旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

バスで行く宮城県 松島

2011-07-03 00:00:00 | 小さな旅

仙石線 快速 3121S列車 [205系車両] (本塩釜)

本塩釜駅は昭和55年に利用した事がある。当時の本塩釜駅は地上にあったので、高架駅となってからは初めての利用となる。東塩釜行の普通列車を見送って、高城町行の快速列車に乗車する。先頭車両の車体にはロボコンが。


metro 本塩釜より松島海岸へsymbol6

仙石線 快速 3121S 本塩釜(11:25)→松島海岸(11:34) クハ205-3108

本塩釜を出発。高架線を走る列車から港の方を見ると、明らかに津波の被害を受けているのが判る。東塩釜に到着。先程見送った列車が止まっているのが見える。この先の仙石線は単線となる。海岸沿いに出る。きれいな入り江だが、打ち上げられたような船があったり、瓦礫があったりする。陸前浜田付近で仙石線は東北本線と絡み合うように走り、松島海岸に到着した。ここで下車する。プラットフォームから石巻行の代行バスが見える。


JR東日本 列車代行バス 117便 (松島海岸)


仙石線 松島海岸駅 (宮城県宮城郡松島町松島字浪打浜)

仙石線は震災の影響で、高城町-石巻間が不通となっている。代行バスへは松島海岸での乗換えとなり、快速列車から降りた人が乗り換えている。券売機で目的地までの乗車券を買ってからバスに乗車するよう案内されている。代行バスの行く先は津波被害が甚大であった地域である。今日はそちらへは向かわず、松島を散策する。


海は何事もなかったかのように美しい…


五大堂が見える!


日本三景碑


陸奥松島 丹後天橋立 安藝嚴嶋 爲三處奇觀
寛永二十年(1643) 日本國事跡考 林 春斎
※一部、字が異なります。ご了承ください。

丹後の天橋立にはまだ行った事がない。


五大堂《重要文化財》 (宮城県宮城郡松島町松島字町内)

足元の踏板の隙間から海が見える、すかし橋を渡って五大堂へ。こちらにも地震の被害が。五大堂は大同2年(807)、坂上田村麻呂の東征の際、毘沙門堂を建立したのが始まりという。現在の建物は伊達政宗公が慶長9年(1604)に創建したそう。五大堂はこれからお参りする瑞巌寺のお堂である。


福浦島と福浦橋 (宮城県松島町松島字仙随)

松島湾に浮かぶ福浦島(右)と本土(左)との間には、朱塗りの福浦橋(252m)が架かり、島内を散策できる。通行料200円が必要。


旅客船〔第三仁王丸〕

やはり松島観光といえば遊覧船でしょう。4月には大型船の運航を再開しています。自分は昭和55年に、塩竈から松島まで小さな船に乗って観光した記憶がある。


国宝 瑞巌寺 総門 (宮城県宮城郡松島町松島字町内)

いよいよ瑞巌寺へ。総門は慶長14年(1609)、伊達政宗公による建立。松島は曾遊の地なのだが、瑞巌寺にお参りしたか記憶が曖昧だったので、旅行前におかんに確認したところ、お参りしたという。門前の土産物店は被災して閉めているところもあるが、開いている店舗もある。


参道の杉木立

このあたりは記憶にある。


鉄道殉職者弔魂碑

鉄道の安全を祈願する。瑞巌寺の裏を、東北本線、仙石線が走っている。さて、この先は拝観料(700円)が必要となる。京都のお寺と比べて少し高い気がするが、今日は瑞巌寺にお参りすると決めていたので、入らせていただく。拝観券は自動販売機での購入となるが、何とSuicaが使える。受付で切符を切ってもらい、パンフレットをもらい中へ。順路に従い、庫裡へ。


庫裡《国宝》

庫裡より、奥に続く大書院へ。修理中の本堂から移されている御本尊、伊達政宗公大位牌、三代開山木造等々、特別公開されている。他にお参りする人も少なく、大書院内で一人で御本尊、聖観世音菩薩様にお会いする。内部は撮影禁止となっており、お見せする事は出来ませんが、今回も無事お参りする事に成功しました。


瑞巌寺には多数の洞窟がある


隧道もある


隧道の内部


本堂《国宝》は文化財保存修理中

瑞巌寺は臨済宗妙心寺派に属し、正式名称は松島青龍山瑞巌円福禅寺というそう。天長5年(828)慈覚大師の開創と伝えられる古刹。本堂が修理中なのは残念だったが、宝物館(青龍殿)の興味深い展示物をゆっくりと見せていただいた。実に31年振りの瑞巌寺だったが、今度は本堂が見られる頃になったら再訪したい。 (つづく)


法身窟


総門の外には松島湾
いずれも平成23年6月1日撮影
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