1月23日(水)第6回民事裁判が行われ、結審。
そして、いよいよ4月24日、判決が言い渡される。
柴田受刑者の責任の重さや、小太刀重機の責任をどのように裁判所は判断するのか、そして、車を何度も買い与え、事故に積極的に関わってきた母親の責任を認めるのか、注目したい。
仕事を休み裁判に参加する被害者遺族・・・
「一生かけて償いたい」と言いながら、裁判に出廷しない母親・・・
被害者側になって初めて知った裁判の違和感。
せめて、我々の遺族の想い・・・意見陳述を聞いてほしかった・・・
意見陳述を聞くことは苦しいかもしれない
つらいかもしれない
しかし、それでもそれを聞き、
自分の何がいけなかったのか、自分は何をすべきだったのか、考えること・・・それが母親の取るべき行動なのではないだろうか。
「私にも責任はあると思っています。ただ、事故のあの日、私がどんなふうに止めても、あの子は私をけがさせようが何だろうがでていってクレーンの運転をした。そこだけは分かってほしいと思っています」
上記は、今回の裁判で母親が第5回民事裁判に呼ばれたときに法廷で発言した内容ですが、それで子供を殺された我々遺族に何を分かってほしいというのか・・・
生きたかった子供たちに、何を分かってほしいというのか・・・
未だに分かっていない・・・
私も親から買ってもらったからと言って、何度も何度も車を買い与えたこと
我々の事故の3年前の通学児童への人身事故の裁判で「居眠り」と、うその供述をしたこと
その裁判で「もう車に乗っていません」と発言しながら、裁判前に購入した車の納車に立ち会っていたこと
車の運転を何度も止めてくれた医者に対し、嘘をついていたこと
人身事故の執行猶予期間中、クレーン車の講習に向かう際、人身事故を起こしたこと
人身事故を起し、入院中の息子を、クレーン車の講習会に送迎したこと
人身事故の際、けがした女子高生に「病人みたいにふらふらしていた・・・」と証言されたとき「インフルエンザなんです」と言ったこと
クレーン車の受験の日の朝、てんかん発作を起こしたのに駅まで送迎したこと
おばあちゃんがセルシオを買ってあげたこと
まだまだここには書ききれないほど新たな事実が、今回の民事裁判でも明らかになりましたが、
柴田受刑者の母親には、
何度も何度も車の運転を止める機会があったはず・・・
気付いてほしい・・・
そして、この親子のような考えで、二度と同じような悲劇を起こしてほしくない・・・
「私にも責任はあると思っています。ただ、事故のあの日、私がどんなふうに止めても、あの子は私をけがさせようが何だろうがでていってクレーンの運転をした。そこだけは分かってほしいと思っています」
柴田受刑者の母親がこのブログを見ることがあるのかないのかわからないけど、もし、見ることがあるのなら、被害者の立場から言っておきたい。
「あの日・・・?」
「止めることができたのは、あの日だけだったのだろうか・・・」
「あなたはまったく分かっていない。そのあなたの考えが、息子さんを殺人者にし、我々の子供たちの幸せな未来を奪い、さらには、あなたの息子さんと同じ病気と一生懸命向き合って生きている患者さんをも苦しめてしまったということを」