青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

性格観。

2011年01月29日 20時55分58秒 | 青裸々日記。
東海道新幹線の車庫(東京都品川区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 観念論が好きではない皆さんにも、お付き合いいただけるとうれしいです。


 ☆ ☆ ☆

 「性格がどうやって形作られるか」については、
 心理学で様々な研究がなされています。
 私はそれらについて否定をしたり揚げ足取りをするのではないにせよ、
 結局、「性格」なんてものは、「本人の意志」が一番大きな要素になると思うんです。


 「人間は可能性の塊だ」
 「誰の心にも神様が住んでいる」
 こんなことが言われている一方で、
 「水は低きに流れる」
 「性善説だけで人を見るのには限界がある」
 というようなことも言われているわけです。
 一方で、自分の性格を肯定できない人は、多くいるものです。
 そこに「人間とは…」というゴチャゴチャした話をいろいろとされては、
 自分というものは、あるいは人間ってやつはキレイなのかキタナイのか、ハッキリしてくれ!!という疑問を時に抱いたりしてしまうのも、
 ある種、しかたのないことではないかと思うんですね。


 ただし、複雑な考え方をするのは、混乱の元。
 そこで、「人間の性格」というものについての私のシンプルな考えをお話ししていきますので、
 困っている方々の参考にしていただければと思います。


 ☆ ☆

 「人間はダイアモンドの原石だ」という考えがありますが、
 基本的には私もその意見に賛成なんです。
 …ただし。
 どんなに素敵なダイアモンドだって、放っておけば埃も被るし、油も付きます。
 メンテナンスがいい加減なら、それなりに劣化もするでしょう。
 どういうことかと言うと、
 「誰もが命ある素晴らしい存在だ」ということで、
 「人間はダイアモンドの原石だ」と言っているですね。
 その原石が輝くためには綺麗な部分を見つけて研磨しなければならないように、
 人間だって、きちんと躾をして教育しないと、正しく輝けないわけです。
 そしてまた、大人になったらなったで、
 きちんと自分を律しなければ、埃を被るように輝けなくなりますよ、こういう例えを言いたいんですね。


 よく「自分はイケてない」とか「ダメ人間だ」と言いますが、
 純度100%のダイアモンドなんてそうそうないし、
 地球から埃や油、廃棄物が消えないように、
 本来、人間は完璧でなく、むしろダメで当たり前なんです。
 自分をダメだとかなんだとか言う人は多いですが、当たり前のことを言っているだけ。
 だから「性格が気に入らない」とか言ったって、それもまた、ごく当然といえば当然なのです。

 問題は「ダメなこと」ではないのです。
 放っておけばダメになる存在として生まれた自分を、どうするかにかかっているのです。
 さらに言うと、一時の評価でその人の価値全てを決めるのは間違えの元だったりもします。
 チヤホヤされている人が一生甘ったれていられるかというと、
 自分を律していかない限り、間違いなく見捨てられてしまいますよね。


 「どうせ自分なんか…」とあきらめた瞬間から、
 埃はつくわ汚れるわで、輝きが失われていくのです

 逆に、「自分は本当は輝ける存在なんだ」という意識が、
 人を成長させるのです



 つまり、「現在が全てではない」のです。
 どんな性格だって、その手の人にかかればいくらでも難癖はつけられるもの。
 しかし、自分をあきらめずに磨いただけ、輝いていくのは間違いありません


 「なんだ、自己満足の変な話じゃないか」で済ませていただいて構いません。
 ただ、「性格がどうの…」と悶々とするより、
 「性格をどうしたいか!?」という考えを持ったほうが良さそうなことは本当みたいです

 自分を決めつけるのはあまり得策とは言えないようです。

メール達者もどうかと…

2011年01月29日 06時19分20秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 かなり口弁慶なんです。

 いや、メールの場合なんですけどね。
 私はメールのレスが基本早いので
 「メールが好きだ」
 「積極的な人」
 …と思われてしまいがちですが、
 本当は違うんですね。
 どちらかと言えば嫌い…というか、「メールでのコミュニケーション」はあまり好まないほうなんです。
 理由は、「相手への思いやり」が難しいから。


 ブログのコメントなんかもそうですが、
 結局、どんな気持ちがあっても送られるのは「文字だけ」じゃないですか。
 だからこそ、たとえば
 「忙しそうだから短く…」→無愛想
 「後々になると返信に詰まりそうだから早く…」→この人、好意があるかも!?
 「話が伝わるよう長く…」→重たいからやめて下さい
 「綺麗な写メありがとう、うれしいです…」→文章は読まれてないかも!?
 「親密さをアピールするために気軽に…」→馴れ馴れしい
 …と、「メール」自体は便利なハズなのに、
 かえって「伝わり過ぎる」or「文字以外の部分は相手の想像で決まる」ので、
 かえって面倒な問題が起こりがちだという点に留意する必要があるんですね。


 メールは楽しくするもの。
 それを楽しくできないのなら、一度メールというものと距離を置いて、
 「扱い方」を見直したほうがよい。

 あまりメールに依存するのもどうかと思うこの頃です。

ポイント募金で東日本大震災復興支援!