青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

バレンタインカード

2011年01月27日 23時24分20秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 クリスマス前にクリスマスカードを送って大好評だったのですが…、


 調子に乗ってバレンタインカードを作ってみようか、考え中なんです。
 いや、「作る」だけですからね、「作る」だけ(笑)

 送りつけられて喜ぶ人が多そうだったら「考え」ます。
 

何を訴えたいんだ(笑)

2011年01月27日 22時40分26秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 東京珍百景ってやつです。

 今日は朝ゴハンを食べる時間がなかった…んじゃなくて、
 正直に言うとギリギリまで寝ていたので、暖かい飲み物でごまかそうと企んでいたんですね。



 そしたら…


 なんじゃこりゃ!?!?


 お味も値段も普通でしたが、
 慌ただしい中の癒しを…とのささやかな優しさでもあったんでしょうか(笑)

 …ただの間違いだと思いますがね、うん。
 なんかよいものを見れて、ツイてます。

快楽原則。

2011年01月27日 19時19分22秒 | 青裸々日記。
菜の花(東京都品川区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 疲れたら眠りたくなる。
 ストレスが溜まったら発散したくなる。
 悲しければ泣きたくなる。
 お腹がすいたらお腹いっぱいご飯を食べたくなる。
 息切れしたら手抜きをしたり、休みたくなる。

 なんて当たり前のこと、と思うでしょう。
 これらは心理学で「快楽原則」と呼ばれ、「人間の心はとかく楽になりたがる」という法則を指して言う言葉なんですね。
 私はこの法則を無視するのは、あまり得策ではないと思うんです。


 これには深い理由があるんです。

 人間、神様ではありません。
 当然、汚い部分だってある。
 そんな自分の欲求をありのままに遠慮なく出していると、
 社会生活や対人関係に支障が出ること請け合いです。
 だからこそ、「どうしようもない自分」を匿う(かくまう)ことで、
 きちんとした生活を築いたり、良い対人関係を育めるわけです。

 …それで話が終わるなら良いのですが、
 実は「欲求を匿う」というところに問題の種が潜んでいたりするのです。

 誰にだって、プライドもあれば見たくもない部分があります。
 先に「ありのままの欲求」とか「どうしようもない自分」というような文言を並べ立てましたが、そんな自分を
 「だらしない」
 「堕落はしたくない」
 「みっともないのは嫌だ」
 こう思うのはごく自然なこと。
 だからこそ、自分の欲求に蓋をして「なかったこと」にしてしまおうと考えてしまいがちですが、
 実はこれこそが落とし穴なのです。

 人間の感情の力は意外と強いものです。
 水を手で握って漏れないようにがんばっても無駄なように、
 欲求や感情をごまかそうと我慢をしても、あらぬところで漏れてしまったり、あるいは爆発してしまうのです。
 たとえば、「キレる」という言葉が市民権を得て久しいですが、
 これなどは「感情を押し殺した成れの果て」のわかりやすい例ではないかと思います。


 さて、どうすれば「ごまかしが利く」のでしょうか!?

 …なんのことはない、自分が人間であることを、本当の意味で認めるのです。
 冒頭で「人間、神様ではありません」としれっと書いていますが、
 人間である以上、どこかしらに「だらしなさ」があって当たり前なのです。
 だからこそ、クダラナイと思えるような欲求があっても、
 それはもう仕方のないことと腹を括れば、きっと楽になれるハズなのです。


 お医者さんは患者の体質や症状がわからなければ、
 処方も治療もできません。
 同じく「感情を匿う」のであっても、
 「自分がなにをしたいか、どうなりたいか」ということがわかれば、
 自ずと採る思考や行動が決まるのです。


 まとめると、
 「〇〇はよくない!」と思うより、
 「〇〇したいけど、自分としては□□がいい」と自覚しているほうが、
 グッと楽だし、また制御も効きやすくなるものです。
 いわば「感情の放電」をしてやるんです。

 自分の面倒は自分で見るのです。
 子供じみていようが、バカバカしかろうが、
 全ての欲求は公平に認めること。
 あえて触れませんでしたが、
 人間にはだらしない欲求もある一方で、「人の役に立ちたい」などの素晴らしい欲求もあります。
 自分に素直になれただけ、自分の面倒を見れて、素晴らしい欲求が活きるのです。


 我慢にもやり方というものがあるのです。
 我慢をスマートに上手くする人を、「出来た人」というのではないでしょうか!?

