心の旅

やわらぎ住宅(株)の社長によるブログ。

真理とは何か

2009年03月03日 | 哲学
 先日(2月25日(水))、わが社で哲学学習会を開催しました。参加人数は、社外の方を合わせて10名でした。
 テキストは、「自然の哲学」(上、下)田中 一著 を使用しています。
 この日は、第十話 真理とは何か を読み合わせて、ものの見方を深めました。

 この本は、唯物論と弁証法についての入門書です。
 唯物論から見た世界の見方を学ぶことは、われわれの生きている世界を先にものが実在することを認めたうえで、それが何であるかを精神でもって理解するということです。
 すなわち、自然や社会を観察し、その本質は何かについて思いを巡らせるというものです。

 さて、唯物論の立場からすると、真理とは、客観的実在と合致する観念ということになります。



 自然や社会などの外界を客観的実在といいますが、人間は誰しも同じように認識できるわけではありません。
 しかし、客観的実在には、特徴があるとされており、その一つひとつが、固有の運動法則に従って運動していて相互に関連しあっているということです。
 ということは、その固有の運動法則と相互の関連性を誰もが、等しく認識できればそれが、真理となるわけですが、それが簡単にはいきません。

 なぜ簡単に、真理に到達しないかというと、一つには、私たちは、自分の経験や自分の感覚だけでものを見てしまっていることが多いことと、今ひとつは、自然もそうですが、特に社会は激しくしかも瞬時に変化しているからです。



 言いかえれば、意識と外界はダイナミック関係をもっていて、相互に影響しあっているということです。
 つまり、人間には特別な生命活動、すなわち、精神の能動性(じっとしていられない)と意識の先行性(先のことを意識で予測できるのは人間だけ)があり、これが、強く外界(自然や社会)に働きかけることによって、外界がさらに変化し、変化した外界が、人間の意識に強く反映されるということです。

 そこでなにが読み取れるかといいますと、この世界における人間は、認識の無限の可能性を前提とし、今日における物質的自然や社会の発展を保障する役割を担っていると結論づけています。



 真理とはあくまで観念であるので変わる可能性があるといっています。
 真理について少し付け加えますと、真理は、必ずしも、絶対ではありません。

 それをこの本では、真理の相対性と絶対性という言葉を用いて説明しています。

真理の相対性とは、私たちの獲得する真理は、つねに部分的な限界のある真理であり、
真理の絶対性とは、その部分に関する限りは客観的で正しいという意味で絶対的である。
と説明しています。
例:(ニュートンの運動法則などは、物質の速度が光速に比べて遅い場合は、成り立ちますが、その速度が光速に近づくと時間が遅くなり、アインシュタインの相対性理論を用いなければこのことは、説明できません)





 この話で、やはり自分の脳を鍛えておかなければならないことを痛感した次第です。

 さて、質問です。
イタリアのピサの斜塔から、大小二つの鉄球を、同時に落としました。
さて、大きいほうか、小さいほうか、どちらが先に地面についたでしょうか?
1.大きいほう 2.小さいほう 3.同時に着地
さて、その理由は? 

正解されても、景品は出ませんが、頭のリフレッシュをしてみましょう。




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