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青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
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「人に好かれたい」人の盲点。

2010年08月23日 23時14分54秒 | 青裸々日記。
環状八号線(東京都大田区)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 人の信頼や気持ち、意気を勝ち取るには、
 どうしたらよいでしょうか!?
 自分で質問というか問い掛けをブチ上げておいてなんですが、
 私に言わせれば、具体的なHow toが存在するほうがおかしいと思うのです。
 なぜなら人の心は、掴もうとすればするほど擦り抜ける、という性質があるからです。


 ☆ ☆ ☆

 好かれたい、
 大切にされたい、
 よく評価してほしい、
 例えばこんな気持ちを持っているのが私達人間というものですが、
 人を目当てにする行為は、結局、何も生み出さないのです。

 例を挙げましょう。

 「お互いにお金や力関係が発生しない」という条件で、
 誰かに好かれようとして、一生懸命になったとしましょう。
 しかし、心の依り所の全てを求められた場合、
 普通であれば、人間、重く感じるものです。
 結局、好かれようという意図が強く存在する限り、
 どんなことを一生懸命されても、親切の皮をかぶっているだけで、
 相手にもたれ掛かっているという構図は覆えらない
のです。

 ここで、問題が出てきます。
 「心を掴みたいのにその方法がないというなら、一体どうすればいいんだ」ということです。

 私は「心の依り所の全て」と書きました。
 つまり、依り所を求めることが必ずしも悪いのではなく、
 相手に全てを委ねる姿勢が問題なのだ、と言いたいのです。
 相手にもたれかかるのではなく、無私の姿勢でいるほど、
 人に依存することはなくなります。
 言い換えれば、「人に好かれるため」などと変な意図を持つでもなく、
 自然な姿勢、もっと言えば無心な姿勢で、当たり前のようによい行いをすることが、
 結果的に人の心を掴み、動かすのです

 だから「具体的なHow toがあるほうがおかしい」という結論に至るということになるのです。

 どんなことに対しても、心を砕けば砕いただけ、
 自然と思い入れや愛情、魂がこもるものです。
 普段から心を砕く姿勢があればこそ、
 人に好かれたいと無理な言動を重ねなくとも、
 自然と人の心を掴むようになってくるものです。

 人に好かれるためなら最低限の気配りやコミュニケーション能力が不要だ、とは言いません。
 しかし、それだけではダメで、
 最終的にはどうしても無私の姿勢が必要になるのです。


 どんなに好かれたい気持ちがあっても、
 まずは下手に構えない人になる必要がありそうです。

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