亀戸天満宮の梅と東京スカイツリー(東京都江東区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
コットンに穴が開いていないか調べる場合、
普通は拡げてみて、全体を見渡して目立つ場所がないか見ますよね。
ところが、目を凝らしてほんのわずかな「ほつれ」がないか見ていれば、
新品で、なおかつかなり精巧に作られでもしない限り、
マクロレベルで見れば一つや二つ、ほんの小さな穴くらいは見つかるもの。
しかし、普通に着れて目立たないようであれば、
余程神経質にでもならない限り、そんなに気にする理由もないわけです。
そこを「穴という穴を許さない」と思うあまりにその箇所をいじくり回していれば、
穴は目に見える位に大きくなり、しまいにはコットンそのものを切り裂いてしまいます。
この「余程神経質にでもならない限り」というのが、
このお話のポイントでもあり、実はなかなかの曲者でもあるのです。
「ろくな人間がいない」
「世の中、不満ばかり」
生きていれば毎日なにかしら「擦れ」たりするものですから、
こんなことを言いたくなるのも人情のひとつだと思います(←なんか演歌みたいな言い回しだぞ…)。
しかし、息を吐くように「ろくなもんじゃない」と言うのが口癖になっている場合、
意地でも「ろくなものがない」という結論に持っていこうとしていないか、
一度、振り返ってみる必要があります。
これは私が昔に受けた相談なんですが、
恋人を探していながら「ろくな女性がいない」とこぼしている友達がいたんですね。
最初は「ああ、自分に合う人だ」と思うらしいのですが、
しばらくすると必ず「納得いかない!」と思って、なにかしらのトラブルを起こしてしまうと言うのです。
ある人は言葉づかいや言い草、ある人はメールの頻度、ある人は金銭感覚…と、
必ず「不一致」が出て来たんだ、と。
…でもこれって、当たり前過ぎる話ですよね。
結論から言うと、「人というのはは個性の塊なんだから、
納得いかない部分が出るのは当たり前」というわけです。
「納得いかない、気に入らない、合わない…」とばかり言われていれば、
誰だって嫌な気分になりますよね。
そして、ここからが重要なのですが、
「気に入らない」とか言われ続けていると、
「ああ、自分はそういう人なんだ」と、
せっかく合っている部分、上手くいっている部分があったことも忘れて、
ダメな部分、合っていない部分にばかり意識が集中してしまうもの。
そして、ますますダメになり、不一致も余計出てきてしまう、
これが怖いところなんですね。
私はなにも
「我慢は大切です」
「ダメな部分に目をつむりましょう」
こんなことを言うつもりはありません。
ただ、「あらさがし的な言葉や思考、意識」でいると
かえって事態や状態が悪化してしまう、という点に注意したほうがよいと言いたいのです。
人物や事象をどう見るも自由です。
ただし、「それが自分が望むようになるかを保証してくれるか」を、
一度、考えてみてもよいのではないでしょうか!?
P.S.
例で出した友達は、現在は新しい恋人を見つけています。
末永くお幸せに。
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
コットンに穴が開いていないか調べる場合、
普通は拡げてみて、全体を見渡して目立つ場所がないか見ますよね。
ところが、目を凝らしてほんのわずかな「ほつれ」がないか見ていれば、
新品で、なおかつかなり精巧に作られでもしない限り、
マクロレベルで見れば一つや二つ、ほんの小さな穴くらいは見つかるもの。
しかし、普通に着れて目立たないようであれば、
余程神経質にでもならない限り、そんなに気にする理由もないわけです。
そこを「穴という穴を許さない」と思うあまりにその箇所をいじくり回していれば、
穴は目に見える位に大きくなり、しまいにはコットンそのものを切り裂いてしまいます。
この「余程神経質にでもならない限り」というのが、
このお話のポイントでもあり、実はなかなかの曲者でもあるのです。
「ろくな人間がいない」
「世の中、不満ばかり」
生きていれば毎日なにかしら「擦れ」たりするものですから、
こんなことを言いたくなるのも人情のひとつだと思います(←なんか演歌みたいな言い回しだぞ…)。
しかし、息を吐くように「ろくなもんじゃない」と言うのが口癖になっている場合、
意地でも「ろくなものがない」という結論に持っていこうとしていないか、
一度、振り返ってみる必要があります。
これは私が昔に受けた相談なんですが、
恋人を探していながら「ろくな女性がいない」とこぼしている友達がいたんですね。
最初は「ああ、自分に合う人だ」と思うらしいのですが、
しばらくすると必ず「納得いかない!」と思って、なにかしらのトラブルを起こしてしまうと言うのです。
ある人は言葉づかいや言い草、ある人はメールの頻度、ある人は金銭感覚…と、
必ず「不一致」が出て来たんだ、と。
…でもこれって、当たり前過ぎる話ですよね。
結論から言うと、「人というのはは個性の塊なんだから、
納得いかない部分が出るのは当たり前」というわけです。
「納得いかない、気に入らない、合わない…」とばかり言われていれば、
誰だって嫌な気分になりますよね。
そして、ここからが重要なのですが、
「気に入らない」とか言われ続けていると、
「ああ、自分はそういう人なんだ」と、
せっかく合っている部分、上手くいっている部分があったことも忘れて、
ダメな部分、合っていない部分にばかり意識が集中してしまうもの。
そして、ますますダメになり、不一致も余計出てきてしまう、
これが怖いところなんですね。
私はなにも
「我慢は大切です」
「ダメな部分に目をつむりましょう」
こんなことを言うつもりはありません。
ただ、「あらさがし的な言葉や思考、意識」でいると
かえって事態や状態が悪化してしまう、という点に注意したほうがよいと言いたいのです。
人物や事象をどう見るも自由です。
ただし、「それが自分が望むようになるかを保証してくれるか」を、
一度、考えてみてもよいのではないでしょうか!?
P.S.
例で出した友達は、現在は新しい恋人を見つけています。
末永くお幸せに。
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