![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/e9/91ae0e56990803b4775900efd1418f06.jpg)
なでしこの花(東京都千代田区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
人を育てるには、基本的に、「自主性」を重んじるべきではないかと、私は思っています。
どんなことでも、基本と帳尻さえ合っていれば、それでいいわけです。
たとえば、文章を書く時、質にこだわらないのであれば、言葉や構成なんて、どうだっていいわけですよね。
結局、「だいたいの意味が通れば、それでいい」のですから、
あんまり事細かにやり方や品質を指示してしまうと、ただの「作業」になってしまいます。
でも、「単純な作業」だけだったら、誰にでもできますよね。
だから、普通の人は、「単純な作業」だけで、満足はしないでしょう。
一見「単純で普通の作業」の中に、自分なりの工夫や意見、かっこよく言えば「味」を出すから、
意欲も生まれ、また、課題をクリアした時に、「自分の力でやった」と、自信になるわけです。
…と、ここまでは、よく言われる話でしょう。
でも、私は、もう一歩だけ踏み込んだ話をしたいのです。
「無気力なとき」や、「どうもやる気の出ないとき」というのがあるものです。
そんな「バイタリティーがないとき」というのは、自分に対して「ゆるゆる」の気持ちを差し向けてみてはどうかな?と、
私は思ったりするのです。
自分を罰すると、エネルギーがなくなります。
それでは、なぜ罰するかといえば、自分で作ったある一線を越えてしまったから、ですよね。
テストの出来でいえば、「95点」を基準にすれば、「89点」は意味のないものになりますが、
もし、「80点でよし」とすれば、「やったー、9点分も多くがんばれた!」ということになりますよね。
つまり、同じ「89点」でも、厳しく見てしまうほど、次からのヤル気に繋がりにくいのです。
だから、もし至らない部分、満足できない個所があったとしても、
だいたい合っていればそれでいい!と、大きな視野で自分を評価したほうが、結局は元気も出てうまくいくのです。
目の前のことに一喜一憂するのではなく、大まかな方向性、あるいは大切な部分さえブレていなければ、
もうそれでいいではありませんか。
ちょっとしたことで芽を摘んでしまうのは、もったいなさすぎます。
進むべき場所に向かっていれば、芽だって勝手に育つし、出来なかった細かい部分も、次第に埋まっていくのです。
最後に。
網は緩くしたほうが、魚もかかりやすいと言います。
魚を上手く捕りたいのか、たくさん捕りたいのか。
私なら、たくさん捕れるほうを選びたいと思うのです。
なぜなら、たくさん捕ったほうが、それで幸せになってくれる人も増えるからです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
人を育てるには、基本的に、「自主性」を重んじるべきではないかと、私は思っています。
どんなことでも、基本と帳尻さえ合っていれば、それでいいわけです。
たとえば、文章を書く時、質にこだわらないのであれば、言葉や構成なんて、どうだっていいわけですよね。
結局、「だいたいの意味が通れば、それでいい」のですから、
あんまり事細かにやり方や品質を指示してしまうと、ただの「作業」になってしまいます。
でも、「単純な作業」だけだったら、誰にでもできますよね。
だから、普通の人は、「単純な作業」だけで、満足はしないでしょう。
一見「単純で普通の作業」の中に、自分なりの工夫や意見、かっこよく言えば「味」を出すから、
意欲も生まれ、また、課題をクリアした時に、「自分の力でやった」と、自信になるわけです。
…と、ここまでは、よく言われる話でしょう。
でも、私は、もう一歩だけ踏み込んだ話をしたいのです。
「無気力なとき」や、「どうもやる気の出ないとき」というのがあるものです。
そんな「バイタリティーがないとき」というのは、自分に対して「ゆるゆる」の気持ちを差し向けてみてはどうかな?と、
私は思ったりするのです。
自分を罰すると、エネルギーがなくなります。
それでは、なぜ罰するかといえば、自分で作ったある一線を越えてしまったから、ですよね。
テストの出来でいえば、「95点」を基準にすれば、「89点」は意味のないものになりますが、
もし、「80点でよし」とすれば、「やったー、9点分も多くがんばれた!」ということになりますよね。
つまり、同じ「89点」でも、厳しく見てしまうほど、次からのヤル気に繋がりにくいのです。
だから、もし至らない部分、満足できない個所があったとしても、
だいたい合っていればそれでいい!と、大きな視野で自分を評価したほうが、結局は元気も出てうまくいくのです。
目の前のことに一喜一憂するのではなく、大まかな方向性、あるいは大切な部分さえブレていなければ、
もうそれでいいではありませんか。
ちょっとしたことで芽を摘んでしまうのは、もったいなさすぎます。
進むべき場所に向かっていれば、芽だって勝手に育つし、出来なかった細かい部分も、次第に埋まっていくのです。
最後に。
網は緩くしたほうが、魚もかかりやすいと言います。
魚を上手く捕りたいのか、たくさん捕りたいのか。
私なら、たくさん捕れるほうを選びたいと思うのです。
なぜなら、たくさん捕ったほうが、それで幸せになってくれる人も増えるからです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます