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青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

ならせていただく。

2013年05月13日 22時43分36秒 | 青裸々日記。
椿の花(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 今日は簡単な話をします。


 「傷つけられた」とか、ネガティブな感情がある場合。
 感情に振り回されて、自分が自分でなくなってしまうような気分になることも、たまにあるものです。

 そんな時は、


 「傷つかせていただく」
 「落ち込ませていただく」
 「くたびれさせていただく」

 などと、もし余裕があるならば、自分を主体に考えてみましょう。



 感情を操っているのは、本当は他ならぬ自分自身です。
 自分自身で、ある程度感情は選べるんだ
 そんな感覚を取り戻すだけでも、ずいぶんラクになるものですよ!

リナリア

2013年05月13日 05時42分36秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 緑に栄えるこのピンクの花、なんともかわいらしいですよね。
 名前を、「リナリア」といいます。


 最近は色々な花を見たり、知ったりできる機会が多いので、
 撮っていて楽しいです(^^*)/

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90゜で十分。

2013年05月12日 21時48分15秒 | 青裸々日記。
チェリーセージの花(東京都江戸川区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 人に指摘や批判をされると、自分を全否定してしまいたくなる時があるものです。
 なぜなら、人間の脳は、案外単純にできているからです。
 簡単に言うと、「全肯定」か「全否定」しか出来ないのが、私達人間というものです。
 たとえば、食事を食べたら、だいたい「おいしい」か「おいしくない」に分かれますよね。
 程度や雰囲気はありますが、「どちら側か」を決めてから入るのが、私達人間というものなんです。


 さて、「自分を肯定する」とか「否定する」という話に、立ち返ってみましょう。
 人に悪く言われてしまうと、頭や心が混乱してしまうこともあると思います。
 そういう混乱している時は、間違いなく自分を全否定してしまっています。
 自分を肯定していれば、心が乱れることも少ないからです。

 そして。
 あまりに自分を否定的に見てしまうと、「自分を全部、作り替えないと!」と、
 自分のやってきたことの全てが間違っているような気がするものです。


 しかし、人間のやることなすこと、そんなに不正確なんですか?って、思うのですね。

 たしかに、間違っていることを全くしない人間はいないでしょう。
 悪気があろうとなかろうと、判断がちょっとだけ狂ってしまうことだって、本当はあるはずです。
 でも、全てが間違っているとしたら、それは心構えからベクトルから、ありとあらゆる点が無茶苦茶だったということになりますが、
 そんなに判断力が乏しいなら、きっとこれまでの苦労はハンパないでしょうから、
 逆に、上手くいくのは時間の問題かもしれません(笑)
 ・・・と、これは軽口ではありましたが、
 特に、「その時はベストだと思っていた」という場合はそうです。
 人間、情報が十分でないと、概して判断力も弱ってしまうものです。



 つまり、どういうことかというと、
 「志が正しいのなら、出てくる行動も、いずれきちんとした方向になっていく」ということです。
 あるいは、「きちんとした心でやったことを責めたり、全てを直すこともない」とも、言えるかもしれません。



 心を正しく持てば、あまり責められるべきものは、本当はないのかもしれません。
 ちょっとした不調から、落ち込んだり、自分を責めさいなむいわれはないし、
 結果だって、本当は後からついてくるのです。

栗色チューリップ

2013年05月12日 11時04分58秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 なんと珍しい?ことに、栗色のチューリップを見かけました。


 品種はわからなかったのですが、毒々しいと思いきや、
 ツヤの良さに、意外な魅力を感じました。


 チューリップの季節もそろそろですが、
 いいものを見れて、ラッキーですV(^0^)


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安心感。

2013年05月11日 23時03分44秒 | 青裸々日記。
昼咲月見草の花(東京都江戸川区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 人間の心が不安定になる理由は、たった一つです。
 心のよりどころがあるかないか、この一点だけなんですね。

 どんな建築物も、足場がしっかりしていなければ、いずれぐらついてしまいます。
 それと同じように、人の心も、結局はどこかに腰を据えていなければ、必ず不安定になるのです。



 さて。

 「仕組み」だけの話なら、別にどうということはないでしょう。
 しかし、「仕組みがわかること」と、「実際にできること」は違います。
 今この場で、飛行機の操縦法と、機体の構造を知ったところで、
 じゃあ、いきなり操縦桿(そうじゅうん:アクセルやハンドルに当たるもの)を握って飛ばせますか?と言われても、
 無理な話ではないかと思うのですね。
 それと同じで、「こうすれば心が安定します」と言われたところで、
 全くわからないというのが、実際のところではないかと思うのです。



