あの日 鹿沼児童6人クレーン車死亡事故遺族の想い - blog -

てんかん無申告で運転免許を不正取得したクレーン車の運転手により、登校中の児童6人が歩道上で轢き殺された事故【遺族ブログ】

お子様は何人いらっしゃるのですか。

2015-06-27 | 日記
先日、車の定期点検で、ディーラーに行った

点検には1時間ぐらいかかるという事なので、その間、展示車を眺めていると、営業さんとの何気ない会話がはじまった。

「この車大きくて使い勝手がよさそうですね」

「そうなんですよ、たくさん乗れて便利です。」
「お子様は何人いらっしゃるのですか」

少し間をおいて、「高校生の子どもがいます」とだけ答えた。
僕は、「一人です」と答えることに耐えられなくて、「高校生の子どもがいます」と、答えにならないようなあいまいな答えで答えた。

日常のごく普通の何気ない会話だった。
営業さんが聞いたことが悪いわけでもなんでもない。
当たり前の会話であり、当たり前に答えられる普通の問いかけだった。
でも、大げさかもしれないが、僕にとっては、大芽がいない現実を肯定し、そのことを認め、自ら口にしなければないらない答えになってしまうのだなあと改めて感じされられた問いかけでもあった。

子どもは何人いるのだろうか・・・
生きている子どもは一人だから、一人と答えなくてはならない。
でも、僕の子どもは二人だから、答えることが出来なくなってしまう。

車の事は頭に入らなくなってしまい、「二人です」と僕の心の中でだけ答えた。

胸が苦しかった。



心が死ぬということ

2015-06-22 | 日記

北海道新聞配信の記事がYahooのトップ画面に上がり、目にとまった。 
「今はただ生きているだけ。沙耶佳は私たちの希望であり、未来であり、全てだった。そういう意味で、私たちも殺されたんです」

 昨年7月、北海道の小樽で発生した飲酒ひき逃げ事件。
 高校の同級生だった3人の尊い命が奪われた事件・・・
 あれから1年が経ち、29日に初公判を向かえるのだという。
 
 北海道新聞さんの取材に応じたお父様の言葉は、愛する我が子を亡くし、同じ思いで過ごしていた僕の心に突き刺さった。
 そして、言いようのない孤独と寂しさと悲しい気持ちを心に隠し、毎日、自分の気持ちに嘘をつきながら、何事もなかったかのように生活できてしまう自分がとても嫌になり、生きること、働くことの意味がまた分からなくなった。

「今はただ生きているだけ。沙耶佳は私たちの希望であり、未来であり、全てだった。そういう意味で、私たちも殺されたんです」
 
 生きることの意味、その全てだった愛する人を亡くした時、人は何を希望に生きていくのだろうか。 僕自身、愛する我が子の命を奪われてから4年経つが、今もその答えは見つかっていない。

 見つかるはずもない。