青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

明日。

2011年01月18日 23時59分59秒 | 青裸々日記。
シティバンクの看板(東京都新宿区)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 誰が言い出したのか、「未来にまた失敗はない」という名言があります。
 なす術もなく立ち止まっている時に背中を押してくれる、よい言葉です。

 どんなに酷い状態にあっても、
 そこに意味を見出だせた時、どん底を抜け出せるきっかけを掴めたりするものです。
 そのためには「明日」に視点を向けるのが一番なのではないでしょうか!?

 野球では、序盤から大差が付いた試合では、
 レギュラーは休ませ、普段は活躍の機会が少ない選手に経験を積ませたり、あるいは素質を見極めたりするために、
 ポーンとグラウンドに投げ込むように出場させることがあります。
 そしてまた、力量の至らない選手が力を合わせて1点を取りにいったり、あるいは実際に得点すれば、
 「明日に繋がる」わけです。


 もがいても足掻いても抜け出せない状態の時も、これと同じです。
 呼び方は「敗戦処理」だってなんだってよいのですが、
 「明日から見て、どんなことがしてあると楽になるか」を考えて動くことが、
 酷い状態にあっても時間を殺さないためのヒントになるのです。


 自分が至らない人間だとか言うのは簡単です。
 しかし人間、誰だってなにかしらの欠点は抱えているもの。
 非の打ち所がない人間なんていません。
 問題は、その「「非の打ち所」を抱えた自分」をどのように制御しているか、
 この一点にかかっている
のです。
 欠点を放置するか、
 欠点を補って余りあるなにかを探し、磨いていくか、
 同じように欠点や至らなさを抱えていようが、
 その姿勢ひとつで開く門も違ってくるのです。
 どちらと付き合いたいかなんて、言うまでもありません。


 明日があればこそ、掛け橋になる考えがあります。
 明日を見ればこそ、くすんでいるものが光って見えたりもします。


 前向きとか後ろ向きとかジャッジする風潮がありますが、
 なんだかあやふや過ぎます。
 そうではなくて、「明日から見て考えているか」、
 「過去から見て「たられば」の話に終始しているか」、
 こんな「視点や焦点」という考え方でものを見ていくと、
 大分気持ちが整理されると思うのです。


 前を向いて走るためには、「明日」の位置から自分を見ることです。
 現実をより良くしていくために、より良い思考をしたい。
 そう思いませんか!?

東京大神宮

2011年01月18日 23時15分06秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 1月2日の初詣では、めちゃくちゃ並んでいて参拝をあきらめた東京大神宮。
 その日から、頭には「だったら誕生日に参拝を」との思いがありました。

 やっぱり、物との縁もそうですし、
 人との縁も大切だなあ、というのが私の考え。
 特に、去年どういう気持ちで参拝していたかと思うと、
 この一年の御利益に感謝したくもあって。

 ちなみに破魔矢も買いました。
 以前から欲しかったので、なんだかうれしいです。
 部屋に飾って、心の支えのひとつにしたいと思います。
 

季節外れのメロン

2011年01月18日 22時12分19秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 メロンスーパーで見つけたんですが、
 …って、メロンがもう売っているなんてビックリ。
 思わず手が出てしまいました(笑)


 味もマトモだったし、なんかラッキーです(*^▽^)/
 日頃の行いですね、うん(←ホントかい…)。

 また美味しいものが食べたいです。

三好和義「楽園全集」

2011年01月18日 21時04分53秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 間違いなく以前取り上げているんですが、
 よいものは何回紹介してもいいや、ということで取り上げてみます(笑)

 この写真集、5000円くらいしたんですが、
 惚れっぽいこともあり、5年くらい前に即断して買ったんです。
 私はとにかく南国が好きで、
 鮮やかな水色にきらめく海を見ると、ものすごい元気になります。

 ただ、そうそう行かれないので、
 とりあえずこの素敵な写真集で夢の世界に浸り尽くすんですよ。
 皆さんもぜひ、ご覧になってみて下さい!!

 
三好和義楽園全集―RAKUEN THE COLLECTED WORKS
三好 和義
小学館

安らぎ。

2011年01月18日 19時34分09秒 | 青裸々日記。
あしかがフラワーパーク(栃木県足利市)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 いろいろな人間関係を経験していると、
 相手に安らぎを求めたくなる時があるものです。
 もちろんその全てを否定するつもりはありませんが、
 あくまで私の経験としてお話しすると、
 ハナから「安らぎ」を念頭に置いて人間関係を築きにいくのは、
 たいてい失敗に終わる気がします。


 「心が落ち着くようにしてくれる人」を相手にしているのに、
 なぜ失敗に終わるのでしょうか!?
 「安らぎ」がアダとなって悪い方向に行くには、
 なんらかのブラックボックスがあってのこと。
 そこで、「なぜ安らぎを求めると失敗してしまうのか」を、考えてみましょう。


 ☆ ☆ ☆

 「安らぎが欲しい」というのは、裏を返せば「心穏やかではない」ということになります。
 そこに、落ち着きを与えてくれる人が来た。
 しかし、自分は平穏ではないわけです。
 誰に対しても当然、つっけんどんな態度を取ってしまいます。
 さてさて、「つっけんどん」の結果はというと、
 「この人なら」ということで、普段から溜め込んでいるものが多いほど、
 相手をこてんぱんにやり込めてしまうんですね。
 心の平安もなにも、「まずは自分を受け入れてほしい」とばかりに、
 「なんの罪もない相手に悪態をつく」ということで、普段からいかにキツイかを理解してもらおうとしてしまうという展開になってしまうわけです。


 こういうわけで。

 「人に安らぎを求めると、得てして失敗に終わる」という結論が導き出されるわけです。
 だいたい、どんな人間だって、24時間ずっと慈善事業なんかしていられないのです。


 しかし、救いがあります。
 「安らぎ」は求めずとも得られるものなんですね。
 「癒し系」という言葉が市民権を得ているように、
 誰かから「自分のどうしようもなさ」をどうにかしてもらえることはあるんですよね。
 それ自体はなんにも責められるべきことではありません。
 しかし、そこで「もっと癒してください」とばかりにすがり付く態度こそが、とんでもない間違えなのです。

 誰かといることで心が落ち着いた。
 ただ、そこまで「落ち着いた」と言うのなら、
 それを大切にして恩返ししよう、人にも分け与えようと思うことが必要なのです。
 なぜなら、「安らぎ」というのは、本当は与えることで増えていくものだからです。



 誰かに寄り掛かろうとしても、共倒れになるだけです。
 「安らぎ」に限らず、欲しいものは与えることで得られるというか、自分の中に沸き起こってくると考えましょう。

優しさは強さから。

2011年01月18日 12時19分58秒 | 青裸々日記。
鷲宮神社(埼玉県久喜市)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 誰だって本当は、優しい人になりたいと思っているハズです。
 なぜこう言い切れるかと言うと、
 「誰かを傷つけたり、優しく出来なかった」時、
 決まって後悔を抱くからです。
 どんなに嫌いな人でも、「ざまあみろ、清々したぜ!」と思えるのは憂さを晴らしたまさにその時だけで、
 本音としては、あまりよい気持ちが残らなかったりする場合が、
 実はほとんどなのではないでしょうか。


 こういうわけで、誰もが「優しさ」というものに憧れを抱くわけですが、
 人に優しくするためには、強くあることが必須だと、私は思っています。

 「優しい」という言葉は人の性格だけでなく、
 コットンの手触り、クラシック音楽の聞こえ方など、
 「感覚的なもの」に対する形容にも使われます。
 その感覚的に「優しい」ものは、
 得てして取り扱いも繊細さを求められたりもするもの。
 逆に言えば、耐久性があればあるほど、
 その「優しさ」を堪能できるわけです。


 翻って人間の場合。

 人に優しくしようと思うのはステキな意思ですが、
 たとえば自分の側の余裕が少しでもなくなった途端に言動が乱れるなどしては、
 せっかくの意思も「優しさ」として受けとってもらえなくなってしまいます。
 つまり、「状況に関係なく人に優しくしていられる」ということが、
 より「優しい人」であるためには必要なのです。
 「強い人」と言うと一般には「自己主張」や「我や欲求」の強さを指すものですが、
 「少し位のことなら耐えて正しく在ろうとすること」こそが本当の「強さ」だと、
 私は思うのです。
 つまり、「受けた衝撃」をそのまま伝言するかのように誰かにブチ当てるか、
 それとも「優しさ」に変換して人に差し出せるか、
 ここが「強いかどうか」の分かれ目ではないか、
 こうお話ししておきたいのです。


 もちろんこれは、人に差し出された善意をあげつらったりという、
 心ない話をしたくて取り上げているのではありません。
 ただ、「より優しく」ということを考えるほど「強さ」が必要とされてくる、
 こんな話しておきたいからなんですね。

 余談ながら、私も余裕がなくなると結構情けない言動になってしまうことがあるので、
 そういう自分を知っていればこそ、「もっと優しくなりたい」と思うんです。
 偉そうにお話ししてしまいましたが、
 書いている当の本人だって、これを読んで「途上だなあ…」という人と大差はないと思います。


