あの日 鹿沼児童6人クレーン車死亡事故遺族の想い - blog -

てんかん無申告で運転免許を不正取得したクレーン車の運転手により、登校中の児童6人が歩道上で轢き殺された事故【遺族ブログ】

君が見ている空の色は

2015-03-21 | Chibi Taiga
今日は、お彼岸で、たくさんの人が墓参りに訪れていた。
先週の休日は、仕事で行けなかったので、二週間ぶりに大芽に逢うことができた。

犬のマロンも一緒だったことから、何人かの見知らぬ人と挨拶程度に言葉を交わしたけど、亡くなった方を慈しみ、訪れる人のそれぞれの想いに我が子への想いを重ね、ほんの少しの会話でさえも心洗われるような、いとおしい瞬間にさえ思えた。

お墓をきれいに拭いてあげて、そのあと、どうしても伝えたいことがあった僕は、大芽にそっと、そのことを報告した。

事故からもうすぐ4年が経つけれど
この4年間は、不思議なことばかりだった...
どんな困難な状況であっても、大芽はいつも僕のそばにいてくれて、僕をいつも助けてくれて、困ったときはいつも導いてくれたように思う。

大芽、
パパは大芽を助けてあげることはできなかったのに、
大芽はいつもパパのそばにいてくれて、
パパが本当にダメになりそうなときやピンチの時に、その小さな体で一生懸命考え、いつもパパを助けてくれたね

大芽、
大芽はいつもパパのことを守ってくれるのに、
それなのにパパは、大芽のことを守ってあげられなくてごめんね


ここちよい春の日差しを感じながら、空を見上げると、気持ちのいい青空だった。



大芽、君がいつも見ている空は、こんな空だったんだね

大芽、美しいこの空の色は、君の目にはどんな色に映っているのかな

大芽、こんな所で見る空の色は、パパにはどうしても滲んでみえてしまうよ

こんなにも鮮やかで、こんなにもきれいな色なのに、
あまりにも切なすぎる空の色 「青」







卒業式 君への想い

2015-03-10 | 日記
今日は、娘の卒業式でした。
あの日、あの事故さえなければ、大森卓馬くん、熊野愛斗くんも一緒に卒業し、杏弥くん、美花ちゃんや圭太くん、大芽たち下級生が元気に送り出しているはずでした。

2年生の立志式の行事の時、学校からの依頼で娘に書いた手紙...
その手紙の内容を再びかみしめながら、特別な想いで成長した娘の姿を観ていました。



メイカへ

 立志式おめでとう。そして、今まで生きていてくれてありがとう。
 パパやママのそばにいてくれてありがとう。

 あの日、大芽が亡くなってしまってから、家族でどこにも行かなくなってしまいましたね。そして、この3年間いろいろな事があったね。
 パパやママが街頭に立って声を張り上げ、署名活動をしたり・・・、記者会見で泣いている姿がテレビで映し出されたり・・・、年頃のメイカには、もしかしたら、学校でひやかされたり、恥ずかしいと思って嫌な思いをしたこともあったのかもしれないね。
 外出時には一日中マスクをし、顔が見えないようにしていたメイカを見守りながら、ずっと心配していたのを覚えています。

 しかし、今は、一度は辞めてしまったバレーボールをやるようになり、駅伝にも参加したり、大好きな三代目JSBの話をしてくれたり、ママとコンサートに行ったり、買い物に行ったりするようになってくれましたね。
 何よりもうれしいです。

 あの日、あんなことが起きてしまって、家族でどこにも行かなくなって、お正月だって「おめでとう」も言わなくなり、初詣も行かなくなってしまって、メイカには、普通の家族がしていることをしてあげられなくなってしまいました。
 本当に申し訳なく思っています。
 また、ずっと大芽のことばかり考えているパパをみて・・・、旅行にもどこにも連れて行かなくなったパパをみて、もしかしたら、自分への愛情に疑問を持ったこともあったかもしれません。 
それについても、申し訳なく思っています。

