最近の私の口癖です。
昨日もKコーチに話したのですが、座れていない人間に脚・拳・重心の要求をしても何ともなりません。また、人を指導する場合、どこをどのように指導すれば人が・馬の動きが向上するか、的確に判るというのは大変なことなのですが、座って・・・すると考えると非常に冥界になります。
脚が流れている人に、脚の位置を直せと言っても、問題は脚に有るのではなく本質は座りにある。だから『脚を引け』ではなく『きちんと座って、脚を引きなさい』と指導する。
障害のアプローチでも同じです。
初級~中級の人は例外なく障害の手前3歩で障害と対峙しているけど、本質は回転から直線に向いた最後の7歩~3歩のアプローチでしっかり座れているか(2ポイントでもきちんとしたバランスバックは座りと表現出切る)です。
バラケている状態で障害に突入し、最後の3歩で何とかしようとしても、馬の反抗・興奮・踏み切りの不安定などトラブル続出です。
座る・座る・座る・・・
馬術の本質です。
昨日もKコーチに話したのですが、座れていない人間に脚・拳・重心の要求をしても何ともなりません。また、人を指導する場合、どこをどのように指導すれば人が・馬の動きが向上するか、的確に判るというのは大変なことなのですが、座って・・・すると考えると非常に冥界になります。
脚が流れている人に、脚の位置を直せと言っても、問題は脚に有るのではなく本質は座りにある。だから『脚を引け』ではなく『きちんと座って、脚を引きなさい』と指導する。
障害のアプローチでも同じです。
初級~中級の人は例外なく障害の手前3歩で障害と対峙しているけど、本質は回転から直線に向いた最後の7歩~3歩のアプローチでしっかり座れているか(2ポイントでもきちんとしたバランスバックは座りと表現出切る)です。
バラケている状態で障害に突入し、最後の3歩で何とかしようとしても、馬の反抗・興奮・踏み切りの不安定などトラブル続出です。
座る・座る・座る・・・
馬術の本質です。
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