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亀戸天神社・菊まつりから(東京都江東区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「癒し系」という言葉が定着して、かなり経ちました。
人を癒す力を持っているというのは、魅力がありますよね。
では、この「癒し系」と呼ばれる人に、どんな特徴があるかを考えることで、
自分も同じように、人を癒す力を手にすることが出来はしないでしょうか。
ということで、「癒し系」というのはどんな人なのかを、一緒に考えてみましょう。
まず。
理屈っぽい感じになりますが、「癒し系」という言葉を探るには、「癒す」という言葉について、よく理解しておく必要があります。
「癒す」というのは、「傷ついた心や体をそっと治すこと」ですよね。
といっても、「心や体を治す人」が、そのまま全て「癒し系」になるかと言えば、
そうでもない気がしませんか。
たとえば、同じように「心がホッとするような言葉を言うような人」でも、
気が軽くなる人と、そうではない人がいますよね。
この差はどこから来るのでしょうか!?
答えは、「自分を癒せているかどうか」です。
簡単な例で言うと、テストで40点しか取れなかったとします。 そこで、「まあまあ、そんな時もあるよ」と言われれば、ホッとしますよね。
でも、「いつも100点満点の人」に言われるのと、「78点ぐらいが精一杯の人」に言われるのでは、
どちらが救われるでしょうか!?
これでわかりましたね(笑)
「自分と同じように、ちょっと抜けていたり、隙のある人」のほうが、
癒すという点では、向いているのです。
しかし、です。
「隙」とか「抜けている」というのは、普通に考えれば、間違いなく「短所」です。
もし、「隙があって、抜けている人」が魅力的なら、
「誠意も真心もない、責任感に乏しい人ほど素敵だ」ということになってしまいますが、
こんな馬鹿な話はないですよね(笑)
誠意も責任感もないなら、それはただの「好かれにくい人」です。
では、「隙」って、どうやったら作れるのでしょうか。
簡単です。
基本と芯だけしっかりしていれば、それでいいのです。
人間、完璧ではありませんよね。
でも、誰だって、最初は完璧を目指して頑張るわけです。
しかし、完璧にはできない。
そこをどう考えるのかが、癒し系への道なのです。
「いやいや、完璧を目指すんだ!」と鞭を振るうのは立派かもしれませんが、あまり癒されませんよね。
でも、「もういいや、どうせできっこないし」とふて腐れる姿もまた、癒されるものとは違いませんか。
ということは、「癒し系」というのは、「やる気がある」のと「やる気がない」間にあるようです。
たくさんお話ししてきましたが、
考えていただいている内に、色々出揃いましたね。
ということで、ここまでの話を纏めてみましょうか。
「癒し系」の人は、前向きです。
ただし、体育会系のような、エキセントリックな「前向き」ではないのです。
自分には甘いけど、でも、自分を甘やかしつつ、許しつつ、顔だけは、あるいは、自分でも自覚できなくでも、姿勢だけは前を向いている。
そうすると、「完璧でない同士、なんでも許し合って、一緒に前に進みたい」という気持ちが出てくるのです。
誠意や真心、責任感さえあれば、誰だって「癒し系」になれるのです。
完璧でない自分を許すことは、人を許すことにもつながります。
「立派で近寄り難い人」でも「だらしなくて嫌な人」でもなく、
「ほどよく甘い癒し系さん」になりましょうね。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「癒し系」という言葉が定着して、かなり経ちました。
人を癒す力を持っているというのは、魅力がありますよね。
では、この「癒し系」と呼ばれる人に、どんな特徴があるかを考えることで、
自分も同じように、人を癒す力を手にすることが出来はしないでしょうか。
ということで、「癒し系」というのはどんな人なのかを、一緒に考えてみましょう。
まず。
理屈っぽい感じになりますが、「癒し系」という言葉を探るには、「癒す」という言葉について、よく理解しておく必要があります。
「癒す」というのは、「傷ついた心や体をそっと治すこと」ですよね。
といっても、「心や体を治す人」が、そのまま全て「癒し系」になるかと言えば、
そうでもない気がしませんか。
たとえば、同じように「心がホッとするような言葉を言うような人」でも、
気が軽くなる人と、そうではない人がいますよね。
この差はどこから来るのでしょうか!?
答えは、「自分を癒せているかどうか」です。
簡単な例で言うと、テストで40点しか取れなかったとします。 そこで、「まあまあ、そんな時もあるよ」と言われれば、ホッとしますよね。
でも、「いつも100点満点の人」に言われるのと、「78点ぐらいが精一杯の人」に言われるのでは、
どちらが救われるでしょうか!?
これでわかりましたね(笑)
「自分と同じように、ちょっと抜けていたり、隙のある人」のほうが、
癒すという点では、向いているのです。
しかし、です。
「隙」とか「抜けている」というのは、普通に考えれば、間違いなく「短所」です。
もし、「隙があって、抜けている人」が魅力的なら、
「誠意も真心もない、責任感に乏しい人ほど素敵だ」ということになってしまいますが、
こんな馬鹿な話はないですよね(笑)
誠意も責任感もないなら、それはただの「好かれにくい人」です。
では、「隙」って、どうやったら作れるのでしょうか。
簡単です。
基本と芯だけしっかりしていれば、それでいいのです。
人間、完璧ではありませんよね。
でも、誰だって、最初は完璧を目指して頑張るわけです。
しかし、完璧にはできない。
そこをどう考えるのかが、癒し系への道なのです。
「いやいや、完璧を目指すんだ!」と鞭を振るうのは立派かもしれませんが、あまり癒されませんよね。
でも、「もういいや、どうせできっこないし」とふて腐れる姿もまた、癒されるものとは違いませんか。
ということは、「癒し系」というのは、「やる気がある」のと「やる気がない」間にあるようです。
たくさんお話ししてきましたが、
考えていただいている内に、色々出揃いましたね。
ということで、ここまでの話を纏めてみましょうか。
「癒し系」の人は、前向きです。
ただし、体育会系のような、エキセントリックな「前向き」ではないのです。
自分には甘いけど、でも、自分を甘やかしつつ、許しつつ、顔だけは、あるいは、自分でも自覚できなくでも、姿勢だけは前を向いている。
そうすると、「完璧でない同士、なんでも許し合って、一緒に前に進みたい」という気持ちが出てくるのです。
誠意や真心、責任感さえあれば、誰だって「癒し系」になれるのです。
完璧でない自分を許すことは、人を許すことにもつながります。
「立派で近寄り難い人」でも「だらしなくて嫌な人」でもなく、
「ほどよく甘い癒し系さん」になりましょうね。
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