あの日 鹿沼児童6人クレーン車死亡事故遺族の想い - blog -

てんかん無申告で運転免許を不正取得したクレーン車の運転手により、登校中の児童6人が歩道上で轢き殺された事故【遺族ブログ】

柴田将人被告  初公判【平成23年9月28日(水)】

2011-10-02 | 日記

9月28日(水)、柴田将人被告の初公判が開廷され、我々遺族も被害者参加制度により、裁判に参加しましたので、感想を書こうと思います。

事前に柴田と柴田の母親の供述調書を読んでいたので、大体被告人の態度は予想はついたが、実際目にしてみると、自分の犯した罪の重さを理解できない人間なんだ・・・とあらためて感じました。

警察官の調書の中で、柴田を逮捕し、パートカーに乗せたときの第一声が、 「本当に俺、轢いちゃったんですか」 「俺、交通刑務所にいくんですか」 と言っていたとあったが、 3年前の人身事故の時もそうだが、実際に事故を起こしたときの記憶がないので、今回の死亡事故もきっと、何の感情もないんだと思いました。

だから、、、モニターに、クレーン車のタイヤや、車体に飛び散る子供達の血痕が写し出されたときも、、、子供達6人の遺族調書が読まれ、次々に子供達の元気だった頃の写真が映し出されたときも、、、顔色ひとつ変えず、画面を眺めることができるのだと思います。

そういう姿を目の前にして、供述調書で分かっていたつもりではあったが、「こんなやつに轢かれてしまったんだ・・・」 とあらためて思うと同時に、反省しようがしまいが、最高でもたった7年で出所し、また車を運転してしまう事に対し、裁判で闘っている自分の無力さを痛感し、子供達に対して本当に申し訳なく思いました。

正直、柴田をみた感想はと言うと、供述調書で読んで予想していたとおりであり、「身勝手で反省のできない人間」「未来ある子供を6人殺したという感覚がない人間」 としか感じなかった・・・ もしかしたら、未だに 「本当に俺、轢いちゃったんですか・・・?」 とさえ思っているのではないか・・・と感じました。

柴田は、自動車運転過失致死罪の法定刑の上限は7年である以上、7年以下で出所し、また運転し、また誰かをを殺してしまうのだろう・・・・

大人が社会のルールを守らないのに、どうしたら我々は子供達を守れるのだろうか・・・・・

柴田という人間は、「たった7年で反省できる人間とはとても思えない!」 そう強く心に思いました・・・・

また、9月28日の裁判では、医師の調書や、母親の供述調書などが証拠として検事より朗読され、母親の供述調書は事前に読んでいたため内容を把握はしていたが、あらためて朗読されてみて、「起こるべくして起こった事故」であり、母親の行動にあきれると共に、これもまた、「こんな無責任な母親だからこそ、あの子達は轢き殺されてしまったんだ・・・」と思うと同時に、こいつが止めていれば、あの子達は死ななくてすんだ、事故は防げたはずなのに・・・と、あらためて悔しさと憎しみが込み上げてきた。

最後列に座っていた母親は、どんな思いで聞いていたのだろうか・・・

医師の調書では、柴田や柴田の母親に対し、本当に何度も何度も、獨協医科大学病院の医師から、「車の運転をしないように!」 と言われていたことや、 「クレーンの運転がしたい」と柴田が言ったときも、何度も何度も クレーンの運転ができない事を 相当厳しく言われていた状況などがあらためて分かりました。

このやりとりを聞いたとき、獨協の医師が、こんなにも止めてくれているのに・・・こんなにも注意してくれているのに・・・、それでも運転をやめることがなかった人間に対し、今回の裁判が終わったあと、 「誰が柴田の運転をやめさせる事ができるのか・・・?」 「誰が柴田のクレーン車運転への夢をあきらめさせることができるのか・・・?」 だれも止めることはできないのではないか・・・ そんな気持ちになりました・・・。

 柴田のクレーン車への憧れは、本当に理解できない。柴田の供述調書には、日光市大沢にある重機会社に1度面接に行き落ちているのに、その後、鹿沼の重機会社に勤めている時にも、日光市大沢の重機会社の 「青と白の」 クレーン車の操縦を諦めきれず、 名前を変えて? 面接を受けに行き、当たり前だけどバレて(以前に面接で落ちている柴田だということ) 再度、採用されなかったと書かれていた。 採用されなくて当たり前だし、地元では、てんかん無申告のクレーン運転手と言うことが、当然バレていたのだと思われます。