絵画はお好きですか!?

2011年01月27日 06時30分47秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 ↑の写真は↓の写真を加工したものなんですが…
 

 いかがですか!?!?

 こういうのも使い方次第なんですよね。
 実はたまに上手くいったやつに限って加工したやつを載せたりもしていて、
 「本当は素で撮ったやつを載せたいのに…」とか複雑なコトを考えてしまったり(笑)
 上手くいじれば美しく見せられるから好きです。
 

水晶玉

2011年01月26日 23時18分20秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 水晶を買ってみました。

 なんかこう、天然石って綺麗なので、
 見ているだけで感動します。


 ちなみに撮った場所がわかる方は相当スゴイです。
 まあ、勘のよい方はこれから載せていくスナップ写真でピンと来るかもしれませんね。

答えは自分が作る。

2011年01月26日 17時52分00秒 | 青裸々日記。
山茶花(東京都渋谷区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 困った場合、人や文章、宗教にアドバイスや救いを求めるのは、
 至極自然で真っ当な考えだと思います。
 囲碁格言には「岡目八目(おかめはちもく)」という言葉があり、
 「対局している当事者よりも、傍から見ているギャラリーの方が余程好手がわかる」というもの。
 一人で踏ん張るだけでなく、人と力を貸し借りすることでお互いが幸せになるなら、
 それで「めでたし」なのです。


 …しかし、そんな「アドバイス」も、
 「何%頼りにいくか」で、実は敵にも味方にもなるのです。

 そもそも自力でなんとか出来ない壁に対して、
 「普通では無理なことを楽に解決できないか」という、
 つまり、ストレートに言えば踏ん張りが利かなくなってしまうからです。
 少し話が抽象的になってきたので例を出しますが、
 「50m走をやって、絶対に7秒を切りなさい」という課題が出されたとします。
 たくさん練習した。
 筋トレも十分にやった。
 でもやってみたらあと0.1秒が切れなかった。
 そこで、いろいろな助けを、本や人に求めるわけです。
 …しかし、幸か不幸か、「100%しっくりと来る答えやコツ、アドバイス」と巡り会える可能性は、
 ほぼゼロと言って間違いありません


 荒波や課題を軽々と乗り越える方法なんて、
 人の数だけあるんです。
 なぜなら、人には得手不得手があるからです。
 形の上では同じように「乗り越えた」にしても、
 そのやり方は人によって様々だし、どんな能力を伸ばすことでクリアするかも人それぞれです。
 50m走の話で言えば、
 フォームの研究をする、スタートの練習をする、持久力を上げる、筋トレを工夫する、
 はたまた総合力で突破を目指す、
 いろいろな道があるのです。


 困難にぶつかった時、「救いの道がひとつしかない」と決め付けるから苦しくなるのです。
 答えを絞らずに人の真似事を取り入れてやってみるにしても、
 結局、自分のやり方として消化(昇華)させる、そこではじめて「ひとつ」に固まるわけですが、
 それだけに、最初から肩肘はって自分を追い詰める理由もないわけです。
 いろいろなやり方を参考にするにしたって、その中に100%答えを求めるのは間違えのもと
 結局は自分でフォームをカスタマイズして、自分の成長に合わせて変えていく必要があるのです。


 世の中には素晴らしい考えやステキな人、輝かしい実績を残している人がたくさんいるものです。
 しかし、人はみんな少しずつ違って出来ている生き物。
 自分のやりやすい、得意なやり方だって、人によって少しずつ違っていて当たり前です。

 人のアドバイスに納得ができなかったり、
 あるいはあまり参考にならなかったとしても、
 それで課題や自分をあきらめるのは、私は勿体ない気がするのです。

ふりかけを使った手抜き料理…(笑)

2011年01月26日 15時00分42秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 いやはや恥ずかしい話なんですが、
 疲れきって帰ってくると、いろいろわがままな欲求が頭に浮かんでくるんですよ。

 まず、いつ意識が飛ぶやらわかったもんじゃないので油物はタブー。
 でもお腹はすいてるので、胃や腸に優しいものが欲しい。


 …そこで、お豆腐に「ごはんですよ」を掛けて食べるのが主になってくるのですが、
 なんとまあ、ふりかけを掛けてもおいしいことが判明(笑)
 ちょっと多めに掛けてみるんですよ!!

