青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
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立派はつらいよ。

2012年07月29日 01時08分55秒 | 青裸々日記。
コスモスの花(東京都小金井市)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 こと人間関係において、正論は劇薬のようなものだと、私は思います。
 あまり人を責めると、後が怖い。
 「ええかっこしい!」と背筋を伸ばすのはいいですが、背筋もたまに緩めてやらないと、疲れてしまいますよね(笑)
 それと同じなんです。



 いくら「前向きがいい」とか「人に優しく」、「意欲を研ぎ澄まそう」といっても、
 そうそういつも、出来るものではないと思います。
 たまには暗くもなるし、余裕がなければ人にも当たってしまうし、
 ペースもずっとMAXでいられない、
 人間なら、これが当たり前というものです。
 誰だって、時におっちょこちょいなこともするし、間違えることもあります。
 そう、人間は素晴らしい生き物ですが、完璧というわけでもありません。



 ということは。

 いかにも立派なことを言っているあの人やこの人も、
 見えないところ、目の届かない場所では、とても人間らしいことをしている…と考えるのが、
 自然な考え方ではないでしょうか!?
 もちろん、全く歯が立たない相手、魅力的すぎるように見えて、雲の上にいるような相手でも、
 やっぱり、どこかしらでは情けないようなことをしてしまうわけです。
 逆に、自分がいわゆる「正論」を言ったり人をたしなめる側だったら、
 相手から見れば、「なにさ、自分を鏡で映してみなさいよ!!」と思われている可能性だって、あるわけです。

 いずれにしても。
 「立派」と言いつつも、100%折り目正しく生きている人なんて、いないのです
 ひとたび「立派な人間」に立候補してしまうと、後でいたく苦しい道を辿ってしまうことになる。
 たまになら「立派」は素晴らしいことですが、
 「いつも立派でいなければならない」、こんなプレッシャーを浴び続けるのは、嫌ですよね。


 本当は、みんなそこそこ立派で、みんなそこそこだらしない、
 これが、人間という生き物です
 そしてまた、完璧に立派でない同士が「立派さ」を持ち寄ってなんとか支え合っているのが、この世の中です
 だとしたら、人に完璧を望むのも、神経をピリピリさせて完璧を装うのも、
 どちらも本当はおかしな話だとわかるハズです




 みんなが、たいしたことない。
 みんなが、素晴らしい。
 どちらも、嘘ではないのです。


 嘘でないなら、誰だって、たまには立派でない瞬間があっても、
 それはそれで良いのではないでしょうか!?

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