青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
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あらさがし。

2013年04月17日 01時49分49秒 | 青裸々日記。
八重桜の花(東京都台東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 腹の立つこと、不当な扱い、邪険な相手。
 こういった、自分が傷つくようなことや、理不尽な思いがあると、不満を訴えたり、謝罪のひとつもほしくもなるものです。
 そして、謝罪や改善の訴えが受け入れられないと、今度は、自分の正当性を示したいがために、
 相手の気に入らない点や落ち度を、ひとつひとつ確かめるようにつついていくわけです。


 これ、「正しい人が悪い人を指摘するぐらい、何が悪いんだ」と思うでしょう。
 しかしこれ、実害がない限り、人の落ち度は許すか忘れるほうがいいのです。


 ちょっと考えてみて下さい。

 2つ以上のDVDを同時に見ることは、まずできませんよね。
 同時に見ようとすれば、必ずどちらかがおろそかになるか、内容の理解度や感動の深さも、1本をじっくり見るより薄くなるでしょう。


 これ、人のあらさがしについても、全く同じなんですね。
 人をああだこうだと言い立てて文句を言っていると、視点や焦点は相手に向きますから、
 その分、自分が見えなくなるのです。
 「自分が見えなくなる」ということは、仮に自分が相手と同レベルのこと、あるいはもっと根本的で致命的なことをやっても気が付けないということにはなりませんか。
 人に茶々を入れたり、ツッコミを入れるのは勝手かもしれませんが、
 ただでさえ人を傷つけるようなリスクがあるだけでなく、自分のレベルまで下げてしまう危険すらあるのです。

 だいたい、完璧な人間など、どこにもいません。
 完璧じゃないから、みんな頑張るわけです。
 頑張るから、成長や改善があるんです。

 そこを、完璧でないからといって、いちいち事を荒立てていては、成長もおぼつきません。
 指摘でも批判でも文句でもいいですが、相手が精一杯であればあるほど、反感も買いやすくはならないでしょうか。


 そうであれば、あらさがしをする目は持たないか、それでももしあらさがしが大好きで仕方ないなら、
 その目を向けるべきは、他人でなく自分です



 もし、人を導くなら、あらさがしをするのではなく、手本を示すように、時間を使いましょう
 貴重な時間を、嫌なものに向けるいわれはないのです。

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