ヤマザクラの花(埼玉県秩父市)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
世の中にある、「正しい基準」というのは、一つだけではありません。
なぜなら、個性や価値観は、人の数だけあるからです。
たとえば、一口に「外見を磨く」と言っても、色々ありますよね。
服装から入る人、体型を整える人、美容液にこだわる人、
それぞれみんな、「外見を磨いていること」には、変わりはありません。
しかし、やり方や考え方の筋道はというと、全然違います。
そうすると、ややもすれば、筋道の違う人同士が意見を交換した時、
「考え方が食い違っている」ということで、摩擦や衝突が起きてしまったりもするわけです。
そしてまた、「外見を磨くやり方」という意味ではどちらも正しいわけですから、
お互いに「自分が正しいんだ」とか、「正しい側が譲る必要はない」と、
態度を硬くし、頑固というか、意固地にすらなってしまいかねないわけです。
しかしこれ、すごい惜しい話だと思いませんか。
なぜなら、ちょっと離れたところから見れば、エネルギーは同じだからです。
それぞれにこだわりはあっても、「外見を磨きたい」という意志は共通しているのですから、
「ああ、そういうやり方もある」とか「+αとして考えておくのもアリだな」と考えれば、何もぶつかるまでするいわれはないんですよね。
つまり、お互いに距離が近すぎて、しかも意志が強すぎるから、せっかくのいいエネルギーを浪費してしまうのです。
それと、少し手厳しい話になりますが、そんなにも向上心があると言ってはばらないのなら、対立する方向に力を使っていることに対しても、なんらかの違和感を感じられなければおかしいのです。
譲れない部分ややり方。
自分なりに編み出した哲学。
人に対して一歩も譲れないものがあるというのは、間違いなくそれだけの力や思い入れがあるということです。
しかし、正義はどこまで行っても正しいわけではないのです。
正義は正しく使ってはじめて、「あの人は正しいね」と言われるようになるのです。
何事も我慢すればいいというものではありませんし、言うべきは言う態度も必要です。
しかし、出来るだけ多く、離れた視点から見ることができたらいいですね。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
世の中にある、「正しい基準」というのは、一つだけではありません。
なぜなら、個性や価値観は、人の数だけあるからです。
たとえば、一口に「外見を磨く」と言っても、色々ありますよね。
服装から入る人、体型を整える人、美容液にこだわる人、
それぞれみんな、「外見を磨いていること」には、変わりはありません。
しかし、やり方や考え方の筋道はというと、全然違います。
そうすると、ややもすれば、筋道の違う人同士が意見を交換した時、
「考え方が食い違っている」ということで、摩擦や衝突が起きてしまったりもするわけです。
そしてまた、「外見を磨くやり方」という意味ではどちらも正しいわけですから、
お互いに「自分が正しいんだ」とか、「正しい側が譲る必要はない」と、
態度を硬くし、頑固というか、意固地にすらなってしまいかねないわけです。
しかしこれ、すごい惜しい話だと思いませんか。
なぜなら、ちょっと離れたところから見れば、エネルギーは同じだからです。
それぞれにこだわりはあっても、「外見を磨きたい」という意志は共通しているのですから、
「ああ、そういうやり方もある」とか「+αとして考えておくのもアリだな」と考えれば、何もぶつかるまでするいわれはないんですよね。
つまり、お互いに距離が近すぎて、しかも意志が強すぎるから、せっかくのいいエネルギーを浪費してしまうのです。
それと、少し手厳しい話になりますが、そんなにも向上心があると言ってはばらないのなら、対立する方向に力を使っていることに対しても、なんらかの違和感を感じられなければおかしいのです。
譲れない部分ややり方。
自分なりに編み出した哲学。
人に対して一歩も譲れないものがあるというのは、間違いなくそれだけの力や思い入れがあるということです。
しかし、正義はどこまで行っても正しいわけではないのです。
正義は正しく使ってはじめて、「あの人は正しいね」と言われるようになるのです。
何事も我慢すればいいというものではありませんし、言うべきは言う態度も必要です。
しかし、出来るだけ多く、離れた視点から見ることができたらいいですね。
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