 それでは、どうすれば心が安定するか、ちょっとだけ考えてみましょう。


 心を安定させるのに大切なのは、一にも二にも「変わらない」という要素です。
 足場がおかしい場所にいると、それに応じた体勢を取らなければいけませんから、
 足場の状態に依存し、左右されている間は、きっと安定も安心もおぼつかないと思うのです。
 「これなら安心だ」としがみついものが絶え間無く色々と変わったり、グラグラと揺れていては怖いでしょう(笑)


 しかし、何が難しいかというと、世の中、良くも悪くも、変わらないものはないのです。
 そしてまた、安定を求めれば求めるほど、小さな変化に気を取られようというものです。



 それでは、心のよりどころを置けば良いのかという話になりますが、
 大雑把に言うと、「目に見えるもの」よりも「一定性を貫いているもの」を見れば、だいたい間違いはない気がします。


 たとえば、どんな人も、髪形や服装は変わりますし、気分で態度も変わるものです。
 しかし、内面を貫いているもの、平たく言えばこの人は普段、どんな気持ちで生きてるんだろうという目で見ると、
 言動に左右されることは少なくなります。
 普段がいい加減だったり、ひどい態度の人がたまに優しくしたって、なかなか本心からやっているとは思えませんよね。
 ・・・と、そういうことなんです。



 内側を見る心掛けが、安定感を持つ秘訣です
 わかりやすいものや表に惑わされるのではなく、節々に出る「普遍性」を見ていきましょう


 貫くことが、安定の鍵。
 安定するから、貫くことが楽になる。



 そこに気がつくと、ラクになれますよ。

椿

2013年05月11日 11時06分46秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 菖蒲やバラの季節ですが、椿も見頃です。


 今日は、白くて小振りな、凛とした椿を選んでみました。
 東京は雨ですが、この写真で楽しんでいただければと・・・。


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「いっぱいいっぱい」。

2013年05月10日 20時12分08秒 | 青裸々日記。
ラベンダーの花(東京都江戸川区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 自分のキャパを越えたものが押し寄せれば、誰だって、周りが見えなくなるものです。

 いや、「周りが見えない」ということですら、自分ではわからないかもしれません。

 「周りが見えない」ということをさとるのは、その時が去った後、少しずつ冷静に戻りつつある時です。
 そして、周りが見えなかった自分が、いかに情けなかったか、いかに未熟で、人に迷惑をかけてしまったかを思い知り、
 ある人は自己嫌悪に陥り、ある人は罪悪感にさいなまれ、ある人は厳しく自分を戒めたりします。
 いずれにしても、「いっぱいいっぱい」を吊るし上げているのですね。


 そうすると、今度は「いっぱいいっぱいで、周りの見えない人」を、断罪し始めるわけでし。



 たしかに、一般には「悪いものをくじいて、いいものを推し進める」ことは、いいことかもしれません。
 しかし、どんなことにも例外があるように、「いっぱいいっぱいの人」を断罪するのは、間違いなのです。




 「自分はあれから、余裕を持った考え方をしてますから」と、得意げに言うのは自由かもしれません。
 成長し、努力をしたことも、本当かもしれませんし、もしかしたら褒められるべきものかもしれません。
 しかし、「じゃあ、そんなに意気にかかって言うってことは、キャパを大幅に越えた問題が、いつどんな形で来ても、あなたは絶対に人に迷惑をかけずに対処できますね?」と聞かれたら、
 必ず「はい」で答えなければなりません。


 そうなんです。
 人を未熟者呼ばわれするからには、自分はそれより高い位置にいることが絶対です。
 しかし、「どんなことがやって来るか」を予知するのには、限界があります。
 限界がある以上、キャパを越えて、いっぱいいっぱいにならざるを得ないことが来る可能性だってある。
 それならば、「そういう時は、お互い様ですよね」とか、あわよくば「大変な中、よくがんばってますね」ぐらいに声を掛けていたほうが、
 どれだけ気分がよく、また、回り回って、自分を楽にするかと思いませんか。



 粘りや器量を付ける努力は必要です。
 しかし、人間の成長や可能性が無限である以上、誰もが成長の途上とも言えるのです。
 程度の差こそあれ、未熟者同士が、時にいっぱいいっぱいになりながら支え合っている、
 これが、世の中の現実なのです

