■実際に何度も背中を触られたと感じたことがあり、私はこれを「共感覚」の一種と解釈してきました。それを猫のマエハタのメッセージと空想したりもしたのは、小説にある通りの理由です。
さて、瞑想によっておとずれた場所のインプレッションを他者と共有することができるのであれば、その場所は深層心理によって生成された虚構の可能性があります。しかしこの虚構の冥界に、他者の存在をトランスとしてしばしばサイコダイヴす . . . 本文を読む
■26ページの霊界からの訪問者とのやりとりは、短い描写ですが、どこか晴明が使役していたという式神を思わせます。
――主人公の背中を触っていたのが、一匹の猫であったことが、このページで明らかになります。――猫という種族は、概して哲学のエッジを外側からなぞることを強いるような生き物に思えます。その愛すべき非在の精神的内実は、人間のこころにあたたかい幻影を投射してくれます。
いまでも私はオカルト現象に . . . 本文を読む
■この小説は、私にとって感慨深いものを多くふくんでいます。それは私が実際にこの作品にあるがごとき瞑想の世界を彷徨し、さまざまな不思議なことを体験しているからであり、何でもないような些細な描写にまで、その実体験が反映されているからです。
しかし18ページにある、事故死した元妻の幽霊の訪問をうけるという体験は、この小説の構成上の要請によるフィクションです。もちろん、これに近いかたちでの死者との「接触」 . . . 本文を読む
■14ページですこし話題になった「呪い殺す」ということは、それで気が済むのなら、呪い殺すべく努力することを、私はむしろ肯定したい気持ちがします。病的な現代、安易に犯罪にはしるよりは、よほどマシではないですか。呪い殺す努力、また呪い殺したと実感した手応えを得ながら、相手が死なないでいるという「奇跡」によって、呪うしかないほど追い詰められた心優しき感受性は、さらなる高みに達することができるのです。
. . . 本文を読む
■予知や予言が、科学的な規定において不可能なのは自明であるのに、私たちはときとしてこれに過度の期待をよせることがあります。これは何故かというと、私の考えでは、私たちはときとして、時間や空間の構造に対するビザールな関心を持っているからなのです。
――さて物語は、このあたりからやや緊迫感をはらんできます。
15ページにおける、占断依頼者の女性のふしぎな夢体験は、私が考える初期のアカシック・イベントで . . . 本文を読む
■11ページに記述している幻視については、実際のところ、気のせいなのでしょう。自分にそんな異能があるはずがないと考えなおし、しかし、それにしては鮮明すぎるこの種の体験の意味はいったい何なのかと思い、いやいや決して勘違いなどではないと、ふたたび確認しなおす結果になったりして、事実はどうなのか、明確な判断が困難なのです。ことによるとこれは、いわゆるデジャビュ(既視感)と同じように、前頭葉の機能不全ある . . . 本文を読む
■物語のはじまりで、中断された瞑想に戻るかたちで描写している冥界の様子は、私が何度も幻視している幻想空間です。――私はこの場所に、自分の閉塞的な性格、美意識上の傾向が投影しているにすぎないと、ずっと安易に考えていましたが、実はそれ以上の深い理由があることに、最近気づいたのです。第三章でのその謎解きによって、この物語は飛躍的な展開をたどることとなるでしょう。
パソコンをつかっての「占断」の様子も、 . . . 本文を読む
■この長篇小説は、私のオカルト体験がベースになっています。といっても、文学的脚色がどの程度のものであるのか、容易には理解できないことかもしれません。いずれにしても、主人公の占い師が考え、体験している不可解なものの正体は、私の人生に始終つき纏ってきた何かであり、そして今後も、それは変わらずに私の経験の糧となることでしょう。
本作は三部構成になっていて、全体で三人の異能者が登場する予定です。正確には . . . 本文を読む
■この短篇は、最後の二行を書きたいために記述した作品です。
人との出会いや別れは、ふしぎな何かを秘めています。そこには「契機」というものが強く介在し、その展開や結末が、どうしても合理的に解釈できない場合すらあります。この物語のように、若い男女の場合はなおさらです。後になって、たとえある意味の真実に気づいたとしても、そのときにはもう、かけがえのない人に、ひとことの言葉すら返すことができないこともあ . . . 本文を読む
■ホラー小説《十七人》の成立過程では、シアトル在住のある日本人女性とのメールでのやりとりが、重要な役割りを演じる結果となりました。――かつて私が、SNSブログの「mixi」に書いた体験談『十七人』に対して、彼女から何気ない一言が寄せられたことが、すべてのはじまりでした。
実話体験として、私が「mixi」に書いた内容は、以下のようなものです。
二十代のはじめの頃に私が乗っていた普通自動車に、ある夜 . . . 本文を読む
■私はホラー映画が好きでよく観ますが、これにつきものの残虐シーンに興奮するというわけではなく、もっぱら哲学的な興味から、この種の映画には「死」や「不合理」な出来事について考えるためのヒントがちりばめられていると思っているのです。それは人生の実相を追求するうえでのよすがになります。
このページで発表するホラー小説『鏡のなかの幽霊』(8ページ)は、実はかなり以前に書いた作品で、いまもし書き直す機会が . . . 本文を読む