今日は、第42回県少年サッカー選手権大会の開幕日だった。
生きていれば、大芽も当然ピッチを駆け回ったであろう6年生最後の大舞台。
11日に下野新聞に掲載されたメンバー表、トーナメント表をみて、場所は知ってはいたものの、大芽の同級生の応援に行きたいという気持ちと、ピッチにいるはずであった大芽がいない現実を再認識することの苦悩との狭間で、悩んでいました。
もしかすると、昨日の午前中までは、やっぱり行くのはやめよう・・・という気持ちの方が勝っていたと思います。
きっと行っていなかったのだろうと思います。
でも、ある手紙が届いたことによって、結果として行くことができ、不思議な体験ができたことを本当に感謝しています。
12日のお昼頃、突然手紙が届きました。被害者支援センターからのものでしたが、そこには、被害者支援センターとちぎが10月上旬に開催した巡回パネル展で、来場者の方が書いてくれた「天国への手紙」というアンケート用紙の中で、大芽君やご家族の方にどうしても読んでいただきたいメッセージがありますと書かれており、用紙のコピーが同封されていました。
「大芽くんのことニュースで見て知っています。ぼくは大芽くんと同い年です。
つい最近、ぼくが所属しているチームと北押原FCと練習試合をしました。 ぼくは、大芽くんのことを知っていたので、9番の大芽くんのことを思いながら試合をしました。
あったことがない大芽くんですが、心の中で思いながらサッカーをします。ぼくも、たいちゃんとよばれています」
このメッセージを読んだ後、新聞に掲載されている北押原FCのメンバー表を見ました。そこには、今もなお大芽のために9番を空けて申請してくれている北押原FCの監督さんや保護者、チームの仲間たちの気持ちが込められており、行こうと思うことができたのです。
結果、北押原FCは負けてしまいましたが、大芽のことを知っている大芽が愛した仲間たちの頑張っている姿を目にすることができ、本当に良かったと思っています。 行かなければ、きっと後悔していたことと思います。
また、北押原FCの試合後、どうしても、「天国への手紙」のメッセージをくれた少年のプレーが見たくなった私は、その子の試合会場へ行ってみることにしました。会場は遠かったし、試合時間につくかどうかわからなかったのですが、とにかく導かれるような思いで会場に向かいました。
その子のチームの試合会場に着くと既に試合は始まっていました。
私は、ピッチ上を目を凝らして、メッセージに書かれていた名前の子の番号を探したのですが、その子は出場していませんでした。
とても残念に思ったのですが、せっかくなので、その子が所属しているチームの試合を最後まで見ていこうと思い見続けました。
試合は両チームとも一歩も引かず、決勝戦のように緊迫した試合でした。
相手のチームは、背の大きな大きな子が何人かいて、その子のチームは苦戦し少し小振りに見えました。
前半終了のホイッスルが鳴り、0-0の同点で折り返し、後半が始まりました。
後半も同じメンバーのようだったので、探している子を見つけることができず、何よりもその子のプレーを見ることが出来ないのだということを残念に思っていました。
その時です、後半の試合開始5分ぐらいだったでしょうか、突然、監督さんがメンバー交代を告げました。
驚くことに、探すのをあきらめていた背番号の子が呼ばれました。
その子は、センターライン付近に選手交代のために向かいました。
私は、第4審判に交代を告げ、立っているその子を見たとき、息をのみました。
自分の心臓がどんどん早くなっていくのがわかりました。
どんどんどんどん早くなりました。
その子は10分ほど出場し、最後の5分は交代させられてしまったのですが、その間の自分の胸の高鳴りや、込み上げてくる想いは一生忘れることができません。
たった10分かもしれないけど、ピッチ上を駆け回っていたその子は、こんな想いで眺めてしまって、その子には大変申し訳ないけれど、
驚くほどに雰囲気が大芽に似ていて・・・
驚くほどに走り方が大芽に似ていて・・・
止まるときも少し跳ねるような止まり方をしたりして・・・
大きな相手選手へのコンタクトの仕方、プレースタイル・・・
偶然にしては、あまりにも大芽と似過ぎているように思えました。
思わず涙があふれてきました。
その子が書いてくれた「天国への手紙」へのメッセージが導いてくれた今日の出来事・・・
その子は決して大芽ではないのだし、そういう想いで勝手に応援させていただいて大変申し訳ないけれど、県選手権大会で活躍する大芽の姿を、叶わぬ大芽への父親としての想いを思い描かせてくれたこと・・・
大芽がいない寂しさ、辛い気持ちはありましたが、ほんのひと時のとても幸せな時間だったように思います。
一生忘れられない出来事でした。