 いつでも当たり前に「優しさ」を差し出せるよう、
 一緒に強くなりましょうね。

マイナスイオン発生機。

2011年01月18日 07時11分25秒 | 青裸々日記。
渡良瀬川(栃木県足利市)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 中村玉緒さんは機械にも「どうもありがとうございます」と言うそうです。
 ひとつの芸としてやっているのかは知りませんが、機械に対してもその存在意義を、という考え方が素晴らしいと思います。

 さて、私が「すごいなあ」と思うのは、
 2000年代に入って流行り始めた「マイナスイオン発生機」です。
 どんな状況においても、とにかくマイナスイオンを出すわけです。
 「機械だから当たり前じゃないか」というツッコミは大歓迎ですが、
 「いやいや、かなり学ぶべき点があるぞ」と思うのです。


 とにかく、周りが綺麗だろうが汚かろうが、
 人がいようがいまいが、
 環境に左右されずに、電源さえ入れればマイナスイオンを出すんです。
 これ、「マイナスイオン」という部分に「元気」という言葉を代入すると、
 ぜひ目標にしてみたい!と思えませんか!?


 私達は人に対して、驚くほど純粋に良心的であろうと思う気持ちを持っているものです。
 しかし、現実には相手からどんな言動が飛んでくるかに適応し合わせなければ空振りに終わるし、
 いろいろな疲労、ストレスもあります。
 そうしてこうして、結局は最初にあった「良心的な気持ち」を忘れ、
 「なにか力になろう」という志(こころざし)はどこへやら、
 相手の顔色を伺うばかりでなんにも出来なくなってしまう、これが人の悲しい性なのです。


 そこで、「マイナスイオン発生機」を見習ってみるわけです。
 どんなものが来ようが、とにかくマイナスイオンを出す。
 その真似をするんです。
 相手が嫌がらない限り、とにかく自分が思う、「人のためになること」を続けていくんです。
 ポイントは、自分の側に意識を集中させること。
 駅前のティッシュ配りのように、迷惑がられていないか察しつつ、あとはニコニコしつつ淡々とただ配り続けるような、
 ある意味マイペースな位でやってみるんです。

 これ実は自己啓発とかで言われている「自己中心主義」と呼ばれている発想なんですね。
 「善意の押し売り」にさえならなければ、私は素晴らしい心構えだと思います。

 …ただ、言葉の選び方というか、ネーミングセンスが最悪だと思うんです。
 誰だって少し位、利己的な部分は持っているわけです。
 だから真面目に「自己中心主義」の良さを説いても、
 理解できていない人からはいわゆる「自己チュー」を連想し、そこで思考停止になってしまう。

 だからこそ、私は「言葉はスルーしていいから、とにかく人に対してこうしようと思ったことは貫き通しませんか」と言いたいのです。


 誰かにとってのマイナスイオン発生機でありたいものです。

あったか~い

2011年01月18日 06時08分59秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 あまりに寒いんで、ホームで飲み物を買ってしまいました。
 早朝だしこういうのってホッカイロの代わりなるので、
 ついつい手が出ちゃうんですよ(笑)
 今日はプライベートに割ける時間が微妙なので、
 おいしくいただいてます。


 …さて、東の空が開けてきました。

誕生日。

2011年01月18日 00時00分00秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 おかげさまです。

 またひとつ、年を重ねられました。
 私の努力がどうとかは別に興味がなくて、
 多くの皆さんの支えで誕生日を迎えられたことに感謝しています。

 人生ってやつは不思議なもので、
 自分の意思で生まれたんじゃないのに、
 責任は取らなきゃいけない。
 だからこそ、「人生の悩み」って尽きないんだと思います。

 しかし、いただいた命の使い方は、自分次第。
 心臓が動く、息ができる、食事ができる、
 こんなことをどれだけ「恵まれている」とか「財産」と思えるかで、
 人生の意味合いや濃さも違ってきます。
 なによりも、とりあえず「成長した、大人になった」ということは、
 誰かしらの支え、つまり「誰かの「生きてほしい」という思いがあった」ということと、イコールなのだと思います。


 私利私欲も結構ですが、
 そればかりに走っても「命を最大限まで使う」という意味では非常に効率が悪いような気がします。

 誕生日を迎えたということはどういうことか、
 ネガティブでもなく、ポジティブだけでもなく、
 一日フェアに考えられればなあ、と思います。


 いつも応援してくださって、ありがとうございます。

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