 

さらに、母親の供述調書では、

・柴田がクレーン車の講習に行く日(3年前の事故の執行猶予期間中)に、矢板市内でてんかん発作による事故を起こしていたこと。

・また、その時に接触した女子高校生が「なんか病気の人みたいだった・・」といっていたので、「インフルエンザにかかっていたので」と母親があわててごまかしていたこと。

・さらには、執行猶予期間中に事故を起こし、人身事故は刑務所なので心配したが、「幸い!」見舞金ですんだ・・・と供述していること。

・クレーン車の受験日の朝、自宅でてんかん発作を起こしたが、「宇都宮から仙台の新幹線のチケット代金がもったいないので将人を宇都宮駅まで送っていきました」と供述していること。

・車を運転する危険性よりも、車の便利さを優先しました・・・と供述していること。

・事故当日の朝、薬を飲んでいないことが分かり、その後 1時間後ぐらいには発作を起こすのではないかと思った・・・・事故の連絡を受け、、、私は、「やっぱり発作をおこしちゃった・・」と思いました・・・と供述していること。

上記のような信じられない母親の行動が次々と読み上げられ、事前に供述調書を読んで分かってはいましたが、ただただ信じられない気持ちでいっぱいになり、母親が、警察に連絡さえしてくれていたら事故は防げたのに、と言う思いがいっそう強くなり、やりきれない思いが込み上げました・・・

執行猶予期間中に矢板市内で起こした人身事故は、「幸い」 見舞金ですんだ  ではなく、 「不幸」 にもまた、てんかん発作による事故が発覚しなかった・・・ ということに何故気がつかなかったのか、、、その事を 「幸い」と表現する母親の考え方が、尊い6人の命を奪い、息子を殺人犯にしてしまったことに気付いているのか・・・本当に理解に苦しみます。

最後に、弁護人冒頭陳述についての感想ですが、

新聞等にも取り上げられた「てんかん患者であっても、人並みの生活がしたかった」 だから、「てんかん患者であることを申告せずに運転免許を取得した」 とあるが、

「人並みの生活がしたかった」というフレーズは、まじめにてんかんと向き合っているてんかん患者の方達には当てはまるケースがあるのかもしれないが、柴田はちょっと違うんじゃないか・・・と率直に思いました。

なぜなら、柴田は、クレーン車に乗らなくても、日光市内の前職場では、てんかん患者であるということを 会社がちゃんと理解して働かせてくれていたし、自転車で通勤できていましたし、22万円~23万円もの給料をもらい、車はエルグランドやステップワゴン、セルシオやハイラックスサーフなどを次々と所有していたからです・・・・

こんな高級車は、私も乗った事がありませんので、「人並みの生活がしたかった・・・・」は、柴田に当てはまるのか・・・? と言う気持ちで聞いていました。

日光市内の前職場の社長さんも、理解ある人だったのでしょうのに、クレーン車への憧れから勝手に会社を辞めてしまい、未来ある6人の児童の命を奪うという大事故を起こした柴田に対し、 きっと、「自分のところでコツコツと働いてくれていたなら、殺人犯にならなくてすんだのに・・・」 と残念に思っているのではないかと思います。

柴田の弁護側なら、このような表現を巧みに使って情状を訴えるしかなかったのだと思いますが、

「クレーン運転手になる、人並みの生活を送ると言う自分の夢と決別したのです」・・・・・・・?ではなく、

柴田に限っては、「クレーン運転手になると言う自分の夢と決別したのです」 の間違いだと、思っていますし、柴田のようにてんかんとまじめに向き合っていないにもかかわらず、働かせてくれている会社があって「人並みの生活が送れていた」人間のクレーン車への夢の問題と、  てんかんとまじめに向き合って、一生懸命生きていらっしゃる人達をとりまく様々な問題とを一緒にするのは、大変失礼なことだと思っています・・・

いろいろ感想を述べてきましたが、初公判を終えてみて、あらためて事故は完全に防げたし、柴田や柴田の母親のような無責任な生き方や考え方の人間さえ存在しなければ、子供達は死なずにすんだのに・・・・

と心の底から思いました。 本当に残念でなりません。