サジッタ&清史郎の部屋

相棒3頭と暮らす馬日記

大師匠(荒木先生)に会いに行きたい・・・

2007-01-23 20:43:55 | コーチとして
 昨年春の傘寿の会でお目にかかって以来だから、ご機嫌伺いにあがりたい・・・ではありません。

 下手の横好き、徒に馬齢を重ねるがごとく、13期卒業生の中で現役時に技術が低かった私が、卒業後も何故か馬を続けること25年。単純に25年と言いましても勤務地の関係や、当地で行なわれた様々な出来事に絡んでお世話になった馬術指導者の方々から、色々な影響を受けながら馬を続けてきました。
しかし、脳裏に強烈に刷り込まれているのは、馬に乗ることの基礎を教わった京都産業大学馬場で4年間視界に入っていたことで、良くも悪くも私の馬術観の根幹を成しています。

 当時の京都産業大学馬術部は、荒木先生・坪田先生の2大指導者を筆頭に、堀田・山脇・谷口・村田・林といったコーチの方々が指導・調教にあたっていらっしゃいました。(う・・・、今とほとんど変っていない・・・)その中でも荒木先生の調教手法はとりわけ強烈で、馬の首を内方に畳み込み、輪乗り上で行なう深い二蹄跡運動でガンガン馬を責めつける(・・・素人にはそのようにしか見えなかった・・・)乗り方。それがしっかりと刷り込まれて、馬術=二蹄跡運動となったのです。卒業後に中国地方の田舎を転々としましたが、ハミ受けが出来ていようが出来て居まいが、とにかく首を内に曲げこみ推進・推進・推進と脚を使い続ける日々でした。馬術=二蹄跡運動、そして馬術=推進。これが私のベースでした。荒木先生には猛烈な推進があるから強烈に内方拳を引っ張っても馬が出来上がるのだから、自分も推進力をつけなければならないと意識していました。

 さて、では私の意識は正しかったのか・・・。ある部分は間違っていなかったでしょうが、実は非常に大きな間違いを犯していたと思います。
内方手綱だけを強烈に引っ張っているように見えた荒木先生の内方の反対側、外方の拳はどんな扶助を使っておられたのだろう? 素人だからハミしか見えたかったけど、後駆とハミの連動は如何だったのだろう? 速歩運動の段発は? 駈歩運動で馬の背はどんな動きをしていたのだろう? 
・・・、な~んにも覚えていないというか、目も前で起こっていることを理解できる目が無かったのです。
 もっと言うなら、最近自分の考え方の中で起きている大きな変化。馬術とは引っ張るタイミングではなく、譲る・開放するタイミングにこそ真髄があるのではないか。荒木先生が強烈に引っ張った後の開放のタイミングは如何だったのだろう・・・、なんていう事を思いながら馬に乗ることが多いです。

 私が大学に入学したのが昭和52年。日の丸を胸に付けて荒木先生がメキシコ五輪に出場されてから多分7年後くらいです。当時の日本で5本の指に入る馬術選手がトップに君臨した大学馬術部。今に例えるなら、杉谷泰造選手であり、林忠義選手であったかもしれません。そんな偉大な馬術家が調教する姿を見ながら、本質的な技術が何も理解できていなかったことが、今となっては残念でなりません。『技術は教わるものではなく見て盗むもの・・・』とも荒木先生は仰いました。

 時間を後戻りさせることが出来るなら、荒木先生の技術を盗みに行ってみたいものだと思います。

(母校 京都産業大学馬術部OBのブログ投稿記事より)

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