8月18日(水)哲学学習会を会社で実施しました。
参加人数は、11名でした。教材は、「自然の哲学」(上)田中 一著で第五話「地震計とコンピュータ」です。
雑感
自由の功罪につきまして
自由というのは、歴史的にみますと、特に西洋では人類が自然、共同体、専制政治、過去、伝統、文化などから自らが自由になるために勝ち取ってきたものだと思いますが、今ここに来て自由の功罪がはっきり見えるようになってきました。
まず、功のほうですが、宗教などの観念に束縛されず、事実を観察しましょうということで科学が発達したおかげで、地震など一部を除いて自然の驚異から逃れることができたり、いろいろな機械を発明してわれわれの生活が便利になったり、医療が発達することによって病苦から逃れられたり、寿命が伸びたり、化学が発達したおかげで食糧を大量に確保できるようになりました。
これは、人びとが自由にアイデアを出し、自由にものづくりをし、自由にものを売り買いできるようになったおかげが大きいと思います。
しかし、罪のほうも明らかに存在すると思います。自由は、自由でもこちらのほうは自分勝手な自由がいき過ぎると思います。社会という枠組みの中では、ルールが重要な役割を果たします。
例えば、赤信号で止まる、というルールがあってもこれを無視すれば現代では、交通事故で多くの犠牲者を出すことになるでしょう。
経済の世界でいえば、お金儲けをして贅沢に、誰からも束縛されずに自由気ままに暮らしたいということで、武器や麻薬やお金でお金を儲けようとみんながしようとするとどんな世の中になってしまうでしょうか。
武器や麻薬だけでなく、お金儲けのために普通にわれわれが必要とする物品供給を寡占してしまうような企業が死に物狂いで競争していたらどうなるのでしょうか。これは、確実に一部の大金持ちと大半の貧乏な人に分かれていくでしょう。
このような世の中になりますと普通の人が普通に生活していくこと自体を難しくしていっているのが現代です。
それがあまりにも行きすぎた例が、2008年のサブプライムローン問題でしょう。
そのことに、嫌気をさした市民たちが行動を起こした結果が、米国の民主党のオバマ大統領の誕生であり、同じく日本も2009年9月に誕生した民主党政権です。
ヨーロッパでも労働党の政権が多く存在しているのは、行きすぎた資本主義をけん制しようとする動きであると思います。ただこの動きは、個人レベルで考えると個人の自由と本来つながっているのですが、ここを市民レベルで改めようとする動きはあまり見当たりません。
本日の学び
本話の要約
意識・精神の起源をいくだんにもはるかにたどっていけば、生物以前の無機質のもつ相互関連性にゆきつく。
相互に関連し合う二つの事物の一方には、他方の事物の運動の影響があらわれている。
いわば無機物質が他の無機物質の状態を映し出している。これを無機物質の反応性という。
無機物質の反映性を地球の公転、地震計とコンピュータの例から取り出してみよう。
地震は、地殻の運動の一側面である。これに対して、地震計の波形はグラフ用紙の上に描かれたもので、用紙の上に適当におかれたインクの微粒子の集合体のあり方であって、この意味では集合体自身の存在様式の一側面であるとみることができよう。
このように、両者は、いずれもそれぞれ互いにまったく異なる物質の側面である。地殻の震動そのものとインクで描かれた波形自身とは、物質としてもまた物質の運動状態としても直接の共通点はなんらもたないと考えるべきである。
しかしながら、いままでのべてきたように、地震計上のグラフを見ればわかるように、両者は互いにけっして無関係ではない。
実際、グラフ用紙上の波形は地殻の震動の変化に応じてきまってくる。ということは、波形は、地殻の震動を反映しているということができよう。
さてここで、コンピュータを用いて一つの装置を組み立ててみよう。
この装置は、寒暖計と時計とコンピュータを結んだもので、一時間ごとに気温が磁気テープ上に記録されるようになっているとする。
気温は地上の気象状態をあらわすものであって、いわば地球の状態に関するものである。
これにたいして磁気テープは、地球という物質とまったく異なる物質であって、その上の記録は磁気的状態であって、物理的には関係のない物質的状態である。
しかしながら、これに応じて磁気テープ上の磁化状態が変化する。この点は、先にのべた地球の震動と地震計の関係とまったく同じであって、磁気テープ上の磁気的状態は地上の気温を反映している。つまり、気象という状態と磁化という状態とは物理的にみるとほとんど関係がないが、情報的には密接な関係をもっているといえよう。
「生きている」という存在様式
コンピュータは、その動きのはじめから終わりにいたるまで、あらかじめ指示されたとおりに作動することを述べてきたわけだが、この点は、生物とまったく異なっている。
生物の個体は、すべてそれ自身独立して存在するものである。
生物のなかには、植物もあれば動物もある。動物のなかにも珊瑚や海綿のように、一見生きているのかいないのかわからないようなものから人間などの霊長類まで、多種多様なものがふくまれている。
しかしながら、よく調べてみると、これら動物や植物も、全部細胞という生きている小さな単位の集まりであって、生物の個体のおのおのは、個体をつくる個々の細胞自身も細胞の集まりとしての個体全体としても、活発なあり方、存在様式を示している。
「生きている」という存在様式の特徴を取り出すことはたいへんむずかしいことである。
生物はたえず外から物質をとり入れ、これを体内で変化させ、多くの必要な物質を合成し、また不要になったものを分解して体外に排出している。
このはたらきを新陳代謝と呼んでいる。また生物はそのあり方の本来の姿として個体から個体を生む。つまり増殖する。
そして、このことと不可分のこととして生物の各個体には誕生と死という事実が存在する。
人間はこの生きている存在としての生物の頂点にある。
その人間のはたらきの本質的な部分に意識のはたらきがある。意識のはたらき、すなわち、感情、意思、知識などに関する活動をふくむ人間の心のはたらき全体は、まことに人間に特有のものである。
しかしながら、この特有のはたらきも人間にいたって突然にあらわれたものではない。
細胞一個の生物から人間にいたる各段階の生物が、その生物全体の進化に応じて、環境に対する反応の仕方、すなわち外界から刺激をうけ、これに反応するその仕方を進化させてきたのである。
その進化の頂点として人間の意識があらわれてきた。
物質は互いに絶えず相互に作用をおよぼしあっている。
この反映性はつねに不完全で偶発的である。
しかしながら、もし適当な装置を組み立てれば、これらの不完全な反映性も有用なものとなる。これが地震計やコンピュータであった。
生物の外界にたいする反応性はこれらの物質の相互作用一般に見られる反映性に、生物という立場で「生きている」ことの一面として能動性が加わり、いちじるしく発展して安定化したものであると考えられる。
と筆者は言っています。
本日の学びもたくさんありました。
まず、物質同士では、必ず反映性が存在し、お互いに絶えず相互作用を及ぼしているということです。人間が装置さえつくれば、地殻の変動のようなものでも間接的にその動きを正確に知ることができます。
そして、そこから生物が発生してくるわけですが、生物同士ももちろん反映性があり、それに加え、もっと積極的な反応性が姿を現してきます。
そして、意識の働きを持った人間へと進化発展していきます。
人間の進化発展は、やはり自然に存在するあらゆるものから影響をうけ、だんだんに高度にしかも必然的に行われてきたということです。
人間は確実に自然の一部であり、自然から生かされている存在であり、違う言い方をすれば、今のところ地球という大きな自然(宇宙)は、人間を生かすために存在しているといってもいいかもしれません。
但し、今の地球環境問題などでいわれているように、急激な変化には、人間といえども全員が対応するのは難しいのではないでしょうか。
いま一つは、物質でも相互の影響をうけるのですから、ましてや高度な意識をもった人間同士が存在していて影響を受けないわけがありません。
ということは、社会をよくしようとするならば、われわれ自身がよい行いをして、他人に知らず知らずに与えている影響をよくするということが重要ですね。
自分勝手な行動は、厳に慎まなくてはいけません。
そしてそのことを広く子どもにまで、しつけていく必要があるのではないでしょうか。
参加人数は、11名でした。教材は、「自然の哲学」(上)田中 一著で第五話「地震計とコンピュータ」です。
雑感
自由の功罪につきまして
自由というのは、歴史的にみますと、特に西洋では人類が自然、共同体、専制政治、過去、伝統、文化などから自らが自由になるために勝ち取ってきたものだと思いますが、今ここに来て自由の功罪がはっきり見えるようになってきました。
まず、功のほうですが、宗教などの観念に束縛されず、事実を観察しましょうということで科学が発達したおかげで、地震など一部を除いて自然の驚異から逃れることができたり、いろいろな機械を発明してわれわれの生活が便利になったり、医療が発達することによって病苦から逃れられたり、寿命が伸びたり、化学が発達したおかげで食糧を大量に確保できるようになりました。
これは、人びとが自由にアイデアを出し、自由にものづくりをし、自由にものを売り買いできるようになったおかげが大きいと思います。
しかし、罪のほうも明らかに存在すると思います。自由は、自由でもこちらのほうは自分勝手な自由がいき過ぎると思います。社会という枠組みの中では、ルールが重要な役割を果たします。
例えば、赤信号で止まる、というルールがあってもこれを無視すれば現代では、交通事故で多くの犠牲者を出すことになるでしょう。
経済の世界でいえば、お金儲けをして贅沢に、誰からも束縛されずに自由気ままに暮らしたいということで、武器や麻薬やお金でお金を儲けようとみんながしようとするとどんな世の中になってしまうでしょうか。
武器や麻薬だけでなく、お金儲けのために普通にわれわれが必要とする物品供給を寡占してしまうような企業が死に物狂いで競争していたらどうなるのでしょうか。これは、確実に一部の大金持ちと大半の貧乏な人に分かれていくでしょう。
このような世の中になりますと普通の人が普通に生活していくこと自体を難しくしていっているのが現代です。
それがあまりにも行きすぎた例が、2008年のサブプライムローン問題でしょう。
そのことに、嫌気をさした市民たちが行動を起こした結果が、米国の民主党のオバマ大統領の誕生であり、同じく日本も2009年9月に誕生した民主党政権です。
ヨーロッパでも労働党の政権が多く存在しているのは、行きすぎた資本主義をけん制しようとする動きであると思います。ただこの動きは、個人レベルで考えると個人の自由と本来つながっているのですが、ここを市民レベルで改めようとする動きはあまり見当たりません。
本日の学び
本話の要約
意識・精神の起源をいくだんにもはるかにたどっていけば、生物以前の無機質のもつ相互関連性にゆきつく。
相互に関連し合う二つの事物の一方には、他方の事物の運動の影響があらわれている。
いわば無機物質が他の無機物質の状態を映し出している。これを無機物質の反応性という。
無機物質の反映性を地球の公転、地震計とコンピュータの例から取り出してみよう。
地震は、地殻の運動の一側面である。これに対して、地震計の波形はグラフ用紙の上に描かれたもので、用紙の上に適当におかれたインクの微粒子の集合体のあり方であって、この意味では集合体自身の存在様式の一側面であるとみることができよう。
このように、両者は、いずれもそれぞれ互いにまったく異なる物質の側面である。地殻の震動そのものとインクで描かれた波形自身とは、物質としてもまた物質の運動状態としても直接の共通点はなんらもたないと考えるべきである。
しかしながら、いままでのべてきたように、地震計上のグラフを見ればわかるように、両者は互いにけっして無関係ではない。
実際、グラフ用紙上の波形は地殻の震動の変化に応じてきまってくる。ということは、波形は、地殻の震動を反映しているということができよう。
さてここで、コンピュータを用いて一つの装置を組み立ててみよう。
この装置は、寒暖計と時計とコンピュータを結んだもので、一時間ごとに気温が磁気テープ上に記録されるようになっているとする。
気温は地上の気象状態をあらわすものであって、いわば地球の状態に関するものである。
これにたいして磁気テープは、地球という物質とまったく異なる物質であって、その上の記録は磁気的状態であって、物理的には関係のない物質的状態である。
しかしながら、これに応じて磁気テープ上の磁化状態が変化する。この点は、先にのべた地球の震動と地震計の関係とまったく同じであって、磁気テープ上の磁気的状態は地上の気温を反映している。つまり、気象という状態と磁化という状態とは物理的にみるとほとんど関係がないが、情報的には密接な関係をもっているといえよう。
「生きている」という存在様式
コンピュータは、その動きのはじめから終わりにいたるまで、あらかじめ指示されたとおりに作動することを述べてきたわけだが、この点は、生物とまったく異なっている。
生物の個体は、すべてそれ自身独立して存在するものである。
生物のなかには、植物もあれば動物もある。動物のなかにも珊瑚や海綿のように、一見生きているのかいないのかわからないようなものから人間などの霊長類まで、多種多様なものがふくまれている。
しかしながら、よく調べてみると、これら動物や植物も、全部細胞という生きている小さな単位の集まりであって、生物の個体のおのおのは、個体をつくる個々の細胞自身も細胞の集まりとしての個体全体としても、活発なあり方、存在様式を示している。
「生きている」という存在様式の特徴を取り出すことはたいへんむずかしいことである。
生物はたえず外から物質をとり入れ、これを体内で変化させ、多くの必要な物質を合成し、また不要になったものを分解して体外に排出している。
このはたらきを新陳代謝と呼んでいる。また生物はそのあり方の本来の姿として個体から個体を生む。つまり増殖する。
そして、このことと不可分のこととして生物の各個体には誕生と死という事実が存在する。
人間はこの生きている存在としての生物の頂点にある。
その人間のはたらきの本質的な部分に意識のはたらきがある。意識のはたらき、すなわち、感情、意思、知識などに関する活動をふくむ人間の心のはたらき全体は、まことに人間に特有のものである。
しかしながら、この特有のはたらきも人間にいたって突然にあらわれたものではない。
細胞一個の生物から人間にいたる各段階の生物が、その生物全体の進化に応じて、環境に対する反応の仕方、すなわち外界から刺激をうけ、これに反応するその仕方を進化させてきたのである。
その進化の頂点として人間の意識があらわれてきた。
物質は互いに絶えず相互に作用をおよぼしあっている。
この反映性はつねに不完全で偶発的である。
しかしながら、もし適当な装置を組み立てれば、これらの不完全な反映性も有用なものとなる。これが地震計やコンピュータであった。
生物の外界にたいする反応性はこれらの物質の相互作用一般に見られる反映性に、生物という立場で「生きている」ことの一面として能動性が加わり、いちじるしく発展して安定化したものであると考えられる。
と筆者は言っています。
本日の学びもたくさんありました。
まず、物質同士では、必ず反映性が存在し、お互いに絶えず相互作用を及ぼしているということです。人間が装置さえつくれば、地殻の変動のようなものでも間接的にその動きを正確に知ることができます。
そして、そこから生物が発生してくるわけですが、生物同士ももちろん反映性があり、それに加え、もっと積極的な反応性が姿を現してきます。
そして、意識の働きを持った人間へと進化発展していきます。
人間の進化発展は、やはり自然に存在するあらゆるものから影響をうけ、だんだんに高度にしかも必然的に行われてきたということです。
人間は確実に自然の一部であり、自然から生かされている存在であり、違う言い方をすれば、今のところ地球という大きな自然(宇宙)は、人間を生かすために存在しているといってもいいかもしれません。
但し、今の地球環境問題などでいわれているように、急激な変化には、人間といえども全員が対応するのは難しいのではないでしょうか。
いま一つは、物質でも相互の影響をうけるのですから、ましてや高度な意識をもった人間同士が存在していて影響を受けないわけがありません。
ということは、社会をよくしようとするならば、われわれ自身がよい行いをして、他人に知らず知らずに与えている影響をよくするということが重要ですね。
自分勝手な行動は、厳に慎まなくてはいけません。
そしてそのことを広く子どもにまで、しつけていく必要があるのではないでしょうか。
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