青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
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元気が出る道を。

2013年04月21日 23時08分41秒 | 青裸々日記。
紫陽花の花(東京都台東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「人に尽くす」というと、皆さんはどんな気持ちがするでしょうか?

 尽くすことは、一見、自分を犠牲にするような、どこか苦痛であるかのよう認識になるものです。
 しかし、必ずしも、「尽くす=犠牲をする」とは限らないのです。


 簡単な例で話しましょう。
 「一日一善」という言葉、ありますよね。
 これ、なんで言われているかというと、「人は支え合って生きてるんだし、人に親切にするのは気持ちいいから、やってみようね」と、
 人に温かくすることで、自分の気持ちも温かくなるから…と、勧められているわけです。
 だから、「無理矢理人に親切を押し売りする」とか、「相手の都合は二の次で、いい人ぶって自分に酔う」ために良いことをする、
 こんなことは、どこにも言われていないわけです。
 あくまでも、純粋に人の力になることはお互いにいい気分になるから、やってみませんかと言っているだけの話なんですね。



 さて、これでお分かりになったでしょうか?

 尽くすのは尽くすでも、人の力や幸せに預かれて、自分まで元気になれるなら、
 それは積極的にやったほうがいいのです

 ところが、尽くして尽くして、自分まで擦り減ってしまうなら、
 尽くす意味や目的を、見直してみたほうがいいのかもしれない。
 冷静に考えれば、下手に巻き込まれるだけなら、なんのために力を差し出すのかは、果たして疑問にはならないでしょうか。


 「尽くすこと」は、美徳に違いないかもしれません。
 しかし、尽くすことで、その結果が不幸な顔なら、
 顔がいけ好かないのですから、美徳とは感じてもらえないことだってあるのです。


 もちろん、いつだって明るく元気でやれるとは限りませんし、
 いくら「犠牲は望ましくない」とて、ある程度は犠牲を払いつつ、何かに尽くしていくという場合もあるでしょう。


 しかし、です。
 正しく尽くすとは、尽くすことで元気になる」という原則がわかっているか、
 なるべく望ましい状態に近づけるように考えているかです

 自分を粗末にしなくても、自分も人も、明るく元気にしていける道はあるはずなんですね


 「人のためなら」という考えでいると、ついつい心の姿勢には無関心になってしまうもの。
 でも、自分を大切にしても、罰は当たらないのですよ。

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