一九七一年に刊行された『寺山修司全歌集』に、未刊歌集「テーブルの上の荒野」を収録して以降、寺山短歌が公式に発表されることはなかった。
しかし一九七三年、雑誌「海」の編集長の何気ない言葉に誘発されて、百首ほどの短歌をつくることが計画されたという。七月にはそれら歌群に「月蝕書簡」というタイトルもつけられた。だが作歌は順調ではなかった。
《一九七三年から十年かけて作られた短歌は、いろいろな紙片にメモされ、私の手元に残された。
そのうちでも、短冊形に切られた紙に一首ずつ、4Bの鉛筆できれいに清書したと思われるものは、一応完成作品と判断した。これが六十首ほどを占める。
写真資料(略)の中にある大判の画帖には思いつくままのことばの断片が縦横無尽にしたためられている。それだけで寺山がこれから書こうとしているイメージが見てとれる。そのほか、旅行中のノート、航空便箋、絵葉書の裏など、手元にあったと思われる用紙に、なぐり書きしている。後で、自分で書きつけたことさえ忘れてしまっているのではないかと思わせるような残され方である。》(田中未知「『月蝕書簡』をめぐる経緯」)
以下はこの田中未知編寺山修司未発表歌集『月蝕書簡』からの任意の抜粋である。
寺山修司の未発表短歌__1
寺山修司の未発表短歌__2
寺山修司の未発表歌集__3
寺山修司の未発表短歌__4
寺山修司の未発表短歌__5
寺山修司の未発表短歌__6
寺山修司の未発表短歌__7
しかし一九七三年、雑誌「海」の編集長の何気ない言葉に誘発されて、百首ほどの短歌をつくることが計画されたという。七月にはそれら歌群に「月蝕書簡」というタイトルもつけられた。だが作歌は順調ではなかった。
《一九七三年から十年かけて作られた短歌は、いろいろな紙片にメモされ、私の手元に残された。
そのうちでも、短冊形に切られた紙に一首ずつ、4Bの鉛筆できれいに清書したと思われるものは、一応完成作品と判断した。これが六十首ほどを占める。
写真資料(略)の中にある大判の画帖には思いつくままのことばの断片が縦横無尽にしたためられている。それだけで寺山がこれから書こうとしているイメージが見てとれる。そのほか、旅行中のノート、航空便箋、絵葉書の裏など、手元にあったと思われる用紙に、なぐり書きしている。後で、自分で書きつけたことさえ忘れてしまっているのではないかと思わせるような残され方である。》(田中未知「『月蝕書簡』をめぐる経緯」)
以下はこの田中未知編寺山修司未発表歌集『月蝕書簡』からの任意の抜粋である。
寺山修司の未発表短歌__1
寺山修司の未発表短歌__2
寺山修司の未発表歌集__3
寺山修司の未発表短歌__4
寺山修司の未発表短歌__5
寺山修司の未発表短歌__6
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