからそんな遠いところには行っていなかったのではとも思ったりもする。
だから今は、僕たちの周りで起きている様々な出会いや不思議な出来事を考えると、大芽はいつも僕たちのそばにいてくれて、今までだってずっと導いてくれていたのだと思えるし、今後もずっとそばにいてくれて、見守り続けてくれているのではないのだろうかと思っている。

大芽っ、大芽はパパたちが一番いてほしい場所、ずっとパパやママ、お姉ちゃんのそばにいてくれていたんだよね。


ずっと一緒・・・