今日は、定期的に行っている精神科の診察日だった。
問診では先生が、「いかがですか・・・」とやさしく気遣いながら語りかけるような口調で聞いてくれる。
「仕事は忙しいですが、大分調子はいいようです」
私は答えた。
次の瞬間、本当なのだろうかと自分に問いかけ、先生に尋ねた。
「本当は、正常なのかどうかわからないんです。 大芽のことを考えれば悲しくなり、涙も止まらなくなります。だから、あまり思い出さないようにしたり、考えないようにしたりしている自分もいます。しかし、そのことが、大芽をさけてしまっているように思うときもあり、はたして、今の自分の状態が正常なのかどうかさえ、わからないのです。」
日常の生活の中では、笑うこともある。
冗談もいうこともあれば、ふざけるときだってある。
生活していれば、出かけることもあるし、おいしいものを食べたいと思うときもある。
しかし、それらすべての行動の中で、
笑うということの裏側で、”何故笑っていられるのか” と問いかける自分がいる。
仕事をするということの裏側で、”何のために仕事をしているのか” と問いかける自分がいる。
おいしいものを食べた後で、それを大芽に食べさせてあげることができない自分がいる。
思い出せば悲しくなり、なるべく考えないようにすれば、今度は、そのことが辛いと思うときもある。
「共に生きる」 ということ
そうは思ってみても、現実として、大芽はそばにいない
大芽・・・ 大芽に逢いたいです・・・