 もちろんこんな話自体どうしているんですが、
 意外とくせになりそうで心配です、うん。
 

電車で骨盤ダイエット!?

2011年01月25日 23時30分18秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 最近、電車で立って乗る機会が多いので、
 せっかくの機会だとばかりに骨盤ダイエットに精を出しています。

 まず胸を張り、軽く脚を開いて、
 足の裏の重心を中心(親指から土踏まずのあたり)に傾けるんです。


 とくにグラグラと揺れるカーブやポイント(線路が合流したり分岐する部分)に差し掛かっ時は、
 ここぞとばかりに踏ん張ります(笑)
 そして呼吸も深く、と。


 もちろん大混雑!の時間は迷惑になるのでやめますが、
 電車では座るばかりが全てじゃないんですよね。
 まあ私は乗り物がダイスキなので全く苦になりませんが、
 座れても立っていても、天国ということになれば、
 移動も楽しくなると思いますよ!?

えんのした。

2011年01月25日 22時15分19秒 | 青裸々日記。
秋葉原UDX(東京都千代田区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 「縁の下の力持ち」という言葉があります。
 きらびやかに輝く物や人の裏で、それが輝くように見えないところで踏ん張っている人を指して、
 「黒子に徹している人たちの存在を軽んじてはならない、大切にするものだ」と戒める時によく使われる言葉です。


 誰だって、応援したいと思っている人がいるものです。
 もちろん、「縁の下でよいので力持ちになりたい」と思う気持ちは素晴らしいもの。
 ところが、そんなステキな気持ちがあったとしても、
 問題が出て来てしまう場合があるのです。


 …それは、「縁の下の力持ち」だからです。

 「!?」という反応をされる皆さんは正常です。
 だって、「自分がなりたがっていたそれ自体」だから、
 疑問に思わないほうがおかしいですよね。

 種明かしをすると、「力持ち」だからです。
 最初はよい意味で慣れがないので、普通にしているだけで「支えてあげている」という実感が持てます。
 しかし、人間は習慣の生き物です。
 同じことをしていると、だんだん自分の存在理由がわからなくなってしまいがち。
 たとえ「役に立つこと」でも、実感が薄くなってしまうんですね。
 こと「縁の下」の場合は特に厄介で、
 無意識に「力を出してあげているんですよ」とばかりに、
 やり過ぎてしまうんです。
 そして、本来は力を合わせたり差し出したりする相手に、
 力を「ぶつけて」、摩擦を起こしてしまうのです。


 人間、プライドの生き物です。
 こと魅力的な人の力になりたいという時ほど、
 「役に立っている」という実感は反比例してしまうのです。


 …では、どうすれば衝突を防ぎ、そっと力を差し出し続けることが出来るのでしょうか!?


 私は先に「人間はプライドの生き物」と書きました。
 つまり、「プライド」を制御すれば、摩擦が減るのです。
 具体的には、基本的に相手から認められようという気持ちは捨てて、
 ただ差し出すことに集中するのです。
 相手のプライドをくすぐり、ひたすら黒子に徹する。
 ただし、その相手がいないところでは自分のプライドを満たすべく、
 自分をねぎらったり気のおけない友達と一緒にいればよい。
 つまり、「相手のプライドを満たしつつ、裏でイーブンになるように考えればよい」ということになります。
 たとえると、ルーレットの的のように、
 見せる面を変えてしまえばよいのです。

 これは八方美人とはちょっと違います。
 八方美人は「本心でないものやおべんちゃら」も含まれますが、
 この場合は「相手の下支えになろう」という純粋な本心が源。
 嘘から出た気持ち出なければ、最初の信念が続いている限り、
 ヘコヘコとしていても意外と平気だったりするんです。


 ところで、「縁の下」の「縁」は、
 「家屋の軒先にある縁側」の意味合いで使われていますが、
 「良縁祈願」の「縁」と同じ文字だったりします。

 「無償で力を差し出し、黒子に徹する力」とは、
 もしかしたら「ご縁を大切にする力」のひとつなのかもしれません。

ヤキモチやいちゃた(笑)

2011年01月25日 20時07分48秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 いやー。

 お餅ってなかなかステキだと気付いた最近です。
 コストもかからないし、油を使わないのに腹持ちも良いし、
 言うことありません。


 私は醤油漬けのお餅を焼いた匂いが大好きなんです。
 生まれた所の商店街の影響かもしれません。

 …そんな醤油漬けをやってみて思ったコト。




 上手く焼ける人にヤキモチを妬いてしまいそうだな、と。

 捻りが全くなくてすいません(笑)
 しょうがないカラお餅でも捻って食べますねー☆

うわああっ

2011年01月25日 06時26分22秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 昨日はどうもダルい…と思ったら、偏頭痛でした。
 軽いうちにアイスノンを用意し、簡単に身体を洗って、
 そうそう、ブログの予約投稿をして「おやすみなさーい!!」でした。

 無理をしなくてよい日で助かりました。
 今日は元気でしっかりやっていきます。

うるさーい!!

