青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

脳内変換。

2011年11月26日 23時32分36秒 | 青裸々日記。
穴守稲荷神社・菊祭りから(東京都大田区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「木」というと、皆さんはどんな木を想像するでしょうか!?
 街路樹を思い浮かべる人もいれば、庭に植えてある木を想像する人もいるでしょうし、
 「この木なんの木」の日立の樹のような、とても大きな樹木を頭に描く人もいると思います。
 つまり、同じ「木」という言葉だけでどう受け取るかは、
 人によって全く違うということになりますよね。

 言葉に限りません。
 情報がない部分や未来のことは、必ず脳内で変換して考えるのが、人間という生き物なのです。

 だからこそ、人間関係では注意が必要なのです。
 「あの人は大変そうだから」と言っても、当の本人はむしろやり甲斐を感じて積極的に物事をこなしている場合があります。
 「あの時は笑ってくれた」と言っても、元々誰にでも笑顔を絶やさない人なのかもしれません。
 つまり、「どういう心境でいるか」は言葉や表情から推測することはできますが、
 自分で解釈を加えている以上、それが必ず当たっているとは限らないわけです。


 しかし、この「脳内での解釈」を止めることはできないのです。
 解釈が変わることを怖がるほど、「脳内でいろいろ解釈が変わるから誤解を呼び込むわけで、誰のどんな言動素直に受け取るのが一番かな」と思うものです。
 しかし、自分の気持ちですらわからなくなることがあるのに、
 他人の気持ちなんてわかるハズがない。
 結局、人間は「足りない情報を想像で補う」生き物ですから、
 「そういうものだ」と腹を括るしかないのです。


 実は。

 「誤解することもある」以上、自分の想像が正しいことだってあるわけです。
 それなら、「脳内変換」はやめることよりも、「自分の変換のやり方や傾向」を把握することのほうが大事なのです。

 たとえば、長い間恋人がいなかったとします。
 そうすると、ふと人恋しくなった時に異性と接すると、
 たまたま触れただけの笑顔や褒め言葉に「好意を向けてくれているのかな?!!」意味を探ってしまう可能性が上がってしまうのです。
 でも実際は、意味がなかったり、勘違いであることも可能性としてはあるし、
 本当に好意があることだって、可能性としてはある。
 それなのに、実際の可能性を無視して勝手に意味があるように思ってしまうのが、「脳内変換」の為せるわざなのです。
 ということは、「自分は人恋しくなっている」と知っていれば、
 考え方にどういう偏りが出ているかにも気付きやすくなるわけです。


 なんだってそうです。
 自分の都合のいいように考えないのが無理なら、
 「どういう都合を仕立て上げようとしているのか」を考えたほうが、思い込みを減らす安全弁になる
のです。


 思い込みの力は毒にも薬にもなりますが、
 なるべく薬にしたいなら、まずは自分を冷静に俯瞰することが必要なようですね。

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