青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
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答えは外に。

2012年11月16日 19時52分58秒 | 青裸々日記。
バラの花(東京都千代田区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「八方塞がり」という言葉があります。
 「解決するための手だてがなく、どうしようもない状況」を指して言うわけです。
 でも、お節介焼きな私は、この「八方塞がり」という言葉を見ると、
 「9個目の方角はないのかなぁ~?」という気になってしまいます。


 これ、ふざけて言っているわけではないのです。
 囲碁を打っていると、組み合わせによっては、自分より実力が下の人が相手になる場合があります。
 そうすると、私と同じぐらいかそれ以上の実力があれば難無く切り抜けられる局面でも、
 頭が回らないために、いとも簡単にギブアップしてしまう人を、たまに見かけるわけです。
 もちろん、色々惜しいので「こうすると助かるんだよー」と教えてあげて、手直しをしてから再開するのですが、
 「まさか大丈夫だとは思わなかった」とばかりに、驚きと感動の目で見てくれるんですね。
 つまりこれ、「思い付かないところから、解決策が出てくることもある」という、いい例だと思うんです。



 私達は、自分に尽くせることをやっても、及ばないことがあります。
 そうすると、「解決策や出口がない→すぐ絶望感に苛まれる→全てを投げ出してしまう」、
 こんな図式に、頭が支配されてしまうことだってあるでしょう。

 でも。
 「解決策や出口がない」と決め付けているのは、他でもない本人です
 思いも及ばないところから救いの手がもたらされるとか、
 ある一瞬に、これまでにない上手いやり方がひらめくとか、
 あるいは、勝手に無理だと決め付けていただけだったとか、
 こんなことだって、ザラにあると思うんです。
 だから、その場で答えが出ないとか、視界が拓けないからといって全てを捨てるのは、
 それこそが間違いの元なのです。


 結論は、急ぐばかりが優れているわけではない時があります。
 それに、その「急いだ結論」のために、気落ちして解決が遠のいたら、
 なんのための結論なのかもわかりません。



 絶望しか見えない時や、もう限界だと思った時
 たしかに、その時点では、絶望や限界なのは、間違いないのかもしれません
 しかし、わずかな隙間でもあれば光が差し込むように、
 思いもよらないところから、希望が差し込むこともあるのです



 絶望したければ、してもいい。
 でも、希望はいつも、あなたを見ているんですよ。

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