 だからこそ、人を楽にすれば、自分も許されていくのです



 いっぱいいっぱいな人は、自分でそうなりたかったわけではありません。
 だからこそ、自分もそうなりえると考えればこそ、温かく見守ることで、自分も成長できるのです。

昼咲月見草

2013年05月10日 01時20分49秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 この花、意外と多く咲いているのですが、
 なかなか注目されずらいらしく・・・


 「昼咲月見草」といって、電球みたいな明るくかわいい花なので、
 よかったら、名前と一緒に覚えてみて下さいませ(^0^)/



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チェリーセージ

2013年05月09日 05時48分32秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 せっかくなので、今日もハーブ系の花を。


 なかなかいい雰囲気の空気を作るんですよ、このチェリーセージ。
 意外と多く咲いているので、よかったら探してみて下さい。

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心を開くには。

2013年05月08日 23時24分14秒 | 青裸々日記。
藤の花(東京都江戸川区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 人に心を開いているかいないかは、どれだけ自分を許せているかでわかります。
 間違えやすいのですが、「自分に嘘をついているかいないか」というのは、
 後でお話ししますが、もう一歩の惜しい話なのですね。


 たとえば、人に嫌なことを言ってしまったとします。
 そこでなんですが、自分のしでかした間違いに対して、言い訳をすることもできますし、黙っておくこともできます。
 なぜ言い訳をするか、なぜ黙っているかは、
 自分の弱さや未熟さを人に見せることで、批判されたり、見下されるのが怖いとか、傷ついてしまうからです。


 しかし、人間、意外なしなやかさも持ち合わせているのです。
 たとえ自分が未熟だったとしても、「しかたないよね」とか「そういうこともあるよね」と自分を受け入れてさえいれば、
 そこを突かれても、平気で涼しい顔をしていられたりするのです。
 たとえば、テストで悪い点を取ったとして、「ああ、不勉強だったなあ・・・」と自分を責め付けていると、
 人にそのことを言われた時、苦しい気持ちになるか、猛然と怒り出すかなど、
 いずれにしろ、ネガティブな反応になるはずなのです。
 しかし、「たまには自分にも、そういう時はあるさ」と思っていれば、
 「まあ、調子がいいときもあるし」などと、受け流すこともできるのです。


 さて、先程「「心を閉ざしている人は、自分に嘘をついている」というのはちょっと違う」とお話しした理由も、
 これでお分かりいただけると思うのですね。
 自分に嘘をついて、あたかも惨めな気持ちがなかったかのように振る舞うこと、心を押し殺すようなことをしても、
 自分を受け入れたことにはなりませんから、きっとどこかで違和感を感じるはずなのです。
 反対に言えば、何か心に引っ掛かりを感じる時は、自分になんらかの嘘をついている可能性があると考えられるということになります。



 いずれにしても、自分を許せば、人からの言葉のダメージを減らせます
 そして、ダメージが減るから、自分の心を、人に臆せずさらけ出せるのです。


 自分を許すと、人に近付けます。
 ゆえに、「人のためにも、自分を許す」という考え方があっても、私はいいと思うのですね。

ラベンダー

2013年05月08日 09時57分04秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 よくよく考えてみると、ラベンダーも咲いてるんだよなぁーと、
 花を撮りに行ってきました。


 私はラベンダー畑とか行ったことはないんですが、アロマテラピーの定番中の定番とあって、
 ついつい、好き好んで匂いを楽しんでしまいます。
 簡単でいいから、一面にラベンダーが広がった風景も、見てみたいです。


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気持ちを受け取る。

2013年05月07日 23時33分40秒 | 青裸々日記。
花菖蒲の花(東京都渋谷区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「人の優しさや親切心、あたたかい心は受け取りましょう」というと、どんな気持ちになりますか?
 おそらく、大半の人は「人の手を借りることはみっともないこと」と思い、
 差し出された手を、なかなか取ろうとは考えませんよね。


 しかし。
 自立心に則り、なんでも自分でこなすことはすごく大切なのですが、
 幸か不幸か、無理のない範囲でなら、気持ちは受け取ったほうが、摩擦や軋轢(あつれき)は少なく済む傾向があるのです。


 ドライな話になりますが、基本的に、好意でも愛情でもなんでもいいですが、
 本来、気持ちは差し出す側の勝手で、見返りなく無条件で行われるべきものです。
 だから、自分が差し出した気持ちがどうされようと、文句を付ける権利だって、本当はないはずなんです。

