青裸々日記 Aorara Diary

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正義と正義。

2013年04月20日 23時32分39秒 | 青裸々日記。
ヤマザクラの花(埼玉県秩父市)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 世の中にある、「正しい基準」というのは、一つだけではありません
 なぜなら、個性や価値観は、人の数だけあるからです。


 たとえば、一口に「外見を磨く」と言っても、色々ありますよね。
 服装から入る人、体型を整える人、美容液にこだわる人、
 それぞれみんな、「外見を磨いていること」には、変わりはありません。
 しかし、やり方や考え方の筋道はというと、全然違います。
 そうすると、ややもすれば、筋道の違う人同士が意見を交換した時、
 「考え方が食い違っている」ということで、摩擦や衝突が起きてしまったりもするわけです。
 そしてまた、「外見を磨くやり方」という意味ではどちらも正しいわけですから、
 お互いに「自分が正しいんだ」とか、「正しい側が譲る必要はない」と、
 態度を硬くし、頑固というか、意固地にすらなってしまいかねないわけです。


 しかしこれ、すごい惜しい話だと思いませんか。
 なぜなら、ちょっと離れたところから見れば、エネルギーは同じだからです。
 それぞれにこだわりはあっても、「外見を磨きたい」という意志は共通しているのですから、
 「ああ、そういうやり方もある」とか「+αとして考えておくのもアリだな」と考えれば、何もぶつかるまでするいわれはない
んですよね。
 つまり、お互いに距離が近すぎて、しかも意志が強すぎるから、せっかくのいいエネルギーを浪費してしまうのです。
 それと、少し手厳しい話になりますが、そんなにも向上心があると言ってはばらないのなら、対立する方向に力を使っていることに対しても、なんらかの違和感を感じられなければおかしいのです。


 譲れない部分ややり方。
 自分なりに編み出した哲学。

 人に対して一歩も譲れないものがあるというのは、間違いなくそれだけの力や思い入れがあるということです。
 しかし、正義はどこまで行っても正しいわけではないのです。
 正義は正しく使ってはじめて、「あの人は正しいね」と言われるようになるのです。



 何事も我慢すればいいというものではありませんし、言うべきは言う態度も必要です。
 しかし、出来るだけ多く、離れた視点から見ることができたらいいですね。

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