2011年01月24日 23時11分13秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 またですよ。

 また寝ようとしたら、しつっこい迷惑メール。
 別にいいんですが、何が憎いって、
 かわゆい顔文字を探して辞書登録をしてしまうカラ憎いんです(笑)
 なんか凝ったやつを投げてくるんですよねーヾ(*^▽^*)o


 こういうのは考えようだったりするんですかな。

自分磨きでダメになる!?

2011年01月24日 22時56分02秒 | 青裸々日記。
水仙(東京都武蔵野市)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 人をあげつらうのは嫌いなのですが、不愉快になる光景を目にしてしまいました。
 電車に乗っていたんですが、頭が良くなると評判の「数式クロスワードパズル」に夢中な人がいて、
 杖をついていて、明らかに体の弱そうな方が目の前に来ても、
 席を譲らなかったんですね。
 そして、そんなことをもう何度となく目にしているんです。


 ☆ ☆ ☆

 自分の価値を上げようと技能を身につけたり、体を引き締めたり、
 あるいはなにか努力をしてみたりということそれ自体は、
 結構なことだと思うんです。
 ただ、どんなに頭がよくなり、いろいろなことが出来ても、
 「人の痛み」がわからないようでは、算数でいう「×0(かけるぜろ)」と同じになってしまうのではないでしょうか!?
 電車の席の例もそうですが、人の洞察に思考力を使わない、振り向けないなんて、
 なんのための「勉強」、もとい「向上心」なんだと、
 私は思ってしまうんですね。

 結局、最終的には人間性が鍵を握るのです。
 もちろん、「根本的な性格」だけで世渡りができるのなら、
 なんの苦労もありません。
 しかし現実には、自分の価値を高めて、人様の役に立つようにしていくことではじめて、
 多くの人から可愛がられるのは、皆さんも経験している通り当たり前のこと。
 自分を高めようとしない、磨けるものも磨かない人なんか、
 誰も必要としません。

 ただし、です。

 どんなにその人に価値があろうと、人の痛みがわからなくなってしまっては、
 結局は「その価値にあやかろう」とする人は、
 少しずつ去って行って、最後にはいなくなってしまうと思いませんか。


 「自分を磨く」というと、たいていは賞賛の目で見られることが多いもの。
 しかし、「自分を磨こう」とするあまり人の気持ちが見えなくなってしまうなら、
 そんな「自分磨き」はやめてしまったほうがまだマシなのではないでしょうか!?

 もちろん、時に自惚れてみたくなるのが人間というものです。
 アクセサリー的な意味合いで、あるいはファッション感覚で、
 自分を磨こうと思う心があっても、それはそれで良いと思います。


 ただし、それにとどまらず自分の価値を見てもらうためには、
 あくまで「人の心がわかる」という点はスルー出来ない、この事実をしっかりと押さえておく必要があるのです。
 「ステキな人ですね」と言われるためには、
 利己的な気持ちだけでは無理なのです。


 つまり「ステキな人」というのは、
 ・なんらかの能力やステータスがある
 ・人の心をしっかり理解しようとする
 ・そして、これらをより良いものにしようという向上心がある
 …この3点を満たす人だ、と言えそうです。


 どうせなら、ここらへんを考えて自分を磨きたいものですよね。

耳学問

2011年01月24日 19時18分20秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 1年くらい前から、ウォークマンで勉強をしたりしています。
 電車とかで移動しているトキ、本を読みたくても読めないので、
 結局はウォークマンに頼るコトになるんです。

 よくやっているのは英語のスピーチの聞き取りです。
 英語力がちょっとだらしないのは嫌なので、
 ネイティブな速さのやつでも聞き取れるよう、
 ゲーム感覚でやっています。


 頭の回転がよい人になりたいですもん。
 

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