翻訳者の散歩道

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(「翻訳者になりたい人のためのブログ」を統合し「第ⅡBlog〇〇編」と表記)

火牛の計

2005年10月17日 | 歴史

かぎゅうのけい。ハンニバルのとった戦法です。

ご存知、ハンニバルは、有名なポエニ戦争(ローマとカルタゴ間)のカルタゴの名将軍。(参考:ポエニPoeniはラテン語でフェニキア人を意味します)

ハンニバルは、幼少時からローマに対する仇敵意識を植え付けられ、さらに第一次ポエニ戦争に負けたことによる復讐心に燃え、ローマ軍の恐れるケルト人と手を組み5万の傭兵を率いてスペインから出発。ピレネー山脈、フランス南岸を通過し、真冬のアルプス越えをしてローマ共和国のイタリア本土に攻め込みます。

イタリアに侵攻してからはハンニバルは連戦連勝!ローマの元老院は「ローマ軍はハンニバルと正面から戦ってはならない」と命令を出したほど。

そのイタリア戦線で、カンナエ付近のカラクリ峠でローマ軍8万を対峙した際、ハンニバルは火牛の計(=牛の角に火をつけ放ちます)を用い、突破しました。

驚くことに、日本でも同じ戦法を使った武将がいるのです!

これもご存知木曾義仲!(大河ドラマ義経でも義仲は登場していましたね)

この木曾義仲が牛の角に松明をつけ、倶利伽羅峠(今の石川県か富山県あたり?)で平維盛率いる平家の大軍を破っています。

ハンニバルがこの戦法を使ったのがカラクリ、木曾義仲が使ったのがクリカラ。時空を超えた何かがあるのでしょうか(@_@)

 


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2 Comments

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火牛の計の元祖? (歴史好き)
2005-11-22 21:02:55
火牛の計は、司馬遷の史記によると,紀元前284年頃,古代中国の春秋戦国時代の斉(せい)の田単(でんたん)が行った戦術とされています。木曾義仲は,この故事に則ってこの作戦を遂行したと見なすのが一般的のようです。紀元前216のカンナエの戦いのハンニバルと斉の田単との関係はよくわかりません。ただし,カンナエの戦いは,現在でも方位殲滅戦のお手本とされている戦いです。第1次世界大戦で独の参謀本部が立てたシリフェンプランも,カンナエの戦いを基礎にしています。外国の軍事関係者に,この両者の関係を研究している,または,していた人がいるかもしれません。
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ありがとうございます (rei)
2005-11-23 00:09:32
はじめまして。

情報ありがとうございます。

火牛の計、中国の春秋戦国時代まで遡るとは知りませんでした。

大変歴史にお詳しいのですね。

今後もよろしくお願いいたします。
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