 だけど、もし、あの日亡くなってしまったのが大芽ではなくてメイカだったとしても、パパやママは、どんなことをしても法改正を成し遂げ、同じ事をしてきたと思います。
 そして、今でも、毎日毎日、メイカの事を考えていると思います。

 この先の長い人生の中で、パパもママも、そしてメイカも、この悲しみの闇から抜け出すことはないと思います。
 でも、パパは、小学6年生という、自分の感情さえもコントロールできない幼かった君が、大好きな弟を亡くし、その後、パパ達の行動を見てきたことによって、「命の大切さ」や「愛する家族への想い」を誰よりも考えたのではないかと思っています。

 そんな辛い体験をしてきたメイカには、「命の大切さ」や「愛情」を感じながら、優しい大人になってくれることを願っています。
 そしていつかメイカが結婚したら、大芽がいたころのような、笑いの絶えない、幸せな家庭を築いてほしいと心から願っています。

 最後に、パパ、ママ、大芽が、ずっとずっとメイカの事を愛しています。

パパより
 
 
 
 

メキシコ人の漁師の生き方

2015-03-07 | 日記
僕たちは、限られた人数でどれだけの仕事がこなせるというのだろうか
何故これだけ過酷な状況で働いていても、職場環境は改善されないのだろうか。
増え続ける仕事に比例して連日、深夜に及ぶ残業。
家に帰っても疲れきってただ寝るだけの毎日で、お風呂も入らずに寝てしまうこともある。
土日はただひたすら眠り続け、起きているときはやたらとチョコレートが食べたくなる。
子どもを亡くし、命の大切さや家族と過ごす時間の大切さを誰よりも知っているはずなのに、その、何よりも大切な命や健康、まともな精神状態とひきかえにしてまで、過酷な労働環境の中、長時間にわたり、命を削りながら働き続けるということ

そのことにどれほどの意味があるのだろうか
たぶん、意味なんてない。

「最後は命の方が大切です。いつでも言ってください」
僕の場合、子どもが亡くなってしまってから定期的に通っている精神科の先生の言葉に救われ、なんとか仕事を続けているが、現実として現代社会の中では、こうやって多くの人が生きるため、一人で悩み苦しみ、それでも責任感と使命感をもって過酷な労働条件のもと働き続け、やがて追い込まれていってしまうのだと感じてしまう。



「人間は、働くために生きているのか」
「幸せとは何なのか」

 ある本に掲載されていた、その答えともいえる「メキシコ人の漁師の生き方」という話を紹介したい。

 メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。 メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」と尋ねた。
 すると漁師は「そんなに長い時間じゃないよ」と答えた。
 旅行者が「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」と言うと、 漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」と旅行者が聞くと、 漁師は、「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」
 すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。それであまった魚は売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
 漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんと昼寝して過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう」



 仕事を頑張る必要はないと言っているわけではないが、一人の人間に与えられた一日の時間や能力には限界があるのだから、その中で普通に無理なく働ければいいのであって、自分の命とひきかえにしてまで過酷な労働条件の中、働く必要はないと僕も思う。
 この話は、ネットにたくさん紹介されている話らしいが、この話を引用した著者も自身の本の中でこう伝えている。
 
 「別にビジネスマンを目指す人がいたっていいんだけど、ほとんどの人は本当はビジネスマンではなく漁師のように生きられればそれで十分幸せなんじゃないだろうか・・・」

 また、著者の方は、著書の中で、仕事がハードで家にもあまり帰れず、二十代前半の若さで自らの命を断ってしまった友人にもふれ、こうも思いを伝えている。

 「僕はそれを聞いてすごく悲しくなったし、すごくもったいないと思った。仕事なんかで死ぬなんて本当に馬鹿馬鹿しい。死ぬくらいだったら無責任でも何でもいいから、全てを捨てて逃げればよかったのに。死なないこと以上に大事なことなんて人生にはない。」
 「仕事なんて命に比べたらどうでもいい。人間は仕事のために生きているわけじゃないし、仕事なんて人生を豊かにするための一つの手段にすぎないんだから。」


著者の言葉に感謝...