鶴岡の海沿いの地域、鼠ヶ関でこの度神道行法研修が行われました。
具体的には、冷たい水の中に入り身体と心を清める「禊」(みそぎ)という
行事をしてまいりました。
台風の接近に伴い、海が荒れ雨風が強かったら中止、という
なんとも厳しい状況での研修でしたが、
今朝は奇跡的に晴れ、海もここ数年の研修で一番穏やかだ、と言われるくらい
波が静かで、水温もそれほど低くなく、
身体全体が優しい何かに包まれているかのような
不思議な感覚を体験する事が出来ました。
朝方なので装束だけでは寒かったのですが、
とても穏やかで心地よいひと時でした。
禊を行うだけではなく、
禊の起源やどこから伝わったのか、
詳しい方法などをご教授頂き、
本番に臨みましたので、より深い知識を得る事が出来ました。
荘内神社には禊場も海も近くにないので
禊を頻繁にやる事は出来ません。
ですから、このような機会に出会えてとても光栄でした。
心と身体が清まった今日は、
なんだかいつもと違うような気がいたします。
皆さんにも、そんな経験はないでしょうか?
なにか決まった自分自身のルール、決まり事を行うと
気持ちがリセットしたり、切り替わったり、
前向きになることができる…
そんな心の切り替えスイッチが禊、だと考えてみてください。
禊とは、神様にご奉仕するため
心身をきよめなければならない、
特に心を清め、常に清浄で万全の体制で居なければ
ならないことから行う行法ですが、
禊をすると心があらわれてリフレッシュできる、
というのも事実でございます。
でも心の切り替えの為だけに禊までするのは難しい…
ので、その簡易版が手水だと私は思っております。
左手から洗い、心身が清まる作法。
一番災いを招いたり、罪を犯したりする頻度や
因果関係が強い身体の部位、「手」を清めるものです。
やり方や順番が決められ、
その通りにやると気持ちがスッキリする。
これは禊にとても酷似した感覚だと思います。
やたらめったらすればいい、というものではありませんし、
普通に手を洗うとはわけが違うものですから、
手水も難しい…と思われる方もいるかもしれません。
毎日するのが難しい、
神社に来る機会が少ない、
という方は、自分が都合の良い時で良いので
神社へ参拝に来られたら必ずする、
と決めてみてください。
ルールを課して、意味を考えながら物事を行うのと、
意味を知らずに行うのとでは、やはり
やった後の感覚が違うと思います。
神様は目に見えず、その神様の力も見る事は出来ません。
でも、何か心地よいように感じる、
分からないけど神社に来たらすがすがしい気がする。
「気がする」で良いのです。
何も変化が無ければ、理由が無ければそのような「気」さえ起らないのです。
禊を体験し、神様のお力を感じ取ることはなかなかできませんが、
神社へ来たときにほぼ確実に、誰でも行う事が出来る手水で
ぜひその「感覚」を感じてみてください。
手水の正しいやり方がわからない…
という場合は、お気軽にお声がけ頂ければ
お教えいたしますのでお聴きくださいね!
皆さんのご参拝、お待ちしております。