青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

ゆるゆる。

2012年10月20日 18時44分49秒 | 青裸々日記。
なでしこの花(東京都千代田区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 人を育てるには、基本的に、「自主性」を重んじるべきではないかと、私は思っています。

 どんなことでも、基本と帳尻さえ合っていれば、それでいいわけです。
 たとえば、文章を書く時、質にこだわらないのであれば、言葉や構成なんて、どうだっていいわけですよね。
 結局、「だいたいの意味が通れば、それでいい」のですから、
 あんまり事細かにやり方や品質を指示してしまうと、ただの「作業」になってしまいます。
 でも、「単純な作業」だけだったら、誰にでもできますよね。
 だから、普通の人は、「単純な作業」だけで、満足はしないでしょう。
 一見「単純で普通の作業」の中に、自分なりの工夫や意見、かっこよく言えば「味」を出すから、
 意欲も生まれ、また、課題をクリアした時に、「自分の力でやった」と、自信になるわけです。


 …と、ここまでは、よく言われる話でしょう。

 でも、私は、もう一歩だけ踏み込んだ話をしたいのです。


 「無気力なとき」や、「どうもやる気の出ないとき」というのがあるものです。
 そんな「バイタリティーがないとき」というのは、自分に対して「ゆるゆる」の気持ちを差し向けてみてはどうかな?と、
 私は思ったりするのです。

 自分を罰すると、エネルギーがなくなります。
 それでは、なぜ罰するかといえば、自分で作ったある一線を越えてしまったから、ですよね。
 テストの出来でいえば、「95点」を基準にすれば、「89点」は意味のないものになりますが、
 もし、「80点でよし」とすれば、「やったー、9点分も多くがんばれた!」ということになりますよね。
 つまり、同じ「89点」でも、厳しく見てしまうほど、次からのヤル気に繋がりにくいのです。
 だから、もし至らない部分、満足できない個所があったとしても、
 だいたい合っていればそれでいい!と、大きな視野で自分を評価したほうが、結局は元気も出てうまくいくのです。


 目の前のことに一喜一憂するのではなく、大まかな方向性、あるいは大切な部分さえブレていなければ、
 もうそれでいいではありませんか

 ちょっとしたことで芽を摘んでしまうのは、もったいなさすぎます
 進むべき場所に向かっていれば、芽だって勝手に育つし、出来なかった細かい部分も、次第に埋まっていくのです



 最後に。

 網は緩くしたほうが、魚もかかりやすいと言います。
 魚を上手く捕りたいのか、たくさん捕りたいのか。

 私なら、たくさん捕れるほうを選びたいと思うのです。
 なぜなら、たくさん捕ったほうが、それで幸せになってくれる人も増えるからです。

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