 しかし、人間というのは、得てして見返りを期待してしまう生き物です。
 やっぱり、せっかく誰かに親切にしたら、感謝のひとつでもされたほうが嬉しいでしょうし、
 見返りだって、あるに越したことはない、
 これが、大多数の人の本音だと思うのですね。
 早い話、勝手に親切にしているだけでも、見返りを考えてしまうのが、人間の自分勝手さなのです。


 でも、この矛盾を責めたいわけではないのです。
 私だって、相手によっては見返りを期待してしまう場合がありますし、
 そんなに出来た人間、どこにいるんだと言いたいです。



 だから、ちょっとハードルを下げて見ませんか?というお話をしたいのですね。
 「誰にでも、何でも無条件でやるのが無理なら、ちょっとずつ感謝をして、見返りを差し出してみませんか」ということなのです。

 人間、見返りがないと、「こんなにやっているのに」などと、愚痴が出てしまいがち。
 逆に言えば、気持ちを受け取り、感謝さえしていれば、相対的に「こんなにやっているのに」という不満も減っていくわけですよね。



 無理に何でも受け取りましょうとは言いません。
 まして、嫌なもの、嫌な人は、受け取ることで、面倒事が増えることも、多分にあろうかと思います。


 しかし、親切心というのは、キャッチボールみたいなところがあります。
 全てを受け取らずとも、わざわざ払いのけるまでは、しないほうがいい場合もあるのです。



 この話、理解が難しかったら、人に親切にするごとに、ちょっと振り返ってみて下さい。
 「受け取る」コミュニケーションも、満更ではないとわかるはずです。

クロッカス

2013年05月07日 05時45分29秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 最近、薄味の花が続いたので、
 元気のいい、クロッカスの写真をご紹介します。


 濃厚な黄色が、なかなかいい感じですよね。
 なんだか見ているだけで、気分が良くなりそうです。


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あめあがり。

2013年05月06日 21時48分05秒 | 青裸々日記。
バラの花(東京都江戸川区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 一生懸命やっているのに、色々と手も足も出ないときって、ありますよね。
 そんな時は、あれこれ考えないほうが上手くいくことがあったりするものです。


 もちろん、考えて考えて、それで答えが出たり状況が良くなるのなら、そうしたほうがいいに決まっています。
 しかし、誰だって、どんな時もより良い状態になることを、無意識にしろ、考えているものです。
 「大は小を兼ねる」と言いますが、選択肢にしろ、可能性にしろ、多くて大きいに越したことはないからです。
 少しでもよりおいしいものを食べたいし、より楽に毎日を過ごしたい・・・などと、
 「いい方向へ」と考えていくところが、人間という生き物の側面なのです。


 しかし、考えれば必ずいい方向にいくのかといえば、そうそう一筋縄でいくことばかりではありません。
 たとえば、難しく考えてしまったがために選択を誤ったり、動きすぎたがために余計なところにまで干渉してしまったりと、
 世の中には、「考えればいい」「動けばいい」「言えばいい」というほど、単純に出来ていないこともあるのです。



 さて。

 考えすぎる人には、責任感が強いという特徴があります。
 こうなったのは自分の責任だ、だから自分がなんとかしなくちゃいけないと、
 気負って気負って、自分を追い詰めてしまうのです。

 しかし、ちょっと立ち止まってみましょう。
 たとえどこに責任があろうとも、その責任を果たすべき時というのは、果たして四六時中なのかということです。
 責任があったにせよ、なかったにせよ、状況や環境を動かせる力というのは、いつもあるとは限りません。
 しかも、状況や環境が勝手に動いて、頑張らなくても勝手に解決してしまう場合すらあるのです。



 だからこそ、雨や風を鎮める、つまり、環境を動かすことが難しい場合、
 むやみやたらに動いたり考えることは、かえってエネルギーの浪費にも繋がりかねないのです。


 環境を動かせない時は、ゆったり休める時だと考えましょう
 どうせなら何をやってもしかたがないのなら、脳天気に未来を描いていたほうが、何倍も元気でいられます
 そしてまた、元気でいるから、状況が動いた時に、すぐ対処できるのです


 押してダメなら、引いてみよ。
 雨上がりは、いつでもありえるのです。

ムラサキケマ

2013年05月06日 08時45分16秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 連休最終日ですが、皆様、いかがお過ごしでしょうか!?


 春は意外と紫の花が多く咲く季節で、自分で撮っていてビックリします。
 この「ムラサキケマ」も、そのひとつ。
 なかなかかわいい形をしていると